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【第209号】藤子不二雄Ⓐと映画と童貞 その14 『憂夢』 その2

2019/02/20 07:00 投稿

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  • 藤子不二雄Ⓐ
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マクガイヤーチャンネル 第209号 2019/2/20
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おはようございます、マクガイヤーです。

先日の放送「最近のマクガイヤー 2019年2月号」は如何だったでしょうか?

取材協力した『やれたかも委員会』は、今後の更新に合わせて是非とも読んで欲しいところです。

ちなみに基になったお話はこちら

https://ch.nicovideo.jp/macgyer/blomaga/ar1011063




マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。



○3月10日(日)19時~「俺たちも昆活しようぜ! Volume 2」

昨年の8月、ご好評頂いた昆虫回が帰って参りました。

今回も昆虫にちょう詳しいお友達のインセクター佐々木さん(https://twitter.com/weaponshouwa)をお呼びして、昆虫の魅力について語り合う予定です。

漫画に出てくる昆虫……果たしてどんな昆虫話が飛び出すのか?!

ちなみに前回の放送はこちら




○3月20日(水)19時~「映画『バンブルビー』公開記念 トランスフォーマー講座」

3月22日より映画『バンブルビー』が公開されます。

実写映画版『トランスフォーマー』の7作目にしてスピンオフですが、『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』で名を馳せたトラヴィス・ナイトが監督を務め、既に公開された米国ではシリーズ最高傑作と評判も高いです。

そこで、当チャンネルでは映画公開前に、玩具を中心としてトランスフォーマーの魅力を再確認できるような放送を行います。

ちなみに前回の放送「トランスフォーマー 上級編」はこちら

ただいま出演して頂ける豪華ゲストを調整中です!



○4月前半(日時未定)「俺たちの『スーパーロボット大戦』」

3月20日にPlayStation 4/Nintendo Switch用ゲームソフト『スーパーロボット大戦T』が発売されます。また、年内にはスマートフォン用ゲームアプリで初のシミュレーションゲーム系システムが採用された『スーパーロボット大戦DD』が配信予定です。『スーパーロボット大戦』シリーズの最新作になります。

1991年のGB版『スーパーロボット大戦』発売から28年、シリーズも50作(数え方に諸説あり)を越えた「スパロボ」は、いつの頃からか単なるお祭りや公式二次創作やロボットアニメ回顧コンテンツではなく、「スパロボ」ならではの新しい魅力を産み出すようなムーブメントになってきました。

そこで、シリーズの歴史や魅力を振り返りつつ、「スパロボとはなにか?」に迫るような放送を行ないます。

アシスタント兼ゲストとして、友人の虹野ういろうさん(https://twitter.com/Willow2nd)をお招きする予定です。



○4月後半(日時未定)「最近のマクガイヤー 2019年4月号」

詳細未定。

いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。



○文学フリマに出店します。

5月6日に東京流通センター第一展示場にて開催される第二十八回文学フリマ東京に出展します。

藤子不二雄Ⓐ作品評論本を売る予定です。



さて、今回のブロマガですが、引き続き藤子不二雄Ⓐの『憂夢』について紹介させて下さい。これまで書いてきた藤子不二雄Ⓐ作品解説の最終回になります。




●テーマとしての「夢」

Ⓐ作品に共通するテーマとして「現実との折り合い」があります。

自分の中にある幻想や妄想や夢に象徴される箱庭のような内的世界を大事にする――これはFとⒶに共通する特徴なのですが、F作品が内的世界での冒険や友情に終始するのに対し、Ⓐ作品は必ず「内的世界を抱える主人公と、辛く厳しい現実」、「まるで子宮のような内的ユートピア世界に耽溺し、破滅してしまう主人公」、「ナイーブな主人公が変身や成熟で現実の困難に立ち向かう」……といったように、内的世界と現実との折り合いがテーマとして内包されているのです。


この連載でも紹介した『怪物くん』の「シャボン玉の中のすてきな世界」や『魔太郎が来る!!』の「ゴミはふくろにしまつしよう」、ブラックユーモア短編『明日は日曜日そしてまた明後日も……』『愛ぬすびと』『愛たずねびと』などは、現実の厳しさに負け、内的世界に耽溺してしまったキャラクターを描いています。それは、耽溺する人間にとってみればユートピアですが、外部である現実世界からみれば破滅に他なりません。

一方で、『怪物くん』の「パックにたのんで夢の旅」、『魔太郎』の「ガラスの中の別荘」や「貝がらの中の少女」や「ペンフレンド」などは、内的世界との切ない別れや決別、「卒業」、上手い形での折り合いなどを描いています。

「ガラスの中の別荘」のように内的世界が破壊されるのは悲劇ですが、現実世界の自分が破滅するよりはマシかもしれません。生きていれば、ユートピアのような内的世界にまた出会えるかもしれないし、自分で作り出せるかもしれません。あるいは、現実世界でユートピアを象徴する美女や友人や集まり――それこそトキワ荘のような――と出会えるかもしれません。そして、そのような内的世界の破壊と現実世界での奮闘の繰り返しこそがⒶにとっての変身であり、成熟なのでしょう。



