礼讃

礼讃・第69回「愛人倶楽部」

2015/02/02 13:00 投稿

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六月に、人生を変える出会いがあった。

歌舞伎の義経千本桜を見た帰り、渋谷にある壁の穴で、牛肉と小松菜のスパゲッティを食べた。折角道玄坂に来たのだからと、ヤマハ楽器店に寄り、楽譜と専門書を買った。

道玄坂の信号を渡り、ビルの二階にある喫茶店で休憩した。この店は、センスの良い磁器のカップで美味しいコーヒーを出してくれるので、焼物を鑑賞する楽しさがあった。

私がコーヒーを飲みながら、楽譜をテーブルに乗せ、音楽之友社の指導書を読んでいると、男性に相席を頼まれた。店内を見渡すと空席のテーブルはあったが、私は断る理由もないので了承した。

健ちゃんの友人の野田さんに似た男性は、白石と名乗り、名刺を差し出した。

私は本を閉じ、彼を見た。四十歳前後だろう。センスの良いスーツを着ている。スーツを一着買ったら二本ズボンがついてくるようなメーカーのものではなさそうだ。松屋銀座の『銀座の男市』の催事でパターンオーダースーツを作ることを習慣にしているようなタイプに見えた。

小沢さんのようにテーラーで誂えたものではないが、雅也君が着るグッチとも違う。個性を主張し過ぎない真面目な銀行員のような雰囲気があった。言葉遣いも丁寧で落ち着いた印象を受けた。

「ちょっとお時間よろしいでしょうか」

と、言って話し始めた。

「あなたのような女性を好きな男性がいらっしゃいまして、私は代理でお相手の方を探しております」

白石さんは、名刺に書かれた商号パピヨンは愛人倶楽部で、自分はマネージャーをしていると言った。

スカウトマンは他にいるのだが、偶然私を見かけ、声を掛けたということだった。ある男性が希望している女性のタイプが私にぴったり当てはまるという。

この日私は、膝丈のスカートに森英恵のジャケットを着て、フェラガモのパンプスを履いていた。歌舞伎に誘われ、朝から美容室で髪をセットしてもらい、普段よりお洒落な格好をしていたのだ。腕時計は雅也君から貰ったショパールで、ダイヤモンドがキラキラ光っている。十九歳には見えなかったのだろう。

 白石さんは

「ご紹介する男性は、身元確かで、経営者や一流企業の役員など社会的地位の高い方たちです」

と言って、パンフレットを開いた。その紙質から高額なお金が動いている匂いを感じた。

そこには、デートの内容として食事や観劇、旅行等と書かれてあったので、これなら小沢さんと付き合うのと同じではないかと思った。

しかし、その先に、性交渉についての項目があり、私は驚いた。具体的な性の嗜好が細かく分類されたマニアックな単語が並んでいた。男性の性的欲望へのサービスは、こんなに細部まで配慮が行き届いているのかと感心した。

「当倶楽部は女性にも審査があり、研修を受けて頂きます。若い女性なら誰でも採用する性風俗店とは違います。男性をご紹介するのは研修後ということになります。女性にも断る権利がありますのでご安心下さい」

と、言われたことが、私に安心感をもたらした。

性交渉を含んだ交際の報酬が十万円以上というのも大きかった。女子中高生の援助交際の相場と違うところが良かった。

「よく考えてからお返事下さい」

白石さんと別れた私は、翌日、名刺に記された番号に電話をした。

帝国ホテルのロビーラウンジで待ち合わせ、必要書類を白石さんに手渡した。

ファストフード店のアルバイトに応募するより多くの書類が必要だった。目黒区役所で住民票の写しを用意した。写真付きの身分証明書を持参するようにと言われていたので、パスポートも持参した。白石さんは一月に取得したパスポートの写真を見て

