朗読短編『桜川』
著:古樹佳夜
絵:花篠
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吽野:浅沼晋太郎
阿文:土田玲央
少年:木島隆一
◆◆◆◆◆道・夕方◆◆◆◆◆
夕方、吽野と阿文は大きな袋を両手にぶら下げて、
不思議堂への帰路についていた。
吽野 「ぐぬぬ! 米、醤油、砂糖、塩……!」
阿文 「大丈夫か、先生」
吽野 「大丈夫なわけないだろ! 俺の細腕は万年筆しか持てないんだ!それなのに、なんだって、こんな、重いものばかり買い込んだの!一度に無くなったわけじゃないでしょうに!」
阿文 「先生が買い出しの誘いを何度も断るから、買う物が溜まって一気に買う羽目になる」
吽野 「もうわかった、早く帰ろう。腕が痺れてきた」
阿文 「そう言わず、ちょっと寄り道していかないか」
吽野 「ええ!?」
◆◆◆◆◆川沿いの道・夕方◆◆◆◆◆
吽野 「や〜桜花爛漫! 見事に咲いてるね〜」
阿文 「ああ。本当に綺麗だ」
商店街を抜け、促されるまま歩いてゆくこと20分。
吽野の目の前に桜並木が現れた。
そこは近くを流れる川辺の道で、
数キロに渡って桜色の道が続いている。
吽野 「どこに連れて行かれるのかと思ったけどさ。重い荷物をぶら下げて、遠回りした甲斐があったよ」
阿文 「だろ? 先生は桜が咲いてることを知らないと思ってな」
吽野 「いやー、全く知らなかったね。引きこもってたし」
阿文 「年に一度だ。見頃を逃してはもったいない」
吽野 「もしや、俺を無理やり引っ張り出したのって……」
阿文 「たまには花見も悪くないだろう」
吽野 「粋な計らいだね〜」
上機嫌に吽野は言った。
両手の重みを束の間忘れることができたようだ。
ふと、阿文が足を止める。
阿文 「みろ、これは立派な樹だ」
一際大きな桜の木がそびえている。
その場で、二人は天を仰いで嘆息する。
吽野 「よし、ここでいいや。どっこいしょ」
躊躇なく、吽野はどかりと腰を下ろした。
仰天したのは阿文だ。
阿文 「おい、どうしたんだ、いきなり座りこんで」
阿文の質問を適当にいなして、
吽野は買い物袋をガサガサと漁っていた。
そして、目当ての一升瓶を取り出した。
吽野 「花を見ながら一杯やろうと思ってさ」
阿文 「はあ?」
阿文は呆れ顔を向けた。
阿文 「もうすぐ日暮れだ。こんなところで冷えてしまうぞ」
吽野 「かまやしない。飲めばあったまる」
阿文 「おいおい、料理酒だぞ、それ」
吽野 「大丈夫。これは清酒。ほら、さっきお猪口も買ったんだ。いいデザインでしょ?阿文クンの分もあるよ」
阿文 「……まったく、自分で荷物を増やしておいて、よくもまあ文句が言えたものだ」
??? 「やれやれ、飲んだくれか」
突然、声がした。
阿文は声のした方を振り返る。が、そこには誰もいない。
阿文 「ん? 先生、何か言ったか」
吽野 「いや、何も」
阿文 「?」
阿文は首を捻る。
声は気のせいだっただろうか。
??? 「それにしても美味そうな酒だ。分けてくれるだろうか」
やはり、声が聞こえる。阿文は訝しんだ。
そんなことは気にもとめず、吽野は酒を飲み始めた。
吽野 「うまい」
阿文 「やれやれ……」
吽野は気持ちよさそうに目を瞑り、盃を空にした。
吽野 「阿文クン、ご覧よ。この桜、周りよりも色が濃い」
促されて、阿文は桜を見上げた。
阿文 「薄桃、いや、薄紅のような、不思議な色だな。品種が違うのだろうか」
吽野はニタリと笑う。
吽野 「知ってる? 花が赤いのは、樹が血を吸うからなんだ。桜の樹の下には死体が埋まっているらしい」
阿文 「それは小説の話だろう」
??? 「本当に埋まってるんだけどね」
阿文 「冗談を言うな。騙されないぞ」
