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遺言 その6 2015/11/23
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去勢、断種、宮刑――もともと、ヒトがヒトに対して行う不妊手術は、刑罰として施行されていました。
およそすべての生物の目的は、自分のコピーをできるだけ世の中に増やすことです。ヒトも生物の一種族である限り、遺伝子が訴える「産めよ、増やせよ」あるいは、「産めよ、殖えよ」というテーゼからは逃れられません。だからこそ生物はセックスに快感を覚え、セックスしたいという欲望が本能として備わっているわけです。
ちなみに、前者の元ネタである後者のスローガンは、その後「地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と続きます。自らのコピーを増やすことが覇権に繋がる。増殖によるヘゲモニー。人口増加が民族の力に繋がり、国民国家の力となるわけです。
だからこそ、コピーの禁止が刑罰となったわけです。
しかし、文明が発達し、社会や価値観が複雑になるに連れて、自ら不妊手術を選ぶ者も出てきました。
たとえば宦官です。
古代オリエントや中国において官僚は特権階級でした。貴族でない庶民が富や権力を得るためには、科挙と呼ばれる競争率の高い採用試験を突破し、官僚になるしかありませんでした。
貴族や皇帝としては、自分の財産管理や宮廷の運営、行政サービスのために、できるだけ優良な官僚が欲しいわけです。しかし、有能すぎて自分の地位が脅かされるのは困る――そこで考え出されたのが宦官制度です。
自らのコピーを増やすことが権力に繋がるのならば、コピーを増やせなくしてしまえば良い。去勢し、子孫を残すことができない者ならば自分たちの地位を脅かさないであろう。宦官制度は、貴族階級にとっての面倒くさい仕事を庶民出身の官僚に押し付けつつ、彼らの世襲を防ぎ、貴族と庶民という階級を固定化させるシステムでした。
この時代の去勢は、性器切断により行われました。勃起した男性器――ちんこを麻酔無しで切断し、熱した灰や熱い砂、油などで止血します。その後、白蝋や金属で出来た栓で尿道に蓋をし、傷口が盛り上がることで尿道が塞がってしまうのを防ぎます。水を飲まずに三日過ごした後、栓を抜いて噴水のように尿が出れば成功です。尿道が塞がり、尿が出ない場合、尿毒症で死にます。成功しても、衛生状態が良くない古代では傷口から細菌やウイルスが進入するリスクが高まり、敗血症で死ぬリスクも高まります。
中国では、辛亥革命で中華民国が誕生するまで、この方法による宦官の去勢と登用が行われました。当然、ちんこが無いのでセックスはできません。
にも関わらず、宦官志望者は引きも切らなかったそうです。科挙の試験を受ける前に自ら去勢する者もいました。これを「自宮」と呼びます。早稲田に合格する前に早稲田のパーカーを着るようなものです。明の時代(1368~1644年)には、自宮する者があまりにも多く、せっかくちんこを切り落としたのに宦官になれず、投げやりになった去勢者たちが犯罪を働いたために国が乱れたこともあったそうです。
セックスもできないし、子孫も残せない。にも関わらず、何故彼らは宦官を目指したのでしょうか?
ヒトは――人間は、集団で暮らし、社会を作り、そこで暮らす、社会的な動物です。自らのコピーを増やしたいという生物的本能よりも、自らの富や権力を満たしたいという社会的欲望が勝ったからこそ、宦官を目指したのでしょう。
ちなみに、ちんこを切り落としても、性欲は無くなりません。宦官たちは、こっそり女性を呼びつけては、張型と呼ばれるバイブを使ったり、大量の汗をかきながら女体に噛み付いたりして、性欲を発散させていたそうです。
岸田秀は「人間は本能の壊れた動物である」といいました。これは、人間の性的欲求が「子孫存続の生殖本能」ではなく、「文化的・快楽的な幻想」に支えられているという理論に基づいています。
つまり、人間は子孫を残したいからセックスをするのではなく、脳が快楽を感じるからセックスをしているわけです。脳が快楽を感じるのは、肉体的に欲望が満たされた時だけとは限りません。
一方で、人間社会が成熟するに連れ、子孫を増やす生物的幸福が、必ずしも社会的幸福に結びつかなくなりました。
ルーチン作業を繰り返せば繰り返しただけ富が貯まる時代や状況なら、人の多さは力になります。しかし、社会が複雑になればなるほど、新しい商売やシステムで富を稼ぐ方法を生み出す力――教育が重要になります。そして、教育にはコストがかかります。「貧乏子沢山」という言葉は、子供があまりに多すぎると教育にコストがかけられず、そして貧乏人は働くこととセックスすることしかやることがなく、貧乏人は貧乏人のままであり、貧富の差が固定化される、ということを意味しているのです。
高度経済成長が終わり、単に働いても幸福になれない成熟社会になると、子供を作ることがリスクと考える人間も出現しました。教育や扶養という形で子供に投資するよりも、自らに投資した方が、自らの幸せに繋がる、というわけです。発展途上国では8とか6とかいった出生率が、先進国では2.0を切るのは、早い話、このような価値観を持つ人間が増えてくるからです。
そして、不妊手術の手法も発達しました。現在、人間社会で認められている外科的な不妊手術は、男性なら両側精管結紮切除術、女性なら卵管結紮術のみです。前者は精子が作られる精巣から精嚢へ繋がる精管を、後者は卵子が作られる卵巣から子宮に繋がる卵管を、結紮――縫合糸で縛って閉塞させる外科手術です(女性の場合、子宮に避妊リングを挿入する方法もありますが、これは外科手術ではなく避妊具の使用に分類されます)。
いずれの方法も、閉塞させるのは精管や卵管だけで、動脈や静脈を止めるわけではありません。つまり、精巣や卵巣で作られる性ホルモンへの影響が出ることはありません。だから、性欲が減退したり、セックスにおける精感が損なわれたりすることなく、ほぼ100%避妊することができます。ここにおいて人類は本能というシステムを出し抜き、性的欲求のみを満たす方法を手に入れたのでした。
こういった手術は、畜産分野で発達した後、優生学思想や優生学政策に基づき人間に応用されたという歴史があります。ナチス政権下のドイツだけでなく、日本を含む様々な国が知的障害者や精神障害者、ハンセン病患者への強制的な不妊手術を国策として実施してきました。ハンセン病が遺伝病ではなく感染症だと判明した後も、です。なんと日本では1994年まで優生保護法に基づくハンセン病患者への強制的な優生手術、という名の不妊手術が行われていました。
優勢保護法は1996年に改正され、法律名も母体保護法に変更されました。強制的な不妊治療に関する条文は根こそぎ削除されましたが、一方で、強制的な不妊手術を長年実施してしまったことへの反省もあり、不妊手術に対する制限は残されました。
・本人及び配偶者(事実婚を含む)の同意があること
・妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼすおそれのあるもの
・現に数人の子を有し、かつ、分娩ごとに母体の健康度を著しく低下するおそれのあるもの
つまり、基本的にパートナーの同意がなければパイプカットの手術はできないはずです。
問題は、祖父がパイプカットの手術を行うために、同意を得たパートナーは誰だったかです。
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