「以前は、もう少しふっくらなさっていたんですね」と言った。

白石さんはパスポートを閉じ、向きを逆にし、ありがとうございましたと言い私に返した。いちいち丁寧な人だった。

ネイルサロンで爪を磨いてもらっているのだろうかと思う程に、彼の整った形の爪には艶がある。

契約書にサインをして、白石さんが指定した病院で健康診断を受けた。

このところ血液には自信があったので、にこにこして腕を差し出し採血を受けた。内診もあった。

その後スタジオに連れて行かれ、プロのヘアメイクに化粧をされ、髪を巻かれ、カメラマンに写真を撮られた。

パピヨンに在籍している女性たちのアルバムを見ると、女優みたいな美人が澄まし顔で写っていた。見合い写真の撮影のようで面白かった。

私の次に撮影した女性は、スーツ姿と下着姿で、扇情的なポーズでカメラのレンズに物欲しげな視線を送っていた。こういう写真を専門に撮る写真屋があることを初めて知った。

 男性は、お金があれば、選び放題で女性と遊べるらしい。そこに、社会的地位という付加価値が、遊ぶための条件に入ることで、三者にメリットを及ぼしていた。客の男性には優越感が与えられる。倶楽部は、商品として取引する女性に高価をつけ商売を続けることができる。取引の主体ではない女性が求めるお金と安心も、男性のステータスによって保証されている。

仕事が出来る男性は、遊びでも闘争心をもたげ、より評判の良い女性を自分のものにするためにお金で張り合う。全てのやりとりは、男女双方の自由な合意による恋愛の中にある。

私が売春や援助交際という言葉にピンとこないのは、愛より先に性を知ったわけではなく、お金が介在する関係でも、必ずそこに愛があったからだと思う。

私がしていたことは、拝金主義でも、承認欲求でも自傷行為でもない。親への欲望を代理充足したわけでもない。

自分がしたいと思ったことが、タイミング良く与えられ、私はそれを普通より上手にすることができたので、多くの報酬を得て、楽しく続けてきた。自分を大切にし、男性に優しく接し、幸せな時間を共有した。

売春や援助交際という単語につきまとう悲愴感は、私には無縁のものだった。

パピヨンには、男性会員のアルバムはない。女性は、紹介された男性との交際を断る権利はあるが、積極的に好きな男性を選ぶことはできない。お金を払うのは男性なのだから当然だろうと思い、次週から研修を受けた。

青山にあるフィニッシングスクールに一週間通った。集中講座で一日八時間も授業があった。受講料の費用はパピヨンが負担してくれたが、洋服代が嵩んだ。

日本での歴史は浅いが、1923年にニューヨークで開校し、日本校は世界で八十番目に誕生したというスクールだった。

ファッション、美容、マナーや美しい立居振る舞い、コミュニケーション力を学ばせてくれる。表面的な美しさというよりも、ひとりひとりの女性が持つ可能性を最大限に引き出し、内面と外面を磨いて、真の美しさへと導いてくれるスクールなのだ。

「魅力のない女性など一人もいません。ただ自分の魅力をどう表現すればいいのか、その方法を知らないだけなのです」

という言葉に勇気付けられ、ここで学んだことは自分の価値観の確立に役立った。

 

私が愛人倶楽部に所属しようと思った理由のひとつに、競馬騎手のエージェントの存在が頭にあった。

今でこそJRAが騎乗依頼仲介者として公認するほど普及しているエージェントは、フリーになった岡部幸雄が導入したものだと、私は子供の頃に祖父から教わった。

私が上京した九十三年には、トップジョッキーが特定の厩舎に所属せず、フリーランスであることは一般的になっていたけれど、一昔前は珍しい存在で、特定の厩舎や馬主と契約を結び、拘束を受けないという意味で完全なフリー騎手は、岡部が先駆けだったと祖父から聞いた。子供の頃はその趣旨がよくわからず、面倒な人間関係に煩わされたくないのだろうと思っていた。大人になり、岡部の馬優先主義の理念を知った。

