2013年10月31日 総合政策会議
小沢一郎代表は総合政策会議にて計4回講演を行いました。第1回目の10月31日は、「国会改革について」をテーマに語りました。
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○畑浩治 総合政策会議議長
それでは、今、畑君から話があったように、一度政策会議の場で持論を述べてみよということなので、今日はそのことについて若干申し上げたいと思う。
議員の皆さんにはお手許に私のメモがあると思うけれども、今、畑君が言ったように、国会改革という大変大きなテーマを掲げているけれども、中身がそのテーマには少々相応しくないくらいの些細な問題の様な気がしている。
したがって、ここは、そういった現実の与野党のどうこうという問題を離れて、国会改革についての意見を申し上げたいと思う。
まず、国会改革については、少し論理的に整理して議論しないと、何もかもメチャクチャに思いついたことで議論しても、いい結果・結論は出ないと思う。だいたい何の議論も全て、そういう思いつきでやっている嫌いがあるので、そこはぜひ我が党としては、それぞれきちんと頭の中で整理して議論を進めていくようにしなければいけないと思う。
そこで、メモをご覧いただければ分かる通り、国会改革には「憲法の改正が必要な事項」、「法律・法令の改正が必要な事項」、「運用の範囲内で実現可能な事項」と分けて考えていくと、頭の整理ができるように思う。
まず、憲法改正が必要なものとしては、衆参の現在の両院制度のあり方。その権能等について、もう一度再検討していこうと。今日はこのことについて触れないが、大きな議論の多い問題だから短時間で結論の出る話ではない。
この衆参で構成している国会だが、この権能についての認識がしっかりと政治家皆さんの頭に入っていないと、これもまた、それぞれその場その場の思いつきと、現実的必要性だけの議論になってしまうので、ここは具体的にこうする、ああするという話しの前に、衆参二院制度を採っている我が国の議会制度はどうあるべきか。
また、両院はどのような権能をそれぞれ有すべきか。ということを、しっかりと頭に入れてもらいたいと思う。
そして、その前提に立って次に、国会議員の抽出方法・選出方法というのがある。これは国民の直接選挙によって代表を選ぶということに憲法43条でなっている。
これを衆参ともに直接選挙で選ぶということになると、必然的に、同じような性格付けになってくる。アメリカその他のように、上院は歴史的形成から州の代表者であるということが明確になっている国の場合はそれでいいけれども、そうでない場合は、衆参の両院制度と関連してくる。衆議院は直接選挙だけど、参議院は間接選挙にした方がいいのではないかとか。その逆でもいいだろうけれども。
俗に言えば、衆議院が直接選挙で、では参議院はどうするか。それから、参議院の政党化は良くないということがよく言われる。これは、本当に良識の府として衆議院のチェック機能を果たすべきであると、常識的に参議院の役割として旧来からずっと言われ続けてきていることである。
ところが、同じ選挙をやるということになったならば、政党化するのは当たり前である。 政党政治・議会政治の中で、選挙するのに政党に属していなければ、選挙にならないのだから。だから、ここが関連してくることで、これは衆参の制度をどうしようかという結論を出す時に関連してくる問題。それから、任期の問題があるが、それほど(重要で)はない。
次に、再議決要件というのは今3分の2だけれども、これがやはり衆参のあり方とかなり、と言うよりも、密接不可分な関係を持っているので、ここも衆参の二院制度・両院のあり方の中で考えていかなくてはならないと思っている。
皆さんも同じだろうけれど、私自身の結論だけ言えば、やはり本来の国民を直接代表する衆議院と、その衆議院のチェック機能として、良識の府としての参議院というのが、理屈の上では、理想の上では一番いいと思う。
ただ、ではどうするのだという現実の問題になるとなかなか大変だということで、この議論は、後にまたゆっくり、それぞれ皆さんにも考えていただきながらやってもらいたいと思う。
それから、今、色々と話題にもなっている通年国会であるが、メモではいつでも開けるとあるけれども、いわゆる1月に召集しなければならないという規定があるけれども、この通年国会と違った考え方のもとに、憲法が多分なされていると思う。それは、臨時会の召集が憲法53条で決められている。
私は、通年国会の議論に賛成である。1月1日から12月31日までを会期とするということで、後は議運の運び方で自然休会を採ればいいことだから、どのようにでも必要性に応じて一年中会期があれば、いつでも実質審議に入ることができるということになるので、私はそういう考え方の方が合理的ではないかと思う。
