子供の頃からずっとひとりだったからだろうか。「我々」という集団に対して常に懐疑心と恐怖心がある。暴走族や暴力団など社会にとって悪しき集団はもちろん、デモや政党など自分たちを良きものとして活動している人たちも「私は」という主語で正義を説く一個人としては平気なのだけれど、ひとたび「我々」という主語で同じ事を語られるとどうにも身構えてしまう。