そして私は、愛人として生きていく上で、男性優先主義を貫き、セックスに集中する為にエージェントがいると便利ではないかと考えたのだ。パピヨンにおいてそれは成功した。

 騎手は、大抵高校に進学せず、十五歳で競馬学校に入る。近年、勝利数上位の常連で九十六年デビューした福永祐一は、一年間高校に通っていたが、それは競馬学校の入試に落ちたからで、翌年には高校を辞め競馬学校に入学した。岡部も中学3年で馬事公苑の騎手養成所を受験し、武豊も中卒で競馬学校に入っている。高学歴のトップジョッキーというのは、聞いたことがない。

しかし、彼らの発言には含蓄がある。どの世界でも一流の人間は、経験則だけでなく、教養や知識で肉付けされた自分の哲学を語る言葉を持っている。そして、成功する為には、円滑な人間関係を築ける能力が必要なのだと、騎手を見て思う。

通算勝利数や総収得賞金の上位騎手は、エージェントに強い馬を乗せてもらえて、発言力の強い馬主と上手に付き合っている人たちだから、結局は、コミュニケーション能力が仕事も人生も左右するのだと実感させられる。

相手の期待や想像を超えることをする為に、自分のクリエーティビティーを磨く努力、その結果得られるアドレナリンが体を駆け巡るぞくぞくするほどの気分の高揚。そういうことを私はギャンブルと男性から教わった。

 

パピヨンの白石さんに初めて紹介された伊東さんは、五十代の会社経営者だった。

赤坂のシティホテルでランチにフランス料理を食べながら、金属貿易商という仕事について教えてくれた。

トニックのスーツに白いシャツの襟の形とネクタイの幅がぴったり合っている。結び目もきっちり真ん中にあった。四角にたたんだポケットチーフの角が花びらのように美しく波を描いている。ピシッと張りがあり、渋い光沢を放つグレーのジャケットが素敵だった。手首にはブレゲの時計が見えた。

伊東さんはメニューを見て、テンダーロインのグリルを選び、一番高いシャトーブリアンを注文してくれた。ヒレの中央部の柔らかい肉だ。これだけで好きになってしまいそうだった。

 彼は、十年前にNHKの時代劇『宮本武蔵』で主演した俳優に顔立ちが似ている。仲代達矢が主催する俳優養成所無名塾出身で、区役所勤務をしていたことから仲代が芸名をつけたという時代劇俳優だ。大河ドラマ『徳川家康』で、織田信長役に扮した演技を、西の祖父が褒めていたのを覚えている。

健ちゃんより長めの伊東さんの髪は黒く、口の周りに少し伸びた髭には、白い毛が混じり、それがとてもセクシーだった。武術の心得がある人の気配がした。

「伊東さんはスポーツをなさいますか?」

「学生時代は剣道をしていたよ」

私の周りの剣道経験者と言えば、ノミ屋の板尾さんがいるけれど、彼の話をするわけにはいかないので

「私は柳家小さんのファンなんです。彼は、落語と剣道どっちが好きかって聞かれたら剣道だって言ってました。小さんが出ていると聞いて『剣道日本』っていう剣道専門誌を読んだことがあります」

「剣道日本か。懐かしいな。私は大人になってから弓道を始めてね」

板尾さんの学生時代の友人に弓道をしている人がいて、何度か食事をしたことがあった。

「最初は的に届かなくて、矢が一本も当たらないって言いますよね。何も持たず、射法八節を学ぶとか。知り合いに弓道をしている人がいて、段位審査を見に行ったことがあるんです。白足袋をはいた袴姿で、弓道場の板の間をすり足で静かに歩くところを見ただけで感動しました。矢を射る前後の動きにも礼儀作法があるでしょう」

「よく知っているね。立った時、座った時、歩き方やお辞儀をする時、眼差しの向ける位置や、右足を出して息を吸い、左足を出して息を吐くということまで細かく作法が決まっている」

