おはようございます。あと三ヶ月ちょっとでまた『スター・ウォーズ』の映画が観れるという事実に驚いているマクガイヤーです。
この年になると1年があっという間です。
先週放送しました「最近のマクガイヤー 2016年9月号」は如何だったでしょうか?
番組内のコメントの受け答えでホーキング青山さんが亡くなったと発言してしまいましたが、誤りです。大変失礼致しました。
友人から「マクガイヤーゼミの方で『君の名は。』と新海誠特集をやれば良かったではないか」などといわれましたが、そうかもしれません。こんなにヒットすると思わなかったのです。
さて、番組内でお伝えしました50回記念オフ会ですが、下記日時に決定しました。
日時:10/22(土) 14時(13時半開場)~18時(予定)
場所:ワニスタ
参加希望者は下記フォームにてご申請下さい。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScpfkKnxSPUpZkWn...
詳細は未定ですが、皆でマクガイヤーのお勧め映像を観た後、歓談するというような内容を予定しております。
参加料は無料です。差し入れ大歓迎です!
その後、二次会として近くの飲食店での飲み会も予定しております(こちらは3000円となります)。
応募者多数の場合はTwitterとFacebookのIDがある方から選びますので、是非書いておいてね!
また、マクガイヤーチャンネルの今後の予定は以下のようになっております。
○9月19日(月) 20時~
「LAヤンキー愚連隊! 『スーサイド・スクワッド』とデヴィッド・エアー」
9/10より期待の新作アメコミ映画『スーサイド・スクワッド』が公開されます。
本作は『DCエクステンデッド・ユニバース』シリーズ三番目の作品でありつつ、これまでアメリカの町のゴロツキが自己実現を図る不良性感度120%な映画ばかり撮ってきたデヴィッド・エアー監督にとっておあつらえ向きの企画でもあります。
そこで、アメコミ、監督、不良映画……といった側面から『スーサイド・スクワッド』を解説します!
○10月前半 20時~
「テン年代の『闇金ウシジマくん』」
9/22より映画『闇金ウシジマくん Part3』が、10/22より映画最終作となる『闇金ウシジマくん the Final』が公開されます。
また、現在テレビドラマの第三シーズンが深夜に放送されています。
これらはいずれも2004年より連載されている漫画『闇金ウシジマくん』を原作としたものです。
当初は『ナニワ金融道』のクローンでしかなかった本作ですが、「新しい貧困」「マイルドヤンキー」「ワーキングプア」「格差社会」……といった「現在」を映し出し、もはやゼロ年代後半やテン年代のニッポンを代表する漫画であるといって良いでしょう。
そこで、原作漫画を中心に『闇金ウシジマくん』について特集します!
○10月後半 20時~
「最近のマクガイヤー 2016年10月号」
いつも通り、最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
詳細未定。
○11月前半 20時~
「ニッポン対ワクチン」
子宮頸がん予防(HPV)ワクチンの副反応や、HPVワクチン薬害研究についての疑義、というか捏造報道など、ワクチンに関する報道や話題が盛り上がっています。
そこで、そもそもワクチンとは何か、どのように発明されどのように使われてきたのか、何故大事なのか、なにが現実でなにが虚構なのか……等々について今一度しっかり解説します。
○11月後半 20時~
「最近のマクガイヤー 2016年11月号」
いつも通り、最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
詳細未定。
お楽しみに!
番組オリジナルグッズも引き続き販売中です。
マクガイヤーチャンネル物販部 : https://clubt.jp/shop/S0000051529.html
同じく新製品シン・ゴジラTシャツ
思わずエナジードリンクが呑みたくなるヒロポンマグカップ
いつもイラストを描いて頂いているアモイさん入魂の一品、キヨポンマグカップ
情報量が多すぎる印南マクガイヤー善一TENGATシャツ
夏にぴったり! ファインディング・シーマンTシャツ
……等々、絶賛発売中!
