他力本願になれない子供だった。親の力に頼らねば生きられない自分の無力さがもどかしかった。子供ってなんて不自由なんだろう。大人になればこの不自由さから抜け出せして自由になれるんじゃないだろうか。ずっとそんな風に思っていた。
だから、七夕の短冊にはいつもこう書いていた。
「はやく大人になりたい」
精一杯の大人びた字で書いていた。
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
(著者)
>>2
僕は17歳の冬に「今のこの気持ちのまま大人と同じ財力や権利を身につけよう。つまらない大人には絶対にならない」と誓いました。そうすれば最強じゃん、と。大人は嘘つきで事なかれ主義でつまらない人種だと完全に上から目線でバカにしてたんですね。そいつは今も僕の中でしっかりと生きていて、つまらない大人になりそうになると文句を言いに出てきます。面倒臭いです(笑)
短冊に書かれている願い事、時代の変化を感じますね。でも最後の短冊を見ると、時代が変わっても人の心は変わらないのだなとちょっと安心しました。
私が子供の頃に短冊に書いた願い事は、両親が決めていた私の将来像だったような気がします。今の私は全く違う道を歩んでいますが。
大人が子供の夢を決めるのではなく、子供が自然と成りたい大人、成りたい将来を短冊に書けるのが一番いいのですがね。
(著者)
>>6
両親に期待されたことがないので(笑)僕自身は「こうなって欲しい」と言われたことはないですが、「両親が決めた私の将来像」という言葉の中にご両親の「しあわせになって欲しい」というあたたかい想いややさしさを感じました。まあ、時にそれが「重い」とか「プレッシャー」などと感じられてしまうこともあるのが厄介なんですけどね。
(ID:29910722)
おはようございます。
短冊の願い事、ほっこりしますね。
あのころ、自分はどんな願い事をしていたか
あまり覚えてはいないけれど、
いつもみんなが笑顔でいられますように、
と願っていたかな。
いつも怒っている大人たち、唯一祖母だけがいつも微笑んでいて、それにたくさん助けられた。だから、
大人に笑ってほしかった。
大人になった自分はどうかな、
最近の自分は、怖いかおしてるなーと
ふりかえながら、駅前の短冊をながめてました。
まさに、もう自分は叶える側なんですね。