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ポップカルチャーについて語るのって本当に楽しいですよね。
映画を見た後、テーブルを囲んでコーヒー片手に感想を言い合ったり、そこから派生していろんな映画談義に花を咲かせたりするのは最高です。しかし、エンタメやポップカルチャーって、語る上で守らなければいけないルールがあるって知っていましたか?
今日はio9がまとめた「エンターテインメント、ポップカルチャーについて語る時の七つの大罪」を紹介しようと思います。あなたも知らず知らずのうちにこれらの大罪を犯しちゃっているかも...?
■ネタバラし
結末、秘密、設定...。
ネタバレを気にしない人も多いでしょう。かく言う訳者は全く気にならないタイプです。しかし、絶対に先を知りたく無い人も沢山いますよね。なので、ネタバラしはやめましょう。
ネタバレになってしまいそうな場合、「ここから先はネタバレ要因含んでいるんだけど...」と予め伝えるのが良いでしょう。先を知りたく無い人は「知りたく無いから話さないで」と言えます。
ネタバレされたくないといっている人に「反応が面白いから」とか「大したことじゃないじゃん」といった悪意を持ってワザと聞かせるのは大変失礼でマナー違反です。
また、ネタバレ禁止は最新の映画や本、ドラマだけに適応されるのではないことも頭に入れておいた方が良いかもしれません。「こんなの誰だって知ってるでしょ」というくらいに知れ渡っている内容だとしても、まだ見ていない/読んでいない人もいるのですから。
■「熱烈ファン」と「単なる視聴者」を混同
ファンがコンテンツを殺す可能性も...?
これはどの分野でも言えることですが、ポップカルチャーの中でも得に大人気シリーズものの熱狂的なファンと単なる視聴者を混同して考えるのは危険です。熱烈なファンが気にするのは、普通の視聴者が映画やテレビを見て思うこととは違うということを覚えておく必要があるでしょう。
例えば、ファンの中には、マイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』シリーズが『ジェネレーション1』テレビシリーズと異なることに不満を持っている人もいるでしょう。しかしだからといって、普通の映画ファンは『トランスフォーマー』を観に劇場に足を運ぶことを止めません。
映画を作る側も、熱狂的なファンが求めているものを提供したいと考えていることでしょう。しかし熱烈なファンが気にすることばかりに集中してしまうと、シリーズがノスタルジックになってしまいます。このノスタルジアはストーリーをダメにする傾向が高いので、どうしても一般受けするものが作られます。
当然、コアなファンと一般的なファンの視点は異なるので話は噛み合なくなります。その場合、お互いに「同じ作品(もしくはシリーズ)だとしても、自分たちはファンのレベルが違う」と潔く割り切った方が良いでしょう。
■金儲け第一主義と芸術家で単純に分ける
この2つを分けるのは難しいのでは。
「渾身の力で挑んだ偉大なる情熱のプロジェクト」と「雇用を維持する為の企業の仕事」のふたつに分けて、盲目的に前者を支持する人がいますが、必ずしもそうとは言えません。芸術家肌の人物が後先考えずにクリエイティブコントロールしたことが原因で、プロジェクトがダメになった作品が少なくないからです。
またクリエーターが集まり、企業の指揮下で作業に当たったという作品の中にも名作はあるので、一概に「金儲け第一主義の作品はダメ」とも言いきれません。
それに「金儲け第一主義作品」と「芸術作品」のふたつで分けることは難しいのです。おそらく、殆どの作品がその中間部分に属するのではないでしょうか。加え大半のクリエーターが「金儲け第一主義」と「夢追い主義」の両方の属性を持っており、現実社会の規制や日程、予算によって使い分けているのが現実です。
これと同様に、ドル箱シリーズの義務的に作られる続編は退屈でファン向けでしかなく、オリジナルのコンセプトの方が優れているというルールも全てに適応されるわけではありません。続編の方が遥かに面白いということだって珍しく無いのです。
■ジャンルに関して議論するべきではない
パッと見の判断でOK
「ジャンルとはあくまでマーケティングカテゴリーでしかない」 ジャンルを気にするべきなのは、マーケティング部署の人間だけです。そうでない私たちは、勝手きままにジャンル分けしても良し、「サイエンス・フィクション」「文学」「ホラー」と大きなくくりで考えて良し、なのです。