さて、今回のブロマガですが、『君の名は。』と新海誠、そしてプロデューサーの川村元気に関して話し足りなかったことについて書かせて下さい。
新海誠は90年代美少女エロゲー・セカイ系文化圏を出自に持つアニメ映画監督です。日本ファルコムで『イースIIエターナル』や『英雄伝説 ガガーブトリロジー』のオープニングムービーを製作していたことは有名ですが、日本ファルコム退社後も『BITTERSWEET FOOLS』『Wind』『はるのあしおと』『ef』といった、minoriというブランドのエロゲー作品のオープニングムービーを製作しています。
minoriは新海誠が所属しているコミックス・ウェーブの関連会社(当時はソフトウェア事業部)であり、振られた仕事という理由もあったのかもしれません。ともかく、エロゲー仕事を黒歴史にしたりせずきちんと自分のサイトで解説したり( http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/works/minori_haru/index.html )、『美少女ゲームの臨界点』という評論集の表紙を描いたりしていることから、新海誠が自分の出自に自覚的などころか、相応のプライドを持っていることが伺えます。
自分が今あるのはエロゲーのおかげ、というプライドです。
セカイ系はともかくとして、エロゲーという出自は、アニメの監督としてはどちらかというと異端の部類に属します。
何者でもない、童貞でしかない若者が、どうやってアニメ監督になるかというと、動画マンや制作進行からから成り上がって演出助手になり、演出になり……といった流れが一般的でした、90年代までは。
ところが00年代以降、撮影やCG部門出身の演出家が増えました。デジタル化が進み、3DCGやCGによる特殊効果への理解が必要不可欠になってきたからです。
そんな中でも、新海誠の経歴は「アニメ製作会社出身でない」「テレビシリーズを経験していない」「ほぼ一人で作り上げた『ほしのこえ』で映画監督デビューした」という点で異色です。本人も「そもそも僕はアニメの現場に入って勝負しようとは思わなかった人間なんです」等々、これを自覚しているような発言をしています( http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3471.html)。
おそらく新海誠監督の中には、クリエーターとしての表現欲求とは別に、「エロゲー出身だけどビッグになって世間を見返してやりたい」的な欲望があるのではないでしょうか。多くの人が「新海らしくない」と感じた『星を追う子ども』を何故作ったのかというと、アニメ業界のような狭いジャンルではなく、宮崎駿のように一般的・世界的な評価を受けたいという欲望が心のそこにあるからなのではないでしょうか。
それでは新海誠監督の中にあるクリエーターとしての表現欲求とは何でしょうか?
『ほしのこえ』のやる気の無いロボット描写、『星を追う子ども』の劣化版ジブリのような世界観、『君の名は。』の適当な彗星の軌道……等々を挙げるまでもなく、SFにも(幻想文学としての)ファンタジーにも興味の無いことは、明らかです。
新海誠の興味の対象、命を賭けても表現したいもの――それは「思春期の少年にとっての恋愛」「きらきらと光り輝く過去への郷愁」、「美麗な画面と音楽がシンクロした映像」……といったものに他ならないでしょう。
特に恋愛、それも「青春期に離れ離れになった運命の女性を大人になるまで忘れられず再会したい男子」「特殊で重たい設定を背負わされている女子」が、ほとんど全ての作品に出てきます。新海誠は今年で43歳ですが、思春期の恋愛が忘れられないおっさんであると断言して構わないでしょう。これは、今更自分がいうまでもなく、多くの人が指摘していることでもあります。
そして、「運命の女性との恋愛」は、多くの観客が考えるハッピーエンドの形としては成就しません。
新海誠作品はどれも「ヒロインが大した理由なしで主人公のことを好きになる」「主人公の心の変化のみでセカイの問題が解決される」「極端なエログロは画面に現れない」……といった、童貞の願望充足ファンタジーとしての要素が共通しています。そして同時に、それらは新海誠の出自である90年代美少女エロゲー・セカイ系文化圏の定型でもあるのですが、唯一「運命の恋がよくある形で成就しない」という点だけは要件を満たさず、定型を裏切っているのです。
成就しない運命の恋が、新海作品についてよく表される「喪失感」に繋がります。「何かを喪失することで大人になる」という、(これまた典型的ではありますが)ビルドゥングスロマンに部分的に逆戻りしているともいえます。