吽野 「阿文クン、誰と会話してるの」
阿文 「はあ? 誰って……」
阿文は、ふと振り返る。隣にいるはずの吽野がいない。
確かに、隣から声がしたように感じたのに。
慌ててあたりを見回すと、吽野は川に向かって千鳥足で歩んで行った。
阿文 「おい、先生こそ何してるんだ!」
吽野 「いや〜桜の花びらが川面に浮かんで、川を横切る橋みたいでしょ。あっちの岸まで、歩いて渡れそうだな〜って」
ほろ酔いの吽野はヘラヘラ笑っている。片足は水の中に入ろうとしていた。
阿文 「危ない!」
冗談ではないと、阿文が尖った声を発し、
吽野の腕を強く引いた。
吽野は大袈裟な……と少しよろけながら岸に上がる。
??? 「溺れて死ぬぞ、酔っ払い」
いよいよ、吽野の声ではない。
確信を得た阿文は声の主に呼ばわる。
阿文 「誰かいるのか?」
??? 「ここだよ。頭の上」
見れば、桜の木の枝に少年が座っている。
少年は和服を着て。色は白く、ほっそりとした印象だ。
吽野 「そのガキ、誰? 阿文クンの知り合い?」
阿文 「いや、違うが……。君、そんな細い枝に座って、落ちたら怪我をするぞ。降りてきなさい」
少年 「僕は大丈夫だ」
心配いらないと呟くが、阿文が承知せず、
彼を心配そうに見つめるので、
少年はすごすごと、地面におり立った。
不思議な少年を前に、吽野も首を傾げる。
少年 「それより。その酒、供物か?」
吽野 「は?」
少年が指さしたのは、木の幹に立てかけられた、一升瓶だ。
少年 「あれ、僕にもくれないか」
吽野 「子供に酒なんてやれるか。お家に帰んな」
しっし、と吽野は犬でもあしらうように少年を無下に扱う。
少年 「ちぇ、あんたたちだけずるいぞ」
阿文 (酒を欲しがるなんて妙な子供だ。それに、近所に住んでいるのか? 今時、和服とは珍しい……)
少年はなおも食い下がった。
少年 「なあ、桟敷料のかわりでいい。お猪口一杯だけ飲ませてくれ」
吽野 「ダーメ。お前にはまだ早い」
少年 「ケチくさいやつだ! 一緒に飲めると思ったから、花の宴に招いてやったのに」
吽野 「花の宴だって?」
少年 「ああそうだ。この樹の周りに他人が来ないよう、結界を張った。ここは僕たちだけの特等席だぞ」
阿文 「君はいったい……」
少年 「僕はこの川の主。形(なり)は子供だが、歴とした龍神だ。普段は水の中に棲んでいるが。春だけ特別だ。こうして、陸に上がって、花見を楽しんでいる」
どうやら少年は、吽野と阿文が自分の『お仲間』であると知って、
わざと宴の席に二人を呼び寄せたらしい。
吽野 「龍神ねえ。まあ、そういうことなら。ほれ、一杯」
主ともあれば、丁寧に扱わなければと吽野は思い直した。
少年 「おお! ありがとう」
少年はお猪口を受け取り、酒をちびちびと舐め始める。
吽野 「お前、もとは蛇か? それとも、鯰(なまず)か?」
少年 「そのどちらでもない」
吽野 「なにそれ、クイズ? 正体を教えてよ」
少年 「先代は大鯰(おおなまず)だった。それが寿命で死に、川が荒れたので僕が引き継いだ」
吽野 「わかった。お前は……亀でしょ!」
少年 「亀? そう見えるのか、この僕が」
吽野 「違うのか」
少年 「全然違う。もとは別の場所に暮らしていて――」
吽野 「あー! わかった! ブラックバス!」
少年 「外来種って意味じゃない!」
吽野 「え〜? むずかし〜」
吽野の顔はほんのりと赤く、呂律も怪しくなってきた。
阿文 「先生、飲み過ぎじゃないか」
阿文が嗜める。しかし、酒を舐め終わった少年が、
吽野にお猪口を差し出した。
少年 「おい、そんなことよりも、もう一杯くれ。いい酒だ」
吽野 「あはは〜、結構いけるくちだね。酒呑童子には負けるけど」