「重心を丹田に置いて、下半身を踏ん張って、腕だけじゃなく体全体で弓を引くでしょう。あの姿は美しいですね。武道を極めた人は気が整っているから、佇まいに品位があると思います。剣道をしている小さんにもそういう雰囲気を感じるんです」

「花菜ちゃんは落語が好きなの?」

「はい。よく寄席に行きますよ。最近は、桂枝雀が気に入って、大阪まで通ってます」

「わざわざ落語を聞くために大阪に?」

「はい。新幹線だとすぐですし、大阪は文楽もありますから、月に3回は行ってますね」

「文楽も観るの?」

「ええ。去年初めて文楽を観て以来すっかりファンになりました。竹本住大夫の義太夫が好きなんです」

「ほお、面白い子だねえ」

伊東さんが東京都美術館で見た展覧会の話をし、私も小沢さんと上野へ行ったばかりだったので、西洋絵画の話で盛り上がった。

「私はルーベンスが好きでね」

ルーベンスは、十七世紀バロック時代にヨーロッパで活躍したドイツ生まれの画家だ。イタリアで宮廷画家をしてからベルギーのアントワープで大きな工房を構え、多くの名画を生み出した。

「ペーテル・パウル・ルーベンスですか」

「うん。レンブラントもいいね。私は、ルーベンスとレンブラントが描く女性が好きなんだ」なるほど。

「もしかして、正倉院の鳥毛立女屏風とか力士の錦絵もお好きですか?」

と、訊くと、伊東さんは笑った。

「私は白石君に『あさきゆめみし』の花散里のような女の子を探してほしいと頼んだんだ」

「源氏物語の? 大和和紀の漫画ですか?」

「そう」

彼は『あさきゆめみし』の豪華愛蔵版をプレゼントしてくれた。

花散里は、家庭的な人柄を見込まれ、夕霧と玉鬘の母代わりとなり、後には夕霧の子の一人を孫として引き取り、愛育した女性である。

「橘の香をなつかしみ時鳥 花散る里をたづねてぞとふ」

伊東さんは、光源氏が詠んだ歌を口にした。

「初夏に花菜ちゃんと出会えたことも運命だと思っている」

ホトトギスは夏の鳥として詩歌によく歌われている。

デザートは給仕がテーブルサイドで仕上げをした。

砂糖を振ったクレープに、グランマルニエとラベルに書かれたリキュールを注ぎ、火をつけフランベした。アルコールが蒸発し、砂糖がカラメルソースになった。

オレンジソースとオレンジの皮のすりおろしをかけられたデザート皿からは、オレンジの匂いがぷうんとした。

「橘の香りみたいですね」

私が言うと

「このメニューは偶然だよ」

と、伊東さんは照れ笑いした。

あさきゆめみしの花散里の絵を見て、私は

「2ヶ月前の私は、この位ふっくらしていましたよ。今より十五kg太っていたんです」

「ダイエットしたの?」

「そうなんです」

と、私は献血や世にも美しいダイエットの話をした。

「フランス料理のデザートを食べるのは一ヶ月ぶりです。今日は伊東さんに会った記念に食べちゃいます」

「今度はメニューを考えておくよ。また会ってもらえるかな?」

「私でよろしければ喜んでご一緒します」

「私は」

伊東さんはコーヒーを一口飲み

「食事をするのは、セックスの後にしたいんだ」

伊東さんが初めて「セックス」という言葉を口にした。

「普通は食事をしてからベッドに誘うんだろうが、腹が膨れた時にセックスをするというのは好きじゃない」

「そうですね。私も同感です」

伊東さんは、赤いクリップのオブジェがシンボルの文房具店の紙袋を私に手渡した。

「開けて良いですか?」

「どうぞ」

伊東さんはにっこり微笑んだ。

「私、このお店たまに行くんです。今もお財布の中にメルシー券が入ってます。買い物をしてから、九階のティーラウンジで黒パンのパストラミサンドを食べて、北欧の紅茶を飲んで、休憩してから帰るんです。ダイエットする前は、和光とアンジェリーナのモンブランが楽しみでしたけど」