臨時会なんて、特別会もそうだけれども、天皇陛下にわざわざ来てもらって閉会するその日に開会式をやって、阿呆みたいな話を何の疑問もなくやっているという。これが本当に、私は理解できないのだが。まあ、シンボリックに言えば私は、通年国会で1月元旦でもいいし、天皇陛下に開会式に一度来ていただければよろしいと、それで充分だと思っている。
その中で、ちょっと立法技術的な話しになるけれども、憲法54条に特別会のことがある。選挙の後の特別会。これは、どういう規定の仕方をすればいいか、専門家ではないので分からない。衆議院解散中の、参議院の緊急集会。これも国会の必要な時には、議決をすることができる旨の(規定)がある。これは、大した本質的な問題ではないと思うが、条文上の立法的なあれ(意図)は分からない。
特別会は、衆議院がまるっきりなくなって後のことだから。これをどうするのかは、立法技術的には分からないけれども。いずれにしろ、臨時会の招集は、今言ったように基本的に通年国会を予想していない規定。これは、変えなくてはならないだろうと思う。
憲法改正についての当面の具体的なこととしては、両院制度の見直しの問題は大変な議論であるし、結論もなかなか難しい所なので別として、当面、通年国会というのは、臨時会の規定を無視してやってしまうというのも、できないわけではないかもしれないが、これは法制局に聞いていないので分からない。
しかし、考え方としておかしい。臨時会があるということは、通年国会ではないということだから。だからここを、通年国会にする場合は、直さなくてはいけないのではないかと私は思う。そのようなことが憲法改正上の問題である。
次は、法令の改正が必要なものについて。今、「クエスチョン・タイム」というふうに言わずに「党首討論」となっている。これは、イギリスの例をならって、自由党が連立した時に嫌がる自民党を無理やり動かして作ったものだけれども、これは総理大臣に対するクエスチョンである。だから「党首討論」というのと、本来はちょっと意味が違う。
ただ、多分野党は党首が(質問に)立つだろうということで「党首討論」(としたのだろう)。「党首討論」と誰が使い始めたのか。私は決して言わなかったけれど。私は言い出しっぺの提案者だったが、クエスチョン・タイムということで、日本語訳すると巧い日本語がないので「党首討論」とマスコミか誰かが言ったのだろうと思うが、意味は違う。
イギリスでも必ずしも党首ではない。また、与党の議員も質問できる。ただ、メインはもちろん総理に対する野党からのクエスチョン。だから、党首討論の部分が大分を占めるということになる。これは、英国では、何曜日かは忘れたけれども、毎週やっている。時間は30~40分だけれども、毎週やるということになっている。
だから、これと(関連)してくるのは、メモで「運用の見直しにより実現可能なもの」というのは、国務大臣の出席要求の権利があるわけだけれども、今、国務大臣が出席するとかしないとかゴチャゴチャ言っているし、それから、本会議での質疑が言いっ放し、聞きっぱなしという話になってしまっているので、その意味では、毎週1回総理も出てくるということになれば、本会議での趣旨説明で「総理出ろ、出ろ」と言う必要がないことにもなる。その時にやればいいわけだから。それから、党首でなくてもできるということにすればいいわけなのだから。
これも、まったくの運用・運営の問題で、英国の例を見ると、どうしても海外の国際会議等々で総理が出られないという時には、代わりになる人がやるということがあるそうだ。ただ、このクエスチョン・タイムは、ほとんど総理が出ているように聞いている。これも、「党首討論」という日本語訳が定着してしまったもので、どういうふうにやればいいかは分からないけれども。
法律あるいは規則に「党首」と書いてあるだろうか。書いていないだろう。多分党首だけだとは書いてないと思うけれど、書いてあるとすれば直さなければならない。「党首討論」というふうに書いてあれば、それも直さなくてはならないということになる。
これでもって、総理が出席しろとかしないとかという問題は、かなり解決されることになるし、言いっ放し、聞きっぱなしという問題ではなく、実際の討論ができることにもなる。これは現実的にも、1つの解決策になり得るだろうと思っている。
それから、もう一つ。メモにはその上にある「政府参考人の出席」。これも自由党の時代に、自民党が嫌がるのをそうさせたのだけれども。ついつい、交渉している時に「政府委員」という言葉はなくしたけれども、「政府参考人」ということで妥協してしまって。私は後で言ったのだが、妥協して「参考人」ということにしてしまった。それで事実上は、我々が去った後は以前とまったく変わらない状況で今日まで来ている。
