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約4分に渡ってビンタし合っている様子が映されていますが、皆さん、何だかとっても楽しそうですよね。この動画を作ったマックス・ランディス氏は、他人同士にビンタさせようとした理由を、メイキング動画の詳細欄に記していましたので、抜粋して紹介致します。
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(作品のテーマが)「性」だと面白みに欠けると思ったんです。曖昧過ぎるし、簡単過ぎる。では、暴力はどうだろう? 性ではなく、暴力だったら...。
でも、暴力とは何だろうか? もし、心を排除したなら、それは単なるラベルでしかないはず。そこで、私は暴力を「合意の上で無い身体的妨害」と定義することにしたのです。そうすることで、より広い視野で暴力というものをとらえる事が出来ました。
誰かがお尻を掴んできたり、長時間キツく抱きしめられたりすると、ナイフや弾で傷つけられるほどではなくとも、多少は暴力だと感じるでしょう。
では、「合意の上で無い」という部分を取り払ってしまったら...? それが、合意の上だったなら、合意の上で痛みを受けいれ、自分も痛みを負わせる権利を得たら? 信頼とはなんでしょう? 自分を傷つけない人を信用しますか? そんなこと、考えたことがありますか? 貴方が信頼している人が、貴方を傷つけたら、気にするでしょうか? そんなことを、私は疑問に感じ始めたのです。
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そして、マックス・ランディス氏は、友人や知人(『シックスセンス』のハーレイ・ジョエル・オズメントも参加!)40人に協力を仰ぎ、ビンタし合う動画を作製したのです。
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私はこんな仮説を立てたのです。ビンタした後、殆どの場合、お互いに叩き合ったり自分を叩いてみたりして、互いの限界まで試すのではないかと。毎回ではなくても、時々...いや、やっぱり殆どの場合でですね。人は、ビンタを1回で終わらせるのではなく、何度も何度もやりたがるのではないかと考えました。
ビンタは単なるビンタではなく、違うタイプの肉体交換になるのではないか、と。つまり、状況や背景を排除したビンタは、キスよりも親密なのではないかという仮説です。
そして、私の仮説は正しかったのです。正しく、楽しく、満足のいく結果が出ました。しかし、私にとって、理論的な満足感は、ビンタやビンタされること、あるいは皆が叩き合っているのを見ることから来る本能的で直感的な感情の二の次でした。 私は、最も奇妙な「親密と信頼の変形」の姿を見たのです。
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叩いた後に、揃いも揃って「やだ、やっちゃった~!」というリアクションをしていますね。そして、急にふたりの距離が縮まっているように見えます。
ちなみに、訳者は、中学の時に女友達とじゃんけんに勝った方が負けた方をビンタするというゲームをしたことがあります。最初は和気あいあいとした雰囲気でやっていましたが、お互いに、本気の力で叩くようになった頃から、「この野郎、次はもっと強く叩いてやる!」という気持ちが出て来て、止めるに止められなくなり、ちょっと困った経験があります。
この動画のように楽しく叩き合いたいのなら、かなり力を加減してやることをオススメします。
[via @mdotbrown via The Concourse]
(中川真知子)
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