袋の中には、アルフォンス・ミュシャの花鳥図のような美しい装飾が描かれた万年筆と、革カバーがついたRHODIAのメモ帳が入っていた。革のケースには、ペンホルダーもついている。

「使い勝手が良さそうですね。万年筆は華やかな柄が綺麗で気に入りました。ありがとうございます」

「それは良かった。さて、次に会う日を決めようか」

彼は手帳を広げた。レッツダイアリーだった。

「次の火曜の午後はどう?」

午前中は、保護司の河原先生のお宅へ伺うことになっている。

「午後なら空いてます」

「三時に全日空ホテルで待ち合わせしようか。六本木のアークヒルズはわかるかな」

「はい」

「部屋をとっておくから。ディナーも一緒に出来るかな」

「はい」

「じゃあ、レストランも考えておくよ」

「楽しみにしています」

伊東さんと握手をして、その日は別れた。

ホテルの前で、私をタクシーに乗せ「これは車代」と言って、私が持っていた文房具店の紙袋に滑り込ませた。五万円が入っていた。

 その日の夕方、ゴトウフローリストから大きな花束が届いた。ホテルマンのような制服を着た花屋の男性が配達に来た。

「Wao!!」

と、声を上げ感激した。見事なフラワーブーケだった。

翌週、Ropeのワンピースを着た私を、伊東さんは「可愛いね」と言った。異性として付き合うと、こんな言葉を掛けてもらえるのか、と感動した。

小沢さんたちも、板尾さんたちも、私を可愛いとは褒めない。健ちゃんも、今や言わない。雅也君たちには言われたことがない。だから、素直に嬉しかった。

ショッピングアーケードで服を買ってもらった。

「九号じゃきつくて十一号だと大きいんですよ。私が十三号になったらどうします?」

「構わないよ。そうなったら十三号の服を買ってあげるよ」と、伊東さんは言った。

「本当ですか?」

「うん。それ以上痩せる必要はないと思うけど、花菜ちゃんがどんな体型になっても構わない」

と、彼はきっぱり言った。

これはありがたい言葉だった。世にも美しいダイエットは続けていたが、伊東さんといる時は、好きな物を食べることにした。私には絶対太りたくないとか、どうしても痩せたいという気持ちはない。

六本木にある36階の部屋の窓からは東京の空が見えた。昼間からホテルで裸になるのは、どうしても徹さんを思い出してしまう。

一年以上、健ちゃん以外の人とセックスしていなかったので、他の男性はどんな風にするのだろうかという好奇心もあった。

 伊東さんは、ゆっくりと愛撫をした。彼のペニスが私の膣に挿入されるまで軽く一時間はあったと思う。挿入後も、強くピストン運動することはなかった。

仰向けになった私に覆い被さった彼は、体の右側をベッドにつけ、半身を起こした。伊東さんは、私の両脚の間に左脚を入れ、私の右足を彼の腰の左にのせた。

互いの脚を絡ませ繋がっている。こんなにゆっくりとセックスするのは初めてだった。

伊東さんの胸板が呼吸で大きく上下している。彼は髪をかき上げ

「花菜ちゃんとなら、動かなくても勃起していられるよ。花菜ちゃんは絶世の美女に生まれつく以上にラッキーな能力を持って生まれてきたんだ。これは凄い」

と言って、腰を動かした。

ラッキーな能力って何だろうと思っている間に快感の波が押し寄せてきた。激しい動きがなくてもオーガズムが何度も訪れた。彼の律動と快感が私の体内で共鳴した。こういうセックスもあるのか。

伊東さんが射精したのは、日の入間近だった。

高輪のホテルで中華料理を御馳走になり、次の約束をして別れた。渡された封筒には十万円が入っていた。

 