●テーマとしての「老い」

毎回、夢のようなビデオが重要な役割を果たす『憂夢』のテーマはずばり「老いに伴う内的世界と現実との折り合い」です。

第14話は分かりやすいですが、第6話「あの頃にもう1度…」や第20話「さよならをもう一度」、第30話「めぐりあい」など、「晩秋を迎えた男が昔の想い出や色香に惑った結果、夢の世界に囚われたり、切ない結末を迎える」という話が多いです。第18話や27話も成熟という形で一つの「老い」を描いています。初老の男を主人公にしていたり、青年や中年を主人公としていても、加齢による家族関係の変化や不安や、過去の思い出への拘りやノスタルジアをテーマとしているものが、全39話中13話あります。1/3です。最も多いテーマといっていいでしょう。


結末が「破滅」なら『笑ゥせぇるすまん』になるわけですが、Ⓐはほぼ同時期の90~95年に『笑ゥせぇるすまん』を「中央公論」に連載しています。これは69~71年に『漫画サンデー』で連載していた『黒ィせぇるすまん』がアニメ化に伴って『笑ゥ』に改題された後、新作として連載された「第二期『笑ゥせぇるすまん』」とでもいうべき連載作品ですが、『憂夢』の叙情的でしっとりとした雰囲気は、差別化もあったのではないかと思います。

ちなみに第二期『笑ゥせぇるすまん』の最終回はⒶそっくりの晩秋を迎えた漫画家が高原のホテルで若い女性との年齢を越えた恋の期待に惑う「かやつり草」でした。Ⓐがこれらを執筆したのは50代後半~60代前半にかけてです。この時期のⒶが抱えていた人生のテーマが良く分かります。堀辰雄の『風立ちぬ』が言及されるのも面白いところで、宮崎駿がアニメ『風立ちぬ』を発表したのが72歳の時分であることを考えると、晩秋や初老の男にとっての『風立ちぬ』は一種のドリーム小説なのかもしれません。


『憂夢』の話のオチは、第5話「面影の人」や、第17話「面影ふたたび」といったような、明確なバッドエンドというよりも、どちらかといえばまるで考えオチのような読後感を抱かせるものも多いです。それこそ「奇妙な味わい」とでもいうべき読後感です。


また、連載開始時の91年はバブルが崩壊した年であり、不況による経済環境変化や、地上げ後に更地になったものの放置された空き地、立て替えとなるボロアパートなども、作中に出てきます。こういった執筆時期に伴うあれやこれやも、ブラックユーモアというよりもちょっと切なくなる読後感に貢献しています。



●同じモチーフと異なる結末

『憂夢』を『笑ゥせぇるすまん』や他のⒶ作品と比較しながら読み進めていくと、面白いことに気づきます。

Ⓐが漫画家としてデビューしてからこの時点で約40~50年、ゴルフや麻雀や鳥人間といった、何回かみたことがあるお馴染みのモチーフやテーマも本作には登場します。しかし、そのうち幾つかはお馴染みではない結末を迎えるのです。


たとえば「ゴルフではその人の本性が出る」、「ゴルフでは日常生活とは異なる別の性格が現れる」というのは何度もⒶ作品に出てくるテーマです。これを如何にコントロールするかが『プロゴルファー猿』『ホアー!! 小池さん』のテーマの一つであり、これが基で破滅的な最後を迎えるのが『笑ゥせぇるすまん』の「豹変ゴルファー」だったりするのですが、前述した『憂夢』第27話「クラブを持つと…」は、これらとは全く異なるオチがつきます。


麻雀はⒶ作品に頻出します。愛蔵版『まんが道』第四巻の解説では酒と麻雀を通じての友人である吉行淳之介が、弁当を拒否してバナナ・蒸パン・揚せんべいを食べながら麻雀しているⒶについて書いたりしているのですが、この世代にとっての麻雀は、現在の10-30代にとってのスマホゲームのような、コミュニケーションツールの一つでした。

Ⓐの大人向けの連載作品では、そのほとんどに麻雀をテーマにした話が1回以上あります。この連載でもとりあげた『無邪気な賭博師』や『魔雀』のように、その多くはギャンブルの魔力にのめりこみ、破滅するという結末を迎えます。

しかし、『憂夢』第32話「夫がいない時間」ではおなじように破滅すると思わせて「素人であるはずの奥さんが、あまりにも麻雀が強すぎて救われた」という、力技にも思えるオチがつくのです。


他人の家に押しかけて乗っ取ろうとする「ヤドカリ一家」もⒶ作品によく出てくるモチーフです。有名なのは『魔太郎』の「不気味な侵略者」で、最初は気のいい友人に思えた相手が、いつの間にか家族を呼んでいた時にはもう遅い……という題名どおり不気味な話です。同じようなお話は、『オバQ』の18人家族や、『小池さんの奇妙な生活』のアタリヤ一家としても描かれました。

