人間の能力や人格を図るにはどうするべきか、っていう中で「面接」って一番古くて不確実な方法なんだよな。 中世ヨーロッパの神父の登用において、「どのように面接すれば、信仰心のある人を選抜できるだろうか」って所が起源。 その後、『客観的に能力を図る』として、「論文、エッセイ方式の試験」が導入、評価過程もされたんだが、各試験官の評価がバラバラで結果がだせず、結局能力の評価が出来なかった。 その後、フランス革命近くになると、「科学的に人の知能をどう図るのか」という事が始まった。これが心理学のルーツであり、近代教育学のルーツだ。と大学で習った。 結局、客観的に能力を図る究極の方法って「偏差値法」と「選択肢テスト」になるんだけど、こうすると色んな人が「それは違うはずだ」って思うんだよね
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コタク・ジャパンチャンネル
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人間の能力や人格を図るにはどうするべきか、っていう中で「面接」って一番古くて不確実な方法なんだよな。
中世ヨーロッパの神父の登用において、「どのように面接すれば、信仰心のある人を選抜できるだろうか」って所が起源。
その後、『客観的に能力を図る』として、「論文、エッセイ方式の試験」が導入、評価過程もされたんだが、各試験官の評価がバラバラで結果がだせず、結局能力の評価が出来なかった。
その後、フランス革命近くになると、「科学的に人の知能をどう図るのか」という事が始まった。これが心理学のルーツであり、近代教育学のルーツだ。と大学で習った。
結局、客観的に能力を図る究極の方法って「偏差値法」と「選択肢テスト」になるんだけど、こうすると色んな人が「それは違うはずだ」って思うんだよね