また、「何の映画がどのジャンルに属するか」という議論や討論と同じくらい下らないのが、「どのジャンルが他よりも勝っているか/劣っているか」や「主流か」というものでしょう。
ある映画を売り込みたいとして、どのジャンルとしてアプローチすれば売れ易いかという議論なら良いでしょう。しかし、それはあくまでマーケティングする上で...のことでしかないのです。
■映画そのものを見ないで、映画以外の部分で映画自体の評価を下げる
外的要因に囚われすぎて作品の良さを理解出来ていないなんてことはないでしょうか。最近ではインターネットの評価サイトなどで驚くような評価を付けている人を見かけます。
その映画のことで討論になったから、もしくはその映画に出演しているスターがテレビ番組で失言したから、もしくはスターに失望したからといった下らない理由で、全く関係のない映画の評価を下げるといった具合です。
映画や本、テレビ番組が世の中に出たとき、私たちはそれらの作品そのものだけでなく、マーケティングを始めとする多くのものと関係を持つことになります。そして、そういった映画以外の要因が気に入らなかっとしても、それらも含めて評価し始めては本当に作品を楽しめなくなってしまいます。
同様に、個人的になりすぎてもいけません。例えば、スティーブン・スピルバーグの映画が好きでなかったと仮定します。しかしだからといってひとりの人間であるスティーブン・スピルバーグの悪口、また貶めるような発言はするべきではないのです。
■ポップカルチャーを解析する人に「たかが映画で」と水をささない
興味をもったものには、どんなものであっても、深く知りたくなりますよね。
ポップカルチャーの中で暗に意味されているものを掘り下げることを楽しむ人もいれば、欠点や弱点といったものを批評するのが好きな人もいるでしょう。そのような人たちの意見を否定してはいけません。
勿論、そのようなことを必ずしも楽しまなければいけないということはありませんが、だからといって否定する必要もないのです。そのような人たちはポップカルチャーが伝えようとしていることを自分なりに分析、解析しようとしているのであって、それは決して悪いことではありません。
なので、そういった人たちに対して「たかが映画だろ、なに語っちゃってんの」等と言って否定するようなことは避けるべきです。それが人種や年齢、性別といったものであれば尚更です。
私たちはオタクであり、深読みしたり追求することが好きな人種なはずです。「たかが映画云々」を言い始めてしまうと、『帝国の逆襲』と『ファントムメナス』の違いをアツく語ることも否定しなくてはならなくなってしまうのですから...。
■人の意見を尊重しない
他の人の話もきちんと聞きましょう。
「『アベンジャーズ』ってクソだよな」というのはアリです(『アベンジャーズ』に限らず、どんな映画でもアリです)。しかし、「『アベンジャーズ』が好きなヤツってクソだよな」とは決して言ってはいけません。
前者はあるものに対する個人的な意見ですが、後者は自分と異なる考えを持つ人間を攻撃しているからです。(io9のチャーリー・ジェーン・アンダース記者は、映画を自分より断然楽しんでいる人に対して「それは良かった! 」と言うように心がけているのだそうです。というのも、誰に対しても映画に対して嫌な印象を植え付けたく無いからとのこと)
意見交換をする上で頭に入れておかなければいけないことのひとつに、話している相手が自分と同じ意見を持っているとは限らないというのがあります。そして、必ずしも貴方の意見が正解というわけではないのです。
もうひとつ大切なことがあります。それはこのような意見交換が貴方の生死を分ける程重要なものではありません。。アツくなり過ぎてはいけません。もし、誰かがジョス・ウィードン(『アベンジャーズ』の監督)が嫌いでも誰も死にません(ジョス・ウィードン本人が悲しみのあまりショック死する以外は...)。
きっとこの「人の意見を尊重せずに個人を攻撃するような発言をする」のがポップカルチャーを語る上での最も危険で犯してはならない大罪でしょう。これは、相手を不快な気分にさせたり、怒らせたり、友情が永遠に壊すという可能性を十二分に孕んでいます。
楽しい会話にしようと思って話し始めたということを忘れず、実りの或る意見交換をしたいものですね。
7 Deadly Sins Of Talking About Pop Culture[via io9]
(中川真知子)
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