この「ヤドカリ一家」は、おそらく安部公房の短編小説『闖入者(1951)』や戯曲『友達(1967)』に発想の原点があるのですが、『憂夢』第29話「THE ROOM」では若干毛色が違います。取り壊しのために、家賃の安いボロアパートを退去しなくてはならなくなった主人公は、「YOUM」のビデオの情報から豪華なマンションを月一万円という格安で借りることができました。そのマンションは、「人が住まない部屋は傷む」というオーナーの意向により、選ばれたメンバーのみ入居することができるのですが、入居者の選択と管理は古くから住む店子の一家に一任されていました。最初はその一家による家庭的な歓待を喜んでいた主人公ですが、いつしか勝手に自分の部屋に上がりこむようになっていき……というお話で、結末は同じでも、導入部からそう思わせず、これまでとは違う話にしようというⒶの意欲を感じます。一見、『魔太郎』に比べてマイルド化したようにも思えるのですが、導入部が巧妙なので、こちらの方が罠に嵌った感が強かったりもします。



これらは、おそらくⒶがネームを切らずに原稿を描き上げていることと関係があります。デビュー以降、他の漫画家と同じようにネームを切ってから下書き・ペン入れと原稿執筆を進めていたⒶですが、『フータくん』の連載中からネーム無しで原稿執筆するようになったそうです。


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ぼくは事前にアイディアノートをとらない。白い原稿用紙の一ページの一コマ目から、いきなり下書きをいれていくのだ。アイディアノートにアイディアを書いたり、コマ割り(原稿のページ数によって、あらかじめノートに下描きをとる。一コマ一コマ割って、その中に軽い人物デッサンとセリフのふきだしをいれること)をしたりしない。いきなり一ページの一コマ目から描いていくのだから、その先がどうなるのか、作者のぼくにもこの段階ではわからないのだ。まるでジャズの即興演奏のようなものだ。

『Aの人生』より)

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藤子Ⓐ:僕はもともとノートを取って、こういうタッチでこういうのを描こうっていうことを初期はしてたんだけど、『フータくん』を『少年キング』に連載してたときにあまりにも原稿が遅れちゃって。あの頃はネームっていうのを必ず先に渡して、原稿が上がると編集がそこにセリフを貼り付ける作業があったから、必ず事前にコマ割りしてセリフだけは編集に書いて渡してたんだけど、『フータくん』のときに間に合わなくなっちゃった。


(中略)


――つまり、ネームも描かず完全アドリブで。


藤子Ⓐ:先はなんにも考えてない、もう間に合わないから(笑)。自分でも先が読めない、だから読者にも読めるわけがない。


(中略)


藤子Ⓐ:これはおもしろいなと思って、それからは一切ノートを取らなくなった。それから何十年、1回も下描きしたことない(あっさりと)。


――描いてるほうとしてはそっちのほうが楽しいんですか?


藤子Ⓐ:楽しいしラク。ノートを取ると予定調和みたいになっちゃう、僕の場合は。ほかの人は違いますけど。


――本来はちゃんとキッチリと構成を考えてやるべきものなんだろうけど。


藤子Ⓐ:ノートを取ってから描くと二度描きみたいになってしまう。


――それで刺激がなくなって。


藤子Ⓐ:刺激がなくなって、自分でもオチがわかってるから力が入らない。心配しながら、「これ、まとまらなかったらどうなるんだ?」ってドキドキしながら描くと、そこに切羽詰まったときのアイデアが出てきて、自分でも想像できないような展開になる、それがおもしろい。真剣勝負みたいになるから。


――……これは漫画家としては邪道なんですか?


藤子Ⓐ:まぁ、そうですね。特に今は編集が求めるじゃない、アイデアを見せてほしいとか。僕の時代は見せないでも通った。


『藤子不二雄Ⓐ先生×吉田豪「藤子不二雄Ⓐ展 -Ⓐの変コレクション-」開催記念ロングインタビュー!! | コロコロオンライン|コロコロコミック公式』より)

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ネーム無しということは、(基本的には)編集によるチェックが入らないことを意味しますが、同時に、描いている最中に自分でもオチが分からないということでもあります。恐るべき綱渡りですが、上手いオチがついた時の快感は、作り手と読者双方にとって相当なものです。一方で、オチが思いつかない時は原稿が完成しないことになりますが、漫画家として数十年やってきたⒶほどの経験があれば、改心のオチが思いつかなくてもそれなりにまとめてしまうこともできるのでしょう。そしてそれは、そのような切羽詰った状況下では、Ⓐの漫画家経験のみならず、人生や世の中に対する価値観が如実に反映されてしまうということでもあります。『憂夢』の幾つかにみられる、まるで考えオチのような読後感を抱かせるお話は、このようなネーム無しでの執筆環境でなければ誕生しなかったでしょう。



●Ⓐの変化

興味深いのは、同じモチーフを扱いながらも、幾つかのお話にはⒶの内面における変化が明らかに伺えることです。

 

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