以前紹介した「現代映画のCGに感情移入できない理由は脳の問題? とその論争」で「CGの使いすぎが映画をダメにしている」といった主張がありましたが、その意見に対抗するような内容の動画が公開されています。
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io9が取り上げた、RocketJump Film Schoolの「Why CG Sucks (Except It Doesn't)/何故CGはダメなのか(そうでないものを除く)」とその要訳をご覧ください。的を射たポイントの数々に思わず頷くかと思います。
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ここ数年の映画は本当にダメだ。ギラギラしたCGのせいで全てが台無し。それに引き換え、90年代前半までの映画は素晴らしい! あの頃はプラクティカル・エフェクトが主流だったからなぁ。あぁ、本当にCGなんてなければいいのに...!
CG嫌いの人たちは、きっとそう思っていることでしょう。しかし、私は違うと思います。CGがダメにしていると思うのは、私たちがダメなCGを見ているからに他なりません。
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RocketJump Film Schoolは「本当に素晴らしいCGは、画面に溶け込んでいるために観客がCGだと気がつかない」と主張しています。
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良いCGは物語やキャラクターを支える存在であり、主張しすぎません。CGを使うことの長所や短所、できることやできないことを理解した上で、補助的要因として使用した場合、素晴らしい効果を発揮します。
乗り物や家具といったものは、ずいぶん前からCGで再現されています。昨今のモブの車や空を飛び回る乗り物といったものは、撮影の安全面もあり、ほぼ全てがCGです。車の衝突シーンでもCGが多く使われています。そして、時には街全体がCGということも。
良い例が『アベンジャーズ』でのニューヨークのバトル。あのシーンでは写真を参考にCGの街を作ることで、カメラを自在に動かすことを可能にしているのです。
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さらに、背景やプロップだけでなく、肌の質感も本物そっくりに再現できているとも語っています。
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アイアンマンにしても、ロバート・ダウニー・Jrはプラクティカル・スーツを着て演技をしていません。また、CGは固いオブジェクトだけでなく、布や毛、肌といった、より複雑なものの再現にも成功しています。
2001年の映画版『ファイナルファンタジー』ではフォトリアリスティックな肌が披露されています。『マトリックス リローデッド』ではまだまだ人工的だったCGの肌も、『レボリューションズ』ではより自然になっています。
極め付けが『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のブラット・ピットでしょう。老け顔で生まれたベンジャミン・バトンの顔は100パーセントCGですが、多くの人が特殊メイクだと信じていました。
しかし、技術がここまで進歩してもまだ肌の再現は難しいと言われています。それは人間の肌があまりにも身近な存在だからではないでしょうか。
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ところが同じ人間でも、これが遠景になると話は別です。CGが一般的になる前は、大勢のエキストラを雇う必要がありましたが、今は最低限の雇用で、あとはコンピューターでつくったモブの人間にアニメーション付けまでできるようになりました。「遠景の人間だけでなく、ゴリラやサメといった動物も違和感がない」とRocketJump Film Schoolは言います。
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水のCGが注目されたのは1997年の『タイタニック』。爆発や炎、煙といったものは、作る人と前後関係にもよりますが、「見れたもんじゃない」といったレベルのものは少ないです(稀に、違和感ありまくりの寒い部屋での白い息といったものはありますが......)。
2011年の『ドラゴンタトゥーの女』の爆発シーンは、本物の火をCGの火の両方を組み合わせて作られていますが、気がつかない人がほとんどでしょう。
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そして、以前はCGの弱点として「物の重さの表現」が挙げられていましたが、最近のCGアーティストは実際に俳優に演技をさせ、重量の表現のレファレンスを得た上でアニメーション付けを行ったり、俳優からキャプチャーしたデータを当て込んだりしているので、多くの映画ではその問題はクリアされているとのこと。
その例として、ニール・ブロムカンプ監督の『エリジウム』や『第9地区』、ルパート・ワイアット監督の『猿の惑星: 創世記』が挙げられています。
RocketJump Film Schoolが考えるCGの素晴らしさを1番痛感できる映画は、アルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』だそうです。
主演のサンドラ・ブロックが船内で宇宙服を脱ぐ有名なシーンは、サンドラ以外の全てがCG。この他にも、サンドラ・ブロックの顔以外の全てがCGというシーンも少なくありません。
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「やっぱりプラクティカル・エフェクトは最高だ!」と観客に思わせた最近の映画といえば、ジョージ・ミラー監督の『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』。しかし、この映画もCGが全く使われていないわけではありません。
舞台裏映像を見れば、背景にCGが採用されており、ミラー監督本人もCGに肯定的な意見を持っていることがわかります。
あのマイケル・ベイ監督も、CG一辺倒ではなく、プラクティカル・エフェクトとCGをブレンドさせているのです。
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RocketJump Film Schoolは、最後にこうまとめています。
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ソファにどっしり腰掛けて「CGが~」、「最近の映画は~」と言うのは簡単です。しかし、それは映画の全体が見えていないというもの。
質の悪いCGがあるとすれば、理由は2つです。それは時間とお金。VFXスタジオは仕事を得るために、常に他のスタジオと競争しなくてはいけません。彼らは短時間かつ低予算という無理な要求をされ続けています。しかし、VFXアーティストが1ショットに何時間もかけて良い仕事ができれば、彼らの仕事は完璧に映画へ溶け込むのです。
お粗末なVFXの名作映画というのは今も過去にもあまりありません。それはなぜか? 良いストーリーや良いキャラクターといった魅力的な映画の場合、たとえVFXにアラがあったとしても、そこばかりを叩くことはしないからです。つまり、VFXが原因で映画がダメになっているのではなく、映画そのものに問題があると考えるべきではないでしょうか。
映画という娯楽が始まった時から、VFXはアートの技術の1つとして確立されていました。CGはその中のひとつで、ストーリーを語る上での道具でしかありません。そうにも関わらず、映画の評価を下げる原因として、やたらとCGは表に立たされています。しかし、道具に責任を追求するべきなのでしょうか。フィルムメーカーに賢い道具の使い方を求めるべきだと、私は考えますが、みなさんはいかがでしょうか?
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[RocketJump Film School via io9]
(中川真知子)
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