こういった経験の積み重ねが、自己能力に対する自己評価を高めていった。私は、男性の評価を何より信じ、大切にした。

私は年上の人が好きだったから、若い男性の性欲と好奇心に振り回されず生きることができた。

私が男性にしていたことは、生産性のないことだったけれど、社会になくてはならない生産性のある必要不可欠な仕事をする男性たちのオアシスになろうと思っていた。

 伊東さんは、私の声を初めて褒めてくれた人だった。

「俺たちが若い頃は、成熟した女の声に憧れたものだけど、今の若者は大人になってもアニメの声優みたいな可愛い声に興奮しているだろう。あれは男の成長を停滞させるね。アニメやゲームとかバーチャルなものにいつまでも執着することは、男の性の健全な成長を阻害してるよ。花菜ちゃんの声は落ち着いた色気があってとてもいい」

この言葉はとても嬉しかった。

私が伊東さんやその後に出会った男性達と共有したものは、体の交わりを通して相手を理解し、それをしっかり受け止めたと互いに伝え合うという、形はないけれど肌で実感できる手応えのあるものだった。

男性からのフィードバックは、有形無形に関わらず、私がしていることの確かな励ましになっていた。

 

大津びわこ競輪場の高松宮記念で神山雄一郎が優勝し、阪神の宝塚記念ではビワハヤヒデが勝ち、私の懐はとても暖かくなった。七月に入ってすぐ、住之江競艇場でグランドチャンピオン決定戦、前橋競輪場では、寛仁親王牌世界選手権記念トーナメントがあった。

札幌記念は札幌競馬場で見た。大阪のウインズで買う予定だったが、ゴルフコンペに誘われ、好きなメンバーだったので行くことにした。会場は、新千歳空港の近くだった。私は珍しく飛行機で移動した。大阪から札幌まで新幹線や列車を乗り継いでいる時間がないスケジュールだった。

火曜に河原先生のお宅を訪問し、自宅でピアノを教え、水曜から大阪入りし、金曜に札幌へ飛び、土曜にゴルフをした。

 三月期の決算が出揃い、人事異動だ何だと忙しい5月を送っていた企業の偉いおじさん達も、六月に株主総会を終え、やっと一息ついたらしい。顔馴染みの男性たちと、札幌で再会した。

魚肉ソーセージを売っている外山さんと、ニッコールレンズを作っている海野さんと同じ組になった。

七番ホールで奇跡が起きた。私は、145ヤードを七番アイアンで打った。インパクトの感触が、今までにないものだった。気持よく振り抜けた。空振りしたかしら、と思った程だった。ボールはピンに向かってまっすぐ飛んで行った。

良いショットだったなあと喜びながら、話をしながらグリーンに行った。私のボールだけ見当たらない。かなりいい所に飛んだはずなのに、と思いながらボールを探していると外山さんが、カップの中に私のボールを見つけた。打った直後にボールから目を離してしまい、誰もホールインしたところは見ていない。

「これってホールインワンって言うんじゃないの? 凄いことなんじゃないの? 拍手とか喝采されることじゃないの?」

催促して、やっと祝って貰えた何とも静かなホールインワン体験だった。

外山さんは東京に戻ってから魚肉ソーセージを一箱送ってくれた。茹で立ての魚肉ソーセージは柔らかいと聞き、製造工場でオレンジ色の袋に詰めたばかりの魚肉ソーセージを食べさせてくれた。オレンジ色の皮を剥くと、勃起途中のペニスのような生々しいピンク色の肉棒がてろんと現れたので、ぱくりと口に含んだ。感動的な体験だった。

 

日曜は競馬場に行くと話したら、大名行列で、私は大企業の社長になった気分だった。日頃競馬はしない偉いおじさんたちが、コンペ後の食事会でした私の話に興味を引かれたようだった。

私は小学五年生の夏休み、西の祖父と札幌を旅した話から始めた。馬の交配を見た衝撃、牛の交配との違い、ばんえい馬とサラブレッドの違い、初めてサラブレッドのレースを観戦して当てた時の興奮、今も競馬を趣味にして全国を回っていること…。

