おはようございます。マクガイヤーです。
だんだん梅雨が開けてきたような気がするのですが、そろそろ本気で部屋を掃除せねばいかんと考えている今日この頃です。でも、夏に掃除するのは暑くてキツいので、秋になってからで良いかなあ……
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
〇7月19日(月)19時~「『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』と円城塔と新しい特撮(アニメ)」
6月24日に『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』が最終回を迎えます。
制作発表時は「またゴジラのアニメか」「怪獣デザインのコレジャナイ感」「いったい誰が観るのだろうか」と、期待値が下げ止まっていた状態でしたが、いざ放送されると新鮮なストーリーと怪獣観、特撮アニメとしてもSFとしても面白さ溢れる内容が反響を呼びました。今期アニメの再注目作だけでなく、本家である実写特撮ゴジラシリーズにも影響を与えそうな勢いです。
そこで、『ゴジラ S.P』の面白さについて、怪獣の在り方や、脚本を務める円城塔などの視点から解説するようなニコ生を行います。
ゲストとして編集者のしまさん(https://twitter.com/shimashima90pun)をお迎えしてお送り致します。
〇8月9日(月)19時~「最近のマクガイヤー 2021年8月号」
内容未定
いつも通り、最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
〇8月22日(日)19時~「『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』とジェームズ・ガンとトロマ魂」
8月13日より映画『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』が公開されます。DCEUの第10作目ですが、2016年『スーサイド・スクワッド』の続編では無いそうです。しかし、出演する俳優は一部共通しています。このコンティニュイティの適当さが、いかにもアメコミ、いかにもスーサイド・スクワッドという感じです。
監督を務めるのは映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で名を挙げたジェームズ・ガンですが、彼が本作の監督を務めることになった経緯については皆さんご存じのことと思います。色々あったわけですが、結果的にジョス・ウェドンに続いてMCUとDCEU両方で重要な作品を監督することになりました。
ジェームズ・ガンがここまで活躍する理由として、映画人としての修業時代を過ごしたトロマ・エンターテイメントのスピリッツが大きいのではないかと自分は考えます。
そこで、スーサイド・スクワッドとジェームズ・ガンについて解説するニコ生をお行います。
ゲストとしてお友達のナオトさん(https://twitter.com/Triumph_march)をお迎えしてお送り致します。
〇藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の作品評論・解説本の通販をしています
当ブロマガの連載をまとめた藤子不二雄Ⓐ作品評論・解説本『本当はFより面白い藤子不二雄Ⓐの話~~童貞と変身と文学青年~~』の通販をしております。
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また、売り切れになっていた『大長編ドラえもん』解説本『大長編ドラえもん徹底解説〜科学と冒険小説と創世記からよむ藤子・F・不二雄〜』ですが、この度電子書籍としてpdfファイルを販売することになりました。
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合わせてお楽しみ下さい。
さて、本日のブロマガですが、ちょっとオリンピックと天皇について書かせて下さい。
●新型コロナウイルスと敗戦
COVID-19ことコロナウイルスによるパンデミックを戦争に喩えることには一理ある……というようなブロマガを以前に書きました(https://ch.nicovideo.jp/macgyer/blomaga/ar1888101)。
そういう意味で、今どうしても連想してしまうのは『劇場版パトレイバー2』の名台詞です。
「戦線から遠のくと、楽観主義が現実に取って代わる。そして最高意思決定の段階では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けているときは特にそうだ」
これはジェイムズ・F・ダニガン著『新・戦争のテクノロジー』からの引用だそうです。1992年に書かれた本ですが、この感染状況においても東京オリンピックをどうしても中止できない政府の姿がぴたりとあてはまってしまうと考えるのは、自分だけではないでしょう。
戦争といえば、東京オリンピックを誘致し、いまだに予定通り開催すべきと主張している猪瀬直樹の作家デビュー作(の一つ)が『昭和16年 夏の敗戦』だったことをどう考えれば良いのでしょうか。
国家総力戦に関する基本的な調査研究を目的として開設された総力戦研究所。昭和16年の夏、ここに「研究生」として各官庁・陸海軍・民間などから選抜された若手エリートたちが三ヶ月かけたシミュレーションにより導き出した日米戦争の経過は、実際の太平洋戦争のそれとほぼ同じものでした。しかし、この報告は無視され、更に三ヶ月後、真珠湾攻撃により開戦します。この事実を基に、日本が「無謀な戦争」に突入したプロセスを描くことで、意思決定のあるべき姿を示す――というのが『昭和16年 夏の敗戦』でした。総力戦研究所の逸話は、これで広く知られることになりました。名著といっていいでしょう。
しかし、そんな名著の著者が、自分が都知事として誘致に関わったオリンピックという「無謀な戦争」の意思決定について自著の内容を敷衍することができない――そんなふうにみえてしまうわけです。
「本来は辞めるべき・止めるべきプロジェクトが、官僚主義とプロジェクトそのものの大きさとが相まって、継続したままになってしまう」――これは日本独特のものではなく世界中でみられる光景です。ですが、その光景を生むメカニズムとして、「これまでコンコルド開発に投資したおカネが惜しくて投資がやめられない」という埋没費用効果(コンコルド効果)ではなく、「PTAや学校で何十年も続いているベルマーク運動や組体操をやめようと言い出す人が現れない」というような、官僚も政治家も国民一人一人も、誰も彼もが責任をとるのを嫌がった結果である――という点が、世界と日本とで大きく異なるところです。
●オリンピックと天皇
ならば、日本では誰が責任をとるのでしょうか?
有史以来、「日本民族(この定義については脇に置いておくとして)」にとって最大の国難は太平洋戦争だったわけですが、陸軍も海軍も内閣も終戦、いや敗戦を決断できない中、「聖断」としてポツダム宣言を受け入れ敗戦を決めたのは昭和天皇だったわけです。君主は責任をとるのが仕事であり、それは自分が天皇であり、現人神である以上、やらねばならない仕事であったと考えていたわけです。
その後、天皇は「人間宣言」を行い、一切の政治的権限を持たない象徴天皇になりました。真に日本が民主化し、国民が自分たちのことを自分たちで決められるのならば、もはや「聖断」する必要はないわけです。
ところが先日、宮内庁長官が「天皇陛下がこの新型コロナウイルス感染状況にあってオリンピック開催を懸念されていると拝察している」と発言し、「私としては、陛下が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックで、感染が拡大するような事態にならないよう組織委員会をはじめ関係機関が連携して感染防止に万全を期していただきたい」と要請する、というニュースがありました(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210624/k10013101951000.html)。
これは歴史的な出来事ではないでしょうか。
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