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マクガイヤーチャンネル 第30号 2015/8/31
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ブロマガが30号目ということに戦慄しているマクガイヤーです。よく書いたー。
さて、月に2回の放送をお送りしているマクガイヤーチャンネルですが、8月に引き続いて9月も特番を予定しております。
まず9/3(木) 20時より、マクガイヤーゼミ9月号特番として、「羽山淳一 ブラッシュワーク原画展記念トーク」をお送りします。
ゲストにアニメ『北斗の拳』や『ジョジョの奇妙な冒険』などの作画やキャラクターデザインで有名なアニメーター 羽山淳一さんをお迎えして、お話をお聞きする予定です。
羽山さんがこれまで関わってきたお仕事や、先日発売された作品集『羽山淳一 ブラッシュワーク』などについてお話をお聞きする予定です。
9/3~9/15まで、中野ブロードウェイのピクシブギャラリーことpixiv Zingaroにて「羽山淳一 ブラッシュワーク原画展」が行われます。
原画展初日の夜、会場からお送りする予定です。
お楽しみに!
会場での観覧も可能です。
会場のスペースの関係で一般観覧は無くなりました。
次に9/21(月)20時より、「最近のマクガイヤー9月号」と題しまして、いつも通り最近面白かった映画や漫画やについてまったりひとり喋りでお送りします。
・『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』
等々について話すことになると思います。
アシスタントとして久しぶりにみゆきちが出演してくれる予定です。なんでも、この夏の思い出について話してくれるとか……ご期待ください!
そして9/29(火)20時から9月のマクガイヤーゼミを行います。「Projectitohと伊藤計劃」と題しまして、SF作家 伊藤計劃についてお話する予定です。10月から伊藤計劃原作のアニメ映画『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』が三作連続公開されます。予習にどうぞ!
さて、前回の続き、「戦争映画を観るときの10のチェックポイント」⑥~⑩です。
こちらは8月のニコ生マクガイヤーゼミ「今だからみたい戦争映画」の補講になります。
⑥その映画で扱われている戦争は、いったい何年前の戦争なのか?
映画も漫画も小説も、およそ「作品」と名がつくものはすべて、それが作られた時代の影響を受けています。戦争という歴史的事実を題材にした映画ならなおのことです。
たとえば『ディアハンター』と『ワンス・アンド・フォーエバー』は、両方ともベトナム戦争を題材にした映画ですが、作られた時代が全く違います。ベトナム戦争は1960年から1975年まで行われた戦争ですが、前者は1978年の作品ですので終戦から3年後、後者は27年後の作品になります。約四半世紀の違いがあるわけです。
TSUTAYAやhuluで同じ「旧作」として並んでいると気づきにくいですが、観てみるとすぐ違いに気づくはずです。まずフィルムの粒子数が違います。音楽の使い方やカットのテンポも違います。そして、扱っている事象が同じでも、テーマや意味、作り手の立ち位置、作品が世に与えた衝撃……等々が若干異なります。
これは他の戦争を扱った映画でも同じです。
たとえば『西部戦線異状なし』と『戦火の馬』は、両方とも第一次大戦を題材としていますが、1930年に作られた前者が数年前に起こったリアルな戦争として描いているのに対し、2012年に作られた後者はノスタルジーたっぷり、名作文学やハリウッド黄金期を思わせるような映像美が続きます。
たとえば『プラトーン』と『天と地』は、両方ともベトナム戦争を題材とし、両方とも同じ人物が監督と脚本を担当した映画ですが、1986年に作られた前者はオリバー・ストーンの野心や情熱が詰まっているのに対し、1993年に作られた後者には、予算の充実や大作感があるものの、功成り名遂げたオリバー・ストーンの言い訳めいたものを感じ取ってしまいます。
その映画が題材としている戦争と、作り手が言及したい戦争が別の場合もあります。
たとえば、1970年に作られた『M★A★S★H』は朝鮮戦争を扱いつつ、その頃行われていたベトナム戦争への批判を含んでいます。2005年に作られた『ミュンヘン』は70年代のモサドによる暗殺ミッションを描きつつ、ポスト911におけるテロとの戦争を照射していたことがラストシーンで分かったりします。
⑦「戦争の愉しさ」は描かれているか?
ひとたび戦争が起これば、敵味方問わず、必ず人が死にます。戦場には死体や怪我人が溢れ、残酷な世界が出現します。
だから、戦争を扱う映画である戦争映画はシリアスになりがちです。
しかし、現実に戦争が起こった場合、戦場の残酷さはそれほどアナウンスされません。特に、戦場の残酷さが伝えられ、それが反戦運動の引き金となったベトナム戦争以来、為政者は戦場の残酷さを隠しがちです。
そして我々人間は、実のところ、自分が暴力や残酷さを振るわれる対象でない限りにおいて、暴力や残酷さが大好きです。自国が勝っていれば、大衆は必ず熱狂します。
この70年間、日本が参戦した戦争は無かったので、保守でもネトウヨでもない一般市民が戦争に熱狂し、「戦争の愉しさ」に酔う姿は想像し難いかもしれません。ですが、サッカーのワールドカップやオリンピックの時の熱狂――スポーツ紙の文面や渋谷での馬鹿騒ぎを思い出して下さい。あるいは、現在の中国やイラク、江戸時代の日本でも行われていた公開処刑を見に集まる大衆の姿を想像してみて下さい。ネットにおける「炎上」に喜々として参加し、パソコンやスマホからコメントを書き込む現代人の姿でも良いかもしれません。我々は暴力や残酷さが大好きなのです。
戦争映画で絶対にやってはいけないのは「無辜の市民が戦争で苦しめられる」という類型しか描かないことです。戦争において、完全に潔白な人間は存在しません。皆、被害者であり、加害者なのです(どちらかの要素が大きい、というのはあるでしょう)。作り手からしてみれば、類型的な物語や描写は楽であるだけなく、どこからも文句が出ないというメリットがあります。しかし、真に恐ろしい戦争映画は、銃器や人体破壊のリアルの再現ではなく、「戦争の愉しさ」に心を奪われる一般市民のリアルを再現した作品なのです。
また、どんなに真剣でシリアスなテーマを含んだ渾身の力作であっても、ユーモアが無いと誰もみてくれない――という問題もあります。どんなに面白い雑誌でも、表紙をグラビアアイドルにしなければ読まないという層が存在します。映画というのはあくまでエンターテイメントです。砂糖漬けでないと、苦い薬を飲んでくれないのです。「戦争の愉しさ」という毒入りの砂糖ですが。
ですから、『女王陛下の戦士』や『戦争のはらわた』や『ジョニー・マッド・ドッグ』は、あんなに暴力的で残酷な映画でありつつ、思わず笑ってしまったり、思わず暴力を振るう登場人物に感情移入してしまったりするシーンが含まれています。『素晴らしき戦争』や『M★A★S★H』には、戦争の残酷さと愉しさが入り混じる――ブラックユーモア作品としての趣きあります。
こういった作品に、単に戦場での暴力や戦争の残酷さだけしか描かない映画よりも感じ入ってしまいがちなのは、「戦争の愉しさ」が描かれているのと無縁ではありません。
蛇足かもしれませんが付け加えるなら、仮に今後日本が戦争するとしても、日中戦争や太平洋戦争のような自国の国民が残酷で悲惨な扱いを受けるような戦争である可能性は少ないでしょう。むしろ、他国の国民に暴力を振るい、残酷さを撒き散らす側になるのではないでしょうか。その時、我々は「戦争の愉しさ」に抵抗できるのでしょうか。
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