ゴルフで日焼けし、風呂に入ってすっきりした男性たちは、美味しそうにビールを飲みながら私の話に聞き入っていた。

「馬は、春から夏にかけて発情するんです。発情期間は一週間程ありますが、交配に適しているのは二日間しかないんです。生産農家は、育てている繁殖牝馬を、種牡馬がいる牧場まで馬運車で連れて行って、交配してもらうんです。大抵仔馬も一緒です」

彼らは交配が二日しかチャンスがないことで息を呑み、仔連れ交配に驚いて声をあげた。

「馬の妊娠期間は十一ヶ月なんです。馬は分娩後の子宮や生殖器官の回復がとっても早くて出産した十日目には発情が来るんですよ。牛は二ヶ月経たないと発情しません。馬は春先から夏に発情するんです。そして仔馬は乳離れするのに半年かかるので、必然的に仔馬と一緒に種付所に行くことになります。交配しても受胎しなかった場合は、次の発情期まで三週間は待たないといけない。交配が遅れると翌年の誕生もそれだけ遅くなるので、競走馬にとって影響があるんですよ。馬は一月一日に加齢して二歳になるんです。デビュー年の三歳馬のレースだと一月生まれと五月生まれでは、身体の成長差が成績にも影響を及ぼすから、できれば早く生ませたいわけです」

「なるほど」という声が重なる。

「でも、人気のある種牡馬は、毎日、何頭も相手に交配しなければならないし、相性やタイミングもありますから、緑が芽吹く前に交配させたいと思っても、そう都合良くいかないこともあります。夏に交配された四月や五月生まれの優秀な馬もたくさんいます」

「人工授精や体外受精はしないの?」

「物理的にすることは可能ですけれど、人工授精で生まれたサラブレッドは血統登録できないんです。人工授精は、十七世紀からレースに勝った馬を掛けあわせて強い血統を残してきた秩序を崩すことになりますからね。生産技術が確立されていますし、種牡馬産業を守るためにも、人工授精に賛成する人はいないんだと思います。馬は夜に分娩んすることが多いし、予定日がずれることもあるし、出産シーズンと種付け時期は重なるので、生産農家は春から夏にかけて寝る暇もないぐらい忙しいんですよ」

「陣痛促進剤は使わないの?」

「牛や豚では人工授精して、陣痛促進剤を打つのは当たり前ですけど、馬は分娩誘発が難しいそうなんです。呼吸ができるようになる成熟は出産直前の数日に起こるので、陣痛促進剤を使うと、生まれてくる仔馬が息をしない可能性が高くなるらしいですね。私、高校時代に通っていた塾のチューターは帯広畜産大で獣医を目指している大学生のお兄さんだったんです。彼はサラブレッドの生産や育成の研究をしていたので、日高の牧場に泊まり込んで交配や出産に立ち会った時の話を聞かせてくれたんです。私は小学生の時にガラス越しに見学した交配が、実際何をしていたのか教えてもらってびっくりしました。交配の前に獣医師が検査をするそうなんですけど、超音波で卵巣や子宮の断面図を見たり、膣鏡を入れて、子宮頚管の形や、膣粘液の量や、膣壁の充血度合を見て診断するんです。直腸から手を入れて腸壁越しに触診すると、卵巣の中に育っている卵胞までわかるんですって。子宮も触診するのよ。全ての検査に合格して初めて交配が出来るんです。私が見学した時は、牝馬が発情しているかどうかもわからなかった。種牡馬が乗りかかると、しっぽをしゅっと横に上げるところまでは見えたんですけど、それから介助者がペニスに手をそえてうまく挿入するように導くんですって。まさかあの時、結合していたとは。数十秒で終わりましたけどね」