これも英国の例だけれども、英国では本来の委員会には官僚はまったく出席できない。もちろん細かいことを聞かれて必要な時は控室に控えていて、そこに秘書官が走ったり政務官が走ったりして、役人から細かい話は聞いてまた委員会に戻って来て大臣に耳打ちするとか、メモを入れるとかということはやっているようだけれども、直接的には官僚は委員会の討論に参加できない。
そういう中で、ちょっとそれだけでは色々高度化し複雑化している現状に対応できないということで、「委員会制度」法令のメモの一番上に載っているが、これを、いわゆる官僚の入れない法律案の審議等の本委員会とは別に、官僚をはじめその他の民間人であれ何であれ、必要な意見を聞く、資料を求める、という「委員会」を作っている。そういう、役人や何かから聞く「委員会」を別に作っている。
それで、そこで役人を呼んだりして全部聞く。本委員会だけはちゃんとそこで勉強して来いと。本委員会は、その勉強を基に自分自身で質疑応答を全部する、ということになっているのだが、私はその方が良いだろうと思っていて、これはぜひ実現したら面白いのではないかと思っている。
したがって、「政府参考人の出席はなし」という当初の主張通りに、政治家だけでやるというふうにすべきだと、私は思っている。
それが国会の質疑等に関する問題。「委員会制度」、「政府参考人」、「政府委員」、「クエスチョン・タイム」である。
もう一つ大事なことは、その背景となる「国会の権能の強化」である。「調査権能の強化」。私が以前出した案では、国会の事務局、調査局、それから国会図書館。これらを、「法制局」、「調査局」、「国立国会図書館」等々だが、全部一緒にして、「立法調査院」とすべきではないかと思っている。そして、ただそれを作っただけでは今と同じである。そこに、行政府に対して立法に必要な資料を請求する権限を与える。
今でも、「国政調査権」は委員会を経由すればできるけれども、結局「委員会」というのは、与党が多数を占めているから事実上はできない。
だから、その意味で「国政調査権」と同じというわけにはいかないだろうけれども、一定限度の制限は加えたとしても、国会の立法の補佐として調査機能を、権能を持つ事務局体制・立法院を作るべきであると思っている。
これは、議院内閣制では国会というのは政府対野党である。ここは、まったく日本人は、政治家も勘違いしているところである。だから、自民党は長年一党政権だったから、そういうふうに頭に染み込ませるような仕組みを作った。そして自分達の立場を強化するために、政府と党とは別物であるかのような形で、政府与党の色々な論議という間をつくり、与党に「政務調査会」、「政調会」を設けて、自分らの政府と「党の政調会」が色々ガチャガチャやって、党が皆のためにこれだけ獲得したと、まあ野党みたいなことを言って、誤魔化していたということである。
その背景は、日本では実際に政治・行政を行なっているのは官僚だという意識が、政治家にも国民にもあるから、政府と言うと、自分らが選んでいる総理大臣や国務大臣ではない。官僚なのだ、頭の中の対象は。だから結局、党と政府の職責にいる者は、官僚の意と反することができないから、党に残っている者がチョコチョコやって、党の意向を通したというふうに言ってきたわけである。そうやって誤魔化してきたけれども、これはまったく笑止千万な、本当に誤魔化しでしかない。官僚の糊代をとって喜んでいたということ。官僚は甘い糊代に満足しているお馬鹿さん達を見て、ニヤリと舌を出して笑っていたという類いの構図である。だから、我々も今野党だから、本当にここがしっかりとした野党として、理念的・政策的対決をしていかなくてはならないと思う。
民主党時代も、多くの若い人達が「政府の提案通りよりも少しでも変えれば、それだけでもいいじゃないですか」と、「それが我々の役目です」と真顔で言って来たものだから、その「自・社対立の不毛なイデオロギー対立の時代を過ぎて、我々はそういうことでやるんです」と、これは与党になる前だが、言っていた。だから、何を言ってるんだと。55年体制は、イデオロギー対立などない。全部、共産党を除けば談合で満場一致だ。その裏方は私がみんなやって来たのだから、勘違いしてはいけない。これからは、そういう談合体質・コンセンサスの満場一致の体質を打破して、本当にしっかりした対立する理念を掲げ、政策を掲げて、丁々発止の議論をするというのが民主党の、野党の役目であると、こう言ったのだけれど、良く分かってもらえないままに終わり、政権を獲ってもなおかつ分からずに今日に至ったということである。
だから、「立法調査権能」を、立法調査のための調査権能を強化しないと、まったく情報が出てこない。ということは、役所の言う通りという話しになってしまうので、ここは国会としてもう少し権限を強くすべきである。与党は、そのくらいのことにちゃんと対応できるくらいにならなきゃダメだということである。ちょっと情報を教えたからって、それで国会でやっつけられるような与党ではいかん、ということである。
