(前号からの続きです)
I教授に心酔していた自分でしたが、数ヶ月足らずで外部の研究室に出向することになりました。
理由は、見学にいった外部研究機関の研究室――国立病院付属の研究室――があまりに設備が充実していて、高待遇で、居心地が良さそうだったからです。
一人一台専用の実験机をもらえる、使用済み実験器具等の洗い物は実験補助要員がしてくれる、高価な実験機器が揃っていて、試薬も「足りないので欲しいです」と言うだけでたいてい買い放題、おまけに交通費名目で月一万円のお小遣いまでくれる(学生なのに!)……実験机も事務机も共用し、基礎試薬を買うだけで助教(その頃は助手という呼び名でしたが)とヘビーな交渉しなくてはいけない大学の研究室とは雲泥の差でした。調子に乗った自分は、そこで彼女までゲットし、彼女が嫁になり、セックスレスの現在に至るのですが、それはまた別の話です……
そういうわけでI教授の知り合いが室長を勤める外部研究室への出向――通称「外研」を選んだわけですが、卒業論文を書くために外研生活を送っていると、高待遇には高待遇なりの理由があることが分かりました。
英語圏での留学経験がある人が多いので、たいていの場合、研究室のリーダーはボスと呼ばれます。
もっとも驚いたのは、研究室のボスが、ほとんど自宅に帰らないことでした。
いや、ボスだけではありません。大半の人がそうなのです。「○○先生はきちんと自宅に帰るから偉い」という言葉を聞き、これはえらいところに来たものだと戦慄しました。自分の親父はいわゆるモーレツ社員世代というかプレ団塊世代で、一年の1/3は海外出張していたのですが、外研のボスは、親父より家に帰っていませんでした。
彼らは、ポスドクのような不安定な身分とは違って、パーマネントで安定した立場にいます。こういった機関に勤める研究者は主に学術論文の発表数で評価を受け、評価に応じた研究予算を獲得するわけですが、極端ことを書けば、そんなに頑張らなくても――インパクトファクターがそんなに高くない雑誌でも、定期的に論文発表しさえすれば、職を追われることはなく、食うに困ることも無いわけです。
では何故、そこまで頑張るのでしょうか?
初めは全く理解できなかったのですが、研究生活を送るにつれて、段々と分かってきました。
学生である自分たちに遅い帰宅時間が強要されることはありませんでしたが、学会や大学での発表前は不夜城に泊り込むこともありました。
なんだかんだで、それはそれで楽しい時間だったのです。研究室の気の置けない仲間たちと知らないことを教え・教わりあい(病院付属の研究室だったので、自分たちより年上の臨床医に恐縮しながら分子生物学的実験手技の基礎を教える機会もありました)、実験の合間にコンビニで夜食を買い込み、スマートな論文表現を相談しあう……
恋愛ドラマなどで「私と仕事、どっちが大事なの?」と男が女に迫られる、ベタなシーンがありますよね? そこで、男がついつい言い淀んでしまう理由が分かってきました。
「仕事」というのは友達同士の遊びの延長で、実は楽しい行為なんです。学生のうちにそのような経験ができたことは幸運でした。
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