うちでは大阪だからなのか、時代なのか、はたまた下町の普通の家柄だからなのか、「おとうちゃん」と「おかあちゃん」でした。母は父をいつも「おとうちゃん」と呼んでいて私たちと話すときもそうでしたが、父が母を呼ぶときには名前を呼び捨てで声をかけていました。父も母も私たち子供を呼ぶときには呼び捨てでした。まあ、二人とも大正生まれでしたからね。 時代的にパパ・ママは特別な家庭でしか使われておらず、まわりではそんな呼び方は絶対にできない空気でした。気がついたらいつのまにか外では「父・母・祖母」とかちゃんと言えるようになっていましたが、いまだに姉たちと話すときには「おとうちゃん」と「おかあちゃん」ですし、仏壇の遺影に話しかけるときもそうですね。おとうさん・おかあさんは私の人生にはあまり登場しません。おもしろいですね。
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(ID:49659036)
うちでは大阪だからなのか、時代なのか、はたまた下町の普通の家柄だからなのか、「おとうちゃん」と「おかあちゃん」でした。母は父をいつも「おとうちゃん」と呼んでいて私たちと話すときもそうでしたが、父が母を呼ぶときには名前を呼び捨てで声をかけていました。父も母も私たち子供を呼ぶときには呼び捨てでした。まあ、二人とも大正生まれでしたからね。
時代的にパパ・ママは特別な家庭でしか使われておらず、まわりではそんな呼び方は絶対にできない空気でした。気がついたらいつのまにか外では「父・母・祖母」とかちゃんと言えるようになっていましたが、いまだに姉たちと話すときには「おとうちゃん」と「おかあちゃん」ですし、仏壇の遺影に話しかけるときもそうですね。おとうさん・おかあさんは私の人生にはあまり登場しません。おもしろいですね。