自分の友人は新海誠作品を「童貞がウジウジする話」と評しましたが、なぜウジウジしてるかといえば、主人公がヒロインを押し倒してセックスする――みたいな場面は絶対にないし、主人公とヒロインが家庭を持って子供を作ってそれなりに幸せに暮らす――みたいな物語は絶対に描かれません。北方謙三でなくても「ソープへ行け!」と言いたくなるわけです。
しかし、この喪失感は、どう考えても非モテで満たされない青春時代を送った新海誠にとってのリアルであり、「ご都合主義」とバランスをとるための「リアリティ」であり、童貞の願望充足ファンタジーを願望充足で終わらせることなく、自分にとっての苦い現実を反映させ、観客に切実な思いを受け取って欲しいという、ある意味での「誠意」であるわけです。
そして、この誠意こそが新海誠をオリジナリティ溢れる映画作家たらしめる重要な要素でした。「魂」と呼んでも良いでしょう。
そんな新海誠の前に、人間の形をした悪魔が現れました。
「僕と契約して、第二の宮崎駿になってよ!」
戸惑う新海に、悪魔は言葉を続けます。
「キミは比類なき魔法少女の才能……じゃなかった30過ぎても魔法を使えるかもしれない童貞アニメ少年の才能を持っているんだよ! 宮崎駿も庵野秀明も、この前一緒に仕事をした細田守も同じものを持ってたんだ。 富野由悠季と押井守は残念ながら持ってなかった……キミは今、駿になるか、富野や押井になるかの分岐点にいるんだよ」
「僕と契約すれば、お金もスタッフも(日本で作るアニメ映画としては)使いたい放題だよ! ジブリ映画と同じ宣伝で売ってあげられるよ。日テレの朝と昼のワイドショーで加藤とナンちゃんに褒めさせることなんて朝飯前さ! キミみたいな才能の持ち主なら、細田守と同じレベルのプロデュースをしてあげられるよ。RADWIMPSに音楽を頼みたいの? 友達だから、今すぐメールしてあげるよ!」
場所は有楽町のガード下の安い居酒屋という、天下の大悪魔が好条件で営業してくるには、一見ふさわしくない場所でした。しかし、信州の田舎の進学校を卒業し、都会にそれなりの憧れがあった童貞少年としては、心をつかまれるシチュエーションでした。
なによりも「第二の宮崎駿」という誘い文句が奮っています。『星を追う子ども』を監督し、失敗した身としては、抵抗できない誘惑です。
すぐさま契約してしまう新海誠監督。
しかし、世の中にそうそう上手い話があるわけがありません。当然ながら悪魔は見返りを要求してきます。
「僕のいうことは絶対聞いて欲しいんだよね。会社のおカネをいっぱい出すんだから当然だよね? こっちも慈善事業じゃないんだから当然だよね? 聞かれなかったからさ。知らなければ知らないままで何の不都合もないからね」
悪魔は、映画作りを熟知しています。大事なのは脚本です。脚本がマズくても、奇跡がおきれば「良い映画(あくまでも悪魔にとって「良い映画」ですが)」になるかもしれません。しかし、悪魔なので、奇跡には頼りません。脚本には可能な限り拘ります。脚本さえ上手くできれば、後はおカネで良いスタッフを揃えるだけで「良い映画」が絶対にできるのを悪魔は知っているからです。
「まず、三幕構造をきっちり守った脚本にして欲しいんだよね。
キミの『雲のむこう、約束の場所』や『星を追う子ども』がマズかったのは、不得意で興味のない題材に挑戦したからだけじゃない。長編の構成力がなかったからなんだ。特に大事なのは第一幕だよ。開始15分以内に主人公とヒロインの入れ替わりを描写して心をつかまないと、客はおうちに帰っちゃうよ。
「恋愛、すれ違い、電車、都会と田舎、心の声のナレーション、音楽と映像のドラッギーなシンクロ……これまで観客のウケが良くて、パヤオがやってないものは、全部入れるんだ。ベスト版みたいな映画にしてね。「時よ止まれ、お前は美しい」とお客さんが飽きるくらい言ってね!
二回同じことはやりたくない? 全国のシネコン300館で公開されるんだから、9割のお客さんはキミの過去作なんてみてないよ! そうそう、細田守の同ポジはパクってOKだよ」
そして、悪魔は決定的な指示を出しました。
「これまでキミが大事にしていた「喪失」は、第二幕で描くんだ。でも、第三幕を通してそれが埋め合わされる構成にして欲しい。
誰も暗い気分でおうちに帰りたくないよね? 特にこの映画で描かれる「災害」は、誰でも311を連想するでしょう? キミもそのつもりで書いたんだよね?
思春期の失恋を無かったことにすることが、311を無かったことにすることに繋がる――キミの個人的な葛藤の解決が、時代の欲望に結びつく――キミが作るアニメで過去を変えられるし、アニメで死者も蘇らせることができるんだ。これは最高の映画になるよ!」
皆さん、もうお気づきのことと思いますが、この悪魔は名前を川村元気というのです。
(この続きは有料でお楽しみください)
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