笑いが起きた。種付料や、当て馬と呼ばれる試情馬の話になると、男性達は少し神妙な面持ちに変わりおかしかった。

この年は、函館競馬場の改修工事のため、札幌競馬が三開催、行われた。

屋内の冷房完備の有料指定席で観戦した。どこの競馬場もゴールまでの直線に沿って屋外自由席スタンドがあり、見下ろすように屋外有料席、更に上階には関係者や馬主、来賓用のゲストルームや一般者は入場不可の観覧席がある。日本最大の東京競馬場は地下一階地上九階建だ。ホテルのロビーかと見紛う豪華な入口と吹き抜けのホール、メモリアルスタンドにはホテルオークラのレストランが出店しているなぞ、一昔前の競馬場では考えられなかった。

小学生の頃は大きく感じた札幌競馬場は、東京や中山を見慣れた私にも大きく見えた。

空が、緑の芝が美しかった。

観覧席は、上に行くほど人口密度が低くなり、客層も良くなり、社会の階級を表しているようだった。パドックで厩務員に引かれて周回する出走直前の馬を見て、同行した男性たちに馬券指南をした。

「ホクトベガは去年のエリザベス女王杯で優勝した馬です。GIホースです。札幌記念はGⅢ(当時)ですからね。ホクトベガの体調を考えてもこれは絶対的な本命馬です。ホクトベガに賭けて勝ったら一割下さい。負けたら、私は一文無しになるので、みなさんは私にくれるお金を残して、賭けて下さいね」

「何か花菜ちゃん、凄いこと言ってるぞ」

「全財産賭ける気なのか」

「一体いくら賭けるつもりなんだ」

男性たちはざわついた。

私は一番人気でも二百円以上つけば買う。九十四年の札幌記念は、十三頭立てで二着に四番人気のエーピーグランプリが入り、馬連で七百五十円の配当だった。ホクトベガの単勝に全てを賭け、二倍にした。

純血サフォーク種の羊肉を出すジンギスカン屋で祝杯をあげた。徹さんと一緒に来た店だった。

東京に戻ると、競馬よりジンギスカンの美味しさが話題に上り、ホールインワンおめでとうと声をかけられた。私は競馬に熱くなり、ゴルフをしたことさえ忘れていた。しかも、千歳から羽田ではなく、伊丹空港に向かい、翌日は住之江でモーターボートに賭けていた。グランドチャンピオンの決勝戦があったのだ。やはり馬程熱くはなれなかったが、夏のボートは清涼感が気持ち良い。

九十五年の夏も同じメンバーで札幌に行き、馬連が四十四倍の配当がつき「国内線にファーストクラスがないのは残念ですねえ」と言うぐらい儲けて、笑いが止まらなかった。一緒に観戦した男性達から、たんまり御祝儀という名の情報料を貰い、板尾さんからも褒められ、うはうはだった。

札幌記念は2000年に馬券師をやめるまで一度も外したことがない演技の良いレースだった。

 

七月八日に、日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋を乗せたスペースシャトルコロンビア号が無事に軌道に到着した。彼女は「宙返り、何度もできる無重力」という短歌の上の句を詠み、それに対する下の句を募集した。私は俳句の会で仲良しの好永さんと考え、応募した。俳句がブームだった。私は好永さんが入っていた俳句結社の会員になっていた。

スペースシャトルから無線交信した四十二才の向井は、「天女になって飛んでいるような感じ」と、話していた。

伊東さんとするセックスはまさにそんな感じだった。

二度目のセックスは、オープンしたばかりのパークハイアットで、した。ピークラウンジで紅茶を飲んでから、広くシンプルな部屋で、した。した後にニューヨークグリルでディナーを食べた。


伊東さんは四十五階のフィットネス施設の会員になり、私達は時々そこのプールで泳いだ。四十五階から東京の街を眺めながら、進まない自転車を漕いだりした。この日、伊東さんからペンダントを贈られた。ブシュロンのセルパン。守り神である蛇を大胆にデザインしたイエローゴールドの見事な彫金細工で、七つのダイヤモンドがついていた。

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コメント

メルモ
No.1 (2015/02/02 21:20)
ながっ。
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