おはようございます。マクガイヤーです。
先日の放送「最近のマクガイヤー 2018年12月号」は如何だったでしょうか?
久しぶりの放送でしたが、『ガンダムNT』や『ANEMONE(ハイエボ2)』についても話すことができて、満足しております。
現役医師で小説家の景山Q一郎さんにも出演して頂いて、楽しい放送になりました。景山さんには誕生日プレゼントまで頂いてしまいました。あざーす!
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
○12月29日(土)20時~「Dr.マクガイヤーのオタ忘年会2018」
例年お楽しみ頂いている「オタ忘年会」。2018年に語り残したオタク的トピックスやアイテムについて独断と偏見で語りまくります。
アシスタントとして御代しおりさん(https://twitter.com/watagashiori)に出演して頂く予定です。
ちなみに過去の忘年会動画はこちらになります。
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
○1月6日(日)19時~「ぼくらを退屈から救いに来た『SSSS.GRIDMAN』と『電光超人グリッドマン』」
(いつもより放送時間が1時間早まりますのでご注意下さい)
10月からアニメ『SSSS.GRIDMAN』が放送されています。
原作となる特撮ドラマ『電光超人グリッドマン』は1993~94年にかけて放送されていましたが、約15年間の特撮・アニメ・玩具・ネット環境・サブカルチャーなどの進化や深化を踏まえた演出・ドラマ・ネタの数々に、毎回ハァハァと興奮しながら視聴しています。これでやっと『電光超人グリッドマン』のことが好きになれそうです。
そこで、『電光超人グリッドマン』が平成特撮に与えた影響を踏まえつつ、『SSSS.GRIDMAN』のどこがどのように素晴らしいのかを解説するニコ生をお送りします。
アシスタントとして御代しおりさん(https://twitter.com/watagashiori)に出演して頂く予定です。
さて、今回のブロマガですが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』について書かせて下さい。なんかニコ生では上手く伝わらなかった気がするので。
●おれとクイーン
43歳になる現在まで、音楽を聴くという習慣を身に着けずに生活してきた自分ですが、クイーンは比較的よく聴いていました。クイーンを認識したきっかけは『オウガバトル』です。
『伝説のオウガバトル』は1993年にスーパーファミコンで発売されたシミュレーションRPGですが、メチャクチャハマったのです。続編である『タクティクスオウガ』には『オウガバトル』以上にハマり、2年以上プレイしていた記憶があります。
当時からオタクだった自分は、両作品のディレクターである松野泰己のインタビューがゲーム雑誌に載ると、必ずチェックするようにしていたのですが、クイーンの大ファンで、「ゲームのサブタイトルや地名はクイーンの楽曲から引用した」とか言ってるわけですよ。すっかり「オウガバトルサーガ」にハマっていた自分としては、聴かないわけにはいかなかった――というのがきっかけです。『ジョジョ』第四部に吉良吉影が登場したのはちょうどその後だったような気がします。
つまり、自分はにわかファンなわけです。自分が初めてリアルタイムでクイーンを体験できたのは、フレディの死後リリースされた『メイド・イン・ヘヴン』のみだったりします。
●クイーンと映画
一方で、クイーンは楽曲がよく映画やテレビに使われるバンドでした。クイーンというバンドを認識した自分は、これまで観ていた映画で耳にしていた音楽がクイーンのものだったということに気づきました。
有名なのは『フラッシュ・ゴードン』や『ナーズの復讐』、『ウェインズ・ワールド』などでしたが、それまで何度となく観ていた『アイアン・イーグル』や『ハイランダー』の主題歌もクイーンでした。サッカーでは「ウィ・ウィル・ロック・ユー」や「伝説のチャンピオン」が何度もかかってました。多分、『ボヘミアン・ラプソディ』を観て初めてクイーンを知った観客が次に観るべきなのは『ロック・ユー!』と「アンダープレッシャー」の使い方が素晴らしい『アトミック・ブロンド』なんじゃないかなと思います。
●映画『ボヘミアン・ラプソディ』と「正史」
そんな自分は『ボヘミアン・ラプソディ』を楽しみにしていて、公開後すぐに観にいったのですが、にわかファンな自分にも分かるくらい歴史的事実と異なるわけですよ。
まず、映画の中ではフレディが(孤独感からくる)ワガママでソロ活動を行い、クイーンが解散したかのように描かれていますが、ソロ活動をしたのはロジャー・テイラーやブライアン・メイの方が早かったわけです。