少年 「噂に聞く大江山の鬼か。あんたたち、知り合いなのか?」
阿文 「以前にな」
話を続けようとした阿文の横で、吽野はとうとう一升瓶を空けてしまった。
まるで水でも飲むような勢いだ。
吽野 「ねえ、こっちの料理酒も飲んでいい?」
阿文 「いいわけあるか」
少年 「あんたの連れは、愉快だな」
二人のやりとりを聞いていた少年の表情は綻んだ。
阿文 「ただの飲んだくれだ」
少年 「違いない」
阿文 「そういえば、聞いても?」
少年 「なんだ」
阿文はちらと少年を見て、恐々と切り出した。
阿文 「ここに死体が埋まっているというのは……」
少年 「ああ、そのことか」
何かを思い出しているように、少年は川面を見つめた。
少年 「昔、この川はよく氾濫し、橋を架けてもすぐに流されてしまっていた。ところが、近くの集落にとって、対岸に渡れないことは死活問題だった。困った住民は、人柱(ひとばしら)を立てることにした」
阿文 「人柱……つまり、人間の生贄か」
吽野 「城やら橋やら建築をするときは、よくあったんだよね。前時代の悪習って感じ」
少年 「まあ、おかげで丈夫な橋が完成したってわけだ」
吽野 「実際そういうのを喜ぶ神様がいるもんね〜」
阿文 「僕らの主人は違うがな」
勢い込んで、阿文は口を挟んだ。少年は「いい主人なのだな」と
笑顔を作った。
少年 「そんなことがあったので、この桜の樹は、供養として植えられている」
阿文 「つまり、木の下に死体を埋めたんじゃなくて、死体の上に桜を植えたってわけか」
吽野 「でも、肝心の橋がないじゃん」
少年は「そうなんだ」と頷く。
少年 「ずいぶん前に老朽化して取り壊されたんだ。今じゃ向こう岸の集落も無くなったし、川に架かるのは花びらの道だけ。そこを渡るのは鴨の親子くらいだよ」
阿文 「先生も渡ろうとしていたが」
吽野 「まさか、してない!」
阿文 「してたぞ」
吽野は酔っている自覚がないようだ。
吽野 「でもさ〜この桜にそんな曰くがあるなんて。人柱の恨みがこもっているとか、怖い想像しちゃうんだけど……」
少年 「べつに、今更恨んでないよ。埋められる前は御神酒もしこたま飲んで、見たことのないご馳走もたらふく食べたんだ。そうだ、あのぼた餅、あれも美味かったな」
吽野 「え?」
阿文 「もしかして君が……」
一陣の風が吹いた。
幾重にも重なる桜の枝がすれあって、さわさわと音を立てる。
花びらが宙を舞う。
少年 「じきにこの桜も散る。そうなったら、僕は川に戻らなくちゃ。この姿でいられるのは、桜の咲く時だけだ」
徐に少年は立ち上がった。
吽野は、この少年の正体がわかったような気がした。
少年 「なあ、来年もこの桜を目印に、宴に来てくれるよな」
吽野 「もちろん。次はこれ以上のいい酒を用意してくる」
阿文 「僕も、ぼた餅を作って持ってこよう」
少年 「楽しみだなぁ」
吽野 「じゃあな」
風が花びらを散らし、視界が桜色に染まる。
花霞で、対岸が花でけぶるようだ。
吽野が、すがめた目を開いた時には、少年は姿を消していた。
川面には小さな波紋が見えただけで、
それもあっという間に川の流れに溶けてしまう。
吽野 「花の宴もお開きか」
名残惜しそうに吽野が呟く。
阿文 「人柱が龍神になるなんて、珍しいのではないか」
吽野 「だろうね。あいつ、相当川の主に好かれたんだろう」
阿文 「年に一度の飲み友達が見つかって、よかったな、先生」
吽野 「そうだね。ここは花見の特等席だしね」
吽野は空の一升瓶を袋に戻して立ち上がった。
そしてゆっくりとした歩調で歩み出す。
二人は春の宵を満喫しながら、不思議堂への帰路についたのだった。
[了]
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