徹さんの部屋のチャイムを鳴らすと、彼が、満面に笑みを浮かべ、迎え入れてくれた。チャコールグレーのチノパンに、洗いざらしの白いオックスフォードシャツを着た彼は、大きな窓から降り注ぐ柔らかな日差しを受け、いつもよりラフな雰囲気が漂っていた。

部屋には徹さんがつけている香水の匂いがほのかにする。ずっと愛用しているというシャネルのエゴイストの小瓶がライティングデスクの端に置かれていた。

「デパートで買った食品は冷蔵庫に入れておいたよ。お腹空いてる?」

と、訊かれたので、まだ大丈夫と、返事をした。

彼は腕時計を見て何かを考えている。天ぷら屋は、夜の営業時間が五時から十時までなのだ。予約しようと思っているのだろうか。

「花菜ちゃん、こっちに来てごらん」

一人がけソファに座っていた彼が、私を手招きして呼び寄せた。私が、何だろうと少し首を傾げてから、彼の傍に歩いていくと、彼はソファから立ち上がり、「花菜ちゃん」と言い、長い腕で私を抱き締めた。

いきなりのことに私は気が動転した。

両肩がびくんと上がり体が硬直している私の顔を見て、彼は「好きだよ」と言った。「もう我慢できないよ」と切なげな声を漏らし、私の髪を何度も撫でた。そして、半袖ブラウスから出た私の腕をさすっている。

「たまらないよ。すべすべして、何て綺麗な肌なんだろう。白くてなめらかで、こんな触り心地のいい肌は初めてだよ」

明らかに彼は興奮していた。いつもの徹さんと違った。私を異性として意識した一人の男性だった。

彼の胸に押し付けられていた私の顔を体から少し離すと、彼の右手が私の頬に触れた。私は言葉が出なかった。彼の中指が私の唇の輪郭をなぞっている。私は無意識に口で呼吸をしていた。呼気が彼の指にかかっているのに気付き、彼の顔を見上げると、しっかり目が合った。

「花菜ちゃんのこと、本気なんだ。好きでどうしようもないよ」

そう言って、彼は顔を近づけ、唇を重ねた。

男性とする初めてのキスだった。