フレディの初めてのソロ・アルバム『Mr.バッド・ガイ』がリリースされたのは1985年ですが、『Xボンバー』のビッグダイXがカッチョよく描かれたで有名なブライアン・メイの『スター・フリート・プロジェクト』はその2年前にリリースされています。
ロジャー・テイラーに至っては1977年にシングル『アイ・ウォナ・テスティファイ』で早くもソロ・デビューしています。
ソロ活動が活発になった結果、メンバー間の人間関係が険悪になるも、1985年のライブエイドがきっかけとなって絆が深まった――というのは真実ですが、ソロ活動が活発になったのはフレディのせいではなく、ライブエイドは再結成コンサートではありません。そのライブエイドも、「魂に響くラスト21分」というキャッチコピーとは裏腹に、14分しかありません。「愛という名の欲望」「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を歌うシーンが無く(実際の撮影では6曲すべてを再現していたそうですが)、しかもその後夕方にフレディとブライアンは再登場し、2人で「悲しい世界」を演奏したりしています。
フレディとジム・ハットンの出会いのきっかけは、ホームパーティでのセクハラを主従関係を越えて咎められたから――という、ロマンチックな描き方をされていますが、(どう考えてもハッテン場な)ロンドンのバーです。ジム・ハットンという最良の恋人を得たことでフレディの孤独は癒された――という描き方をされていますが、ジム・ハットンは死後に『フレディ・マーキュリーと私』という本を出したりしています。これは厳密な意味での暴露本ではありませんが、絶対にメディアに出ないメアリーとは違い、ジム・ハットンはフレディとの思い出でおカネを稼いだことになります。
フレディのセクシャリティについて、メンバー全員が「だいたいわかった」みたいな顔をして、あえて口に出さず付き合っているのはこの映画の大きなみどころの一つです。だからこそライブエイドでの「伝説のチャンピオン」の歌詞が全ての答えになるような構成に感動してしまうのですが、実際にフレディがHIV感染を診断されたのはライブエイド後の1987年だったりします(「トラックのドライバーみたいなタイプが好き」といわれていたフレディが、実際にトラックのドライバーを追いかけていく描写はニヤニヤしてしまいましたが)。
また、エルトン・ジョンのマネージャーをやってたジョン・リードとは喧嘩別れしたように描かれますが、実際は円満に別れており、現在もブライアン・メイと仲良く二人でメディアに登場したりします。『アンダー・プレッシャー』を共作したデヴィッド・ボウイや、フレディをボーカリストとして尊敬していたマイケル・ジャクソンのような、同時代のアーティストがほとんど出てこないのも不満点だったりします。
●映画『ボヘミアン・ラプソディ』の素晴らしさ
しかし、こういった改変こそが『ボヘミアン・ラプソディ』を映画として面白いものにしており、世界中で大ヒットする作品にしているわけです。
そもそも、実在のアーチストを題材に映画を作る場合、たとえ「伝記映画」とされていても演出や創作や事実と異なる描写が全く入らないということはありえません。『ドアーズ』も『ストレイト・アウタ・コンプトン』も創作が入っていました。一方で、『ドリームガールズ』や『ジャージー・ボーイズ』のような、実在のアーチストを題材にしていても、一度ミュージカルを経てから映画化されるものは、いくら創作や改変が混じっていても、誰も文句をいうことはありませんでした。『アイム・ノット・ゼア』のような映画に至っては、一本の映画内で6人の俳優(うち一人は女性)がボブ・ディランを演じるというハチャメチャさです。
これら作品群に比べると『ボヘミアン・ラプソディ』の創作や改変はおとなしい部類に入ります。評論家の評価が低いのも、アーチストの伝記映画として極めてオーソドックスなつくりであり、革新的なことをしていないからでしょう。
しかし、観客は『ボヘミアン・ラプソディ』の魅力や革新性がそんなところに無いことを知っています。
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マクガイヤーチャンネル 第199号 【藤子不二雄Ⓐと映画と童貞 その12 「『劇画 毛沢東伝』から『プロジェクトPOS』まで――Ⓐのドキュメンタリータッチ作品群】
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【第201号】藤子不二雄Ⓐと映画と童貞 その13 『まんが道』その1