八月初旬の朝、次第に強くなる夏の陽射しの下を走る。青い空に映える入道雲を見ているうちに、あの日もこんな夏空だったのだろうかと72年前に思いを馳せていた。まだ生まれていなかったにもかかわらず、その怖いくらい美しい夏空はくっきりと僕の脳裏に刻まれている。子供の頃、終戦や二度の原爆投下について学んだ際、頭の中で思い描いた青と白の絵の具でベタ塗りしたようなコントラストの強い夏空だ。風がぴたりと止んでいる夏空だ。
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コメント
(著者)
>>1
生き続ける命がある限り過去にはならないし、してはならないんだなと思いますね。
(著者)
>>2
最近は漫画や映画の出来事だと勘違いしている子供もいると訊いて驚きました。「はだしのゲン」は絵が怖くて読めなかったという子供時代を過ごした若い人も少なくないみたいです。残酷なものだからこそ目を背けることなく誰もが見ないといけないというのも暴論なんでしょうかね。
(著者)
>>3
戦争は外交手段だなどと知った風なことを言う人が増えた気がします。戦争は人殺しだと言うと非国民だと言われた時代を思い出さずにはいられません。戦争はただの人殺しです。
(ID:48932855)
昨年、長崎を訪れました。そして山王神社にお伺いし、被爆クスノキと呼ばれる楠を見てきました。真っ青な空の下、楠は青々と葉を茂らせその命を輝かせていました。
あの日を実際に見ていない私ですが、あの日を言葉なく伝えている楠が今、平和に暮らす私たちをずっと見つめているようでした。
核保持がまだ続く世界。楠は一体どう思っているのだろうか。私たちは本当に平和社会に暮らしているのか、改めて考えさせられました。