一九八六(昭和六十一)年の四月に男女雇用機会均等法が施行され、九月に土井たか子が日本社会党委員長に就任した。私は、ウーマンリブやフェミニズム運動に全く関心がない上に、政治の話になると毛嫌いしていたのだが、判官贔屓の父がスクラップする新聞記事に、土井さんの話題が多いものだから、私は社会党にだけやや詳しくなった。
一九八七年二月にNTT株が上場され、株価が高騰。巷では株や不動産投資をする財テクという言葉もよく耳にするようになった。三月に安田海上火災がゴッホの『ひまわり』を五十三億円で落札したことを皮切りに、円高を背景にした外国の有名絵画の購入ブームが始まった。六月には日経平均株価が二万五千円台に上昇した。
私は当然のように町の公立中学校の一年生になった。
中学入学と同時に母との交換日記はやめることになった。母に対し、嫌なことは嫌だと言える強さを身に付けた。中学時代の楽しかったでき事は、全て学校外で起きたことだった。中学校を卒業してから、中学時代を思い出すことなく過ごし、大人になってふと気付くと、担任教師の名前さえ忘れていた。中学の三年間は高校受験のためだけに義務で通う場所なのだから、静かにやり過ごすことだけを願った。
一度、三年生の女子に呼び出されたことがあった。トイレで待っているからすぐ来てほしいと、使い走りの見知らぬ女子が教室に突然やって来た。三年生の教室があるフロアに連れて行かれた。女子トイレからクリーナーをかけているような音が聞こえてくる。
トイレのドアを開けると化粧の匂いが鼻に付いた。鏡の前で茶色く染めた髪をブローしている女子が目に入った。口紅を塗っている女子もいた。トイレはメイクルームと化していた。用を足した酪農家の娘らしい地味な生徒が、すいません、と言いながら私達の間をすり抜けてトイレから出た。三年生は完全に二極化していた。そして、どうも私は危ない勢力に属する先輩から目を付けられてしまったらしい。
「あんたが木山さん?」
リーダー格の女子が睨みつけた。セーラー服の上着の丈がやけに短い。お臍が見えそうだ。逆にスカートは標準よりやけに長い。私より背が高く、大人っぽい顔立ちだ。
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