それから、衆参国会議員の定数、委員会の定数、同意人事とかあるけれども、これはそれほど本質的な問題ではないので、省くこととする。ただ、委員会定数は変だ。これだけは変えた方がいい。全部足すと議員の定員以上である。本当におかしいと私は思うけれども、これも簡単に変えられるから。やはり、議院の定数より委員会の決まった定数の方が多いというのは、どう考えてもちょっと変な気がするのだけれども。もちろん、どこの委員会に出ようが、差し替えてやればいいのだけれども、そんな気がちょっとする。
それから、「運営」によってできるもの。運用自体。委員会の開催。これはまた、英国の例を言うけれども、英国は(議員が)職業を持っている人がほとんどだから、夜ずっと審議をしている。だから、定例日というのはある意味で、あまり委員会の開催を頻繁にせずに審議を長くするという裏の意図が含まれているのだけれども、これは、私は賛成ではない。
野党にやりたいだけやらせたらいい。それで定例日をなしにするために「特別委員会」を作るなんて邪道だ。だから、定例日はなくした方がいいと私は思っている。
これまた、与党についてだけれども、私が自民党幹事長の時に、当時社会党は予算案に反対して予算関連法案に賛成するという態度をとった。予算が通ってしまうと、誰も関心がなくなるものだから、4月、5月の予算関連法案は、それを否決してしまうと自分たちに支障をきたすものだから賛成してしまったのだ。
それで私は、おかしいということで、今でも国会やなにかで暫定予算を作らないように、作らないようにと一生懸命やるであろう。私はその時社会党に、もういい、もういくらでも好きなだけやれと、朝から晩まで10日でも20日でも、やりたいだけやれ、と言ったら、1日2日経ったら「勘弁してくれ」と、「もう言うこと無い」と言ってきた。それでも、それでは言うことが無いなら、ここらで採決するか?と言って採決したんのだけれど。そんなものやらせたって、たいしたことはない。もう、暫定予算になったからってたいしたことない。これは、大蔵省が全部頭を洗脳してしまった結果なのだ。その意味では、議論をいくらでもして深めた方が、私は良いと思う。そんなに長々とあるものではない。
しかし、もう一つは、我々が今度は野党だからだけれど、予算に反対して関連法案に賛成するというのは絶対おかしいということ。予算のトータルには反対だけれども、一部ここの部分のここについては、ほんの一部については賛成だから、関連法案に賛成するということはあっていいのだけれども、とにかく彼らはみんな賛成していたわけだから、知らないうちに。これは、おかしい。私は、そんなことはおかしいじゃないかと、予算に反対するなら、そっちも反対しろと迫った。
ところが、そういうわけにはいかないとか何とか言って、一番(の理由)は公務員の給料だったのだ。国家公務員からなにから、これに社会党が反対して、給与払えないとなったらもう大変だと。組合から怒られるという話で、彼ら、もう大変なジレンマで。だけど、私はそんなことはダメだ、絶対ダメだと言った。
それで、国家公務員の給料を一月止めた。そうしたら、一番に組合が来るかと思ったら、大蔵省が飛んで来て「大変だ、大変だ」と。お前達、何が大変なんだと言ったら、「自分の給料も出ない」って言っていたけれども。そういうこともあった。だから、ある程度のことは必要だけれども、色んな意味での妥協というのは必要なのだけれども、本質に関わることについてはやはり筋を通さないと、国民は野党が政権を担当する能力があるというふうには、判断しない。
だから社会党は絶対政権獲れなかったのだ。
だから、今も我が党は、可能な限りきちっと筋を通してやって来ているけれども、何か野党が自民党と似たようなことを言い出すようになっては、これはもう、国会・民主主義は機能しないし、今後も政権は獲れない。私はそう思うので、「国会改革」というのは非常におかしなところもあるけれども、基本的にはそういう中身でやるべきだと思っている。国務大臣の国会出席も、似たようなもので、それ程の本質的な問題ではないと、私は思っている。
やはり問題は、野党提出の議員立法について。これは、与党の都合が悪いからといって潰すというのは(いかがなものか)。与野党両方なのだけれど、良くないと思う。多数で議員立法を阻止しようとするのは良くない。きちんと委員会で議論して、反対なら反対と否決すればいい話しであって、何かウヤムヤのうちにやるというのは、特に政権与党は多数あるのだから。また、野党の方も、単に引き延ばしでツルシ、ツルシということもいけない。むしろ質疑時間を充分にゆっくりと取るということの方が、良いのではないかという気がする。
以上が、今、私が思い付いている国会の問題点である。以上。