一九七四(昭和四十九)年、謎めく微笑を湛えたレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』が初来日した。上野の東京国立博物館は連日長蛇の列が続くというニュースが日本列島を駆け巡ったこの年、私は北海道に生を受けた。



女王蟻

 「コーヒーを淹れましたわよ。そちらにお持ちしましょうか?」

 階下から、母、淳子のよく通る声が響いた。

「うん。お願いするよ」

父は二階の書斎のドアを開けて、明るく弾むような声で言った。

室内は父、正芳がくゆらすパイプと、来客が吸う葉巻の煙でもうもうとしている。真空管アンプの柔らかい音でビートルズが流れている。私と真由ちゃんは、パーソナルコンピュータのモニターを真剣に見つめ、オセロゲームに熱中していた。

一昨年に発売されたNECのPC‐8001を手に入れた父はパソコンに凝り始め、今では本格的なプログラミングができるようになっていた。父の書斎にある幅二メートルほどある白木の机の上には、当時まだもの珍しかったパソコンとその周辺機器がズラリと並んでいて、見物に来る人が絶えなかった。

多少、気難しいところがある父は、誰でも歓迎するわけではなかったが、今日のお客さんは、格別の扱いをしていた。私は六歳のこの日まで、父がこれほど嬉しそうに笑って話す姿を見たことがなかった。来客を心待ちにし、再会を喜び歓待し、溢れんばかりの笑顔を見せる父の様子は、ある意味とても新鮮で衝撃的だった。

父が再会を待ち焦がれていたその人は、私と真由ちゃんがオセロゲームに興じている書斎の応接用のソファに座り、今、父と向かい合って談笑している。

その手には、ビートルズ解散後の一九七三年に発売された赤と青のベストアルバムがあった。傍らのコンポーネントステレオからは、彼らのヒットナンバーである『キャント・バイ・ミー・ラヴ』が流れ始めた。

「あら、随分ご機嫌な曲を聴いていらっしゃるのね」

コンッコンッと軽やかなノックをして入ってきた母は、木製トレイから応接テーブルにコーヒーを二つ並べた。父がお気にいりのミッドウィンターのティーカップを選んだところに、母も、針ヶ谷さん一家は特別なおもてなしをすべき人たちなのだと思っている様子が窺える。

母が、父と親友の針ヶ谷さんのために用意したコーヒーカップは、ファッションシェイプと呼ばれるシリーズのネイチャースタディだった。クールなモノトーンで、流れるように細くなっていく曲線のラインは、一九五五年(昭和三十年)に発売されたものとは思えないくらいモダンだった。

「花菜と真由ちゃんにはココアを作りましたよ。ゲームは中断して、お父さんたちと一緒に、ちょっと休憩したらどうかしら」

 と、母はパソコンの前にいる私たちに微笑みかけた。

PTAの集まりや、授業参観日よりも、念入りに髪型をセットし、お化粧をしていた。まるで、オペラ鑑賞や音楽教室の発表会に行くときのスタイルだ。洋服はブルーを基調に、いくつもの渦巻きが浮き立つような繊細な柄の夏らしいワンピースだった。

 私は「はい」とこっくり頷いて、真由ちゃんと一緒にテーブルについた。ソフトクリームのように絞り出されたホイップクリームが、湯気が見えるほどの熱さのココアの中に溶けていく。真由ちゃんは、

「わぁ、美味しそう。私、ココア大好き。いただきます」と言って、火傷しないように注意しながら、ゆっくりと一口飲んだ。

「おばさま、とっても美味しいです」

 真由ちゃんは両肩をクイッと上げて胸の前で両手を合わせて、にっこり笑った。アーモンドのようにくりっとした目、口調、仕草や表情、真由ちゃんの発するそのひとつひとつが、私には眩しくて、可愛く映った。

そもそも私の母のことを「おばさま」と呼ぶ人は、今まで誰もいなかった。母は、「ピアノの先生」か、「奥さん」か「花菜ちゃんのお母さん」であり、あるいは「おばさん」だった。私は、自分の両親が格上げされた気分になり、何だか嬉しくなった。真由ちゃんと接していると、自分の頬が上気しているのがわかって恥ずかしくなる。

「今、恵子さんとスコーンを作っていますから、焼き上がったらアフタヌーンティーにしましょう」

と、母は誰の返事も待たず踵を返して、急いで階段を下りていった。どうやら母は、一階のキッチンで、真由ちゃんの母親である恵子さんとスコーンを作っているらしかった。

「淳子さんは、相変わらず明るくてマイペースだなあ。まったく三十過ぎて、あんなに天真爛漫な女性も珍しいよ。淳子さんは天性の自由人だね」

 と、コーヒーカップを手にした真由ちゃんのお父さんは笑みを浮かべた。

「しかし、懐かしい味だなあ」

 母がコーヒーといっしょに置いていったクッキーを食べて、真由ちゃんのお父さんは、そう唸った。

「ウォーカーのものだろう?」

 と、父は真由ちゃんのお父さんが頷いたのを確認してから、私にこう言った。

「これは、ショートブレッドと言ってね、スコットランドの伝統的な焼き菓子なんだよ。一八九八年の創業以来、世界中で愛されている味なんだよ」

私に教えを諭す先生のような口ぶりだった。

真由ちゃんは、ショートブレッドが盛られたお皿に描かれた赤や緑の傘をかぶったキノコの絵が可愛いと言って眺めている。

「このデザインは、トッドストゥールと言ってね、毒キノコという意味なんだよ。淳子さんは絵本が好きだから、毒キノコなんて知らずに、絵の可愛らしさだけで選んだのだろう」

 と、父が言った。

「おじさまのおうちには可愛い食器がいっぱいあるのね。この水玉のカップもとても可愛いわ。これはおばさまのご趣味なの?」

 と、ココアが入っていたカップを持ちあげ、真由ちゃんは父に尋ねた。

「これは淳子さんの嫁入り道具のひとつなんだよ。ミッドウィンターのスタイルクラフトシリーズは、ハンドルが幅広でフォルムにも安定感があるから、子供用にもぴったりなんだ。このレッドドミノは可愛い女の子が来たときにだけ出す、とっておきのティーカップなんだよ」

 と、答えると、真由ちゃんは「わぁ、嬉しい」と、また胸元で手を合わせて黒い瞳を潤ませた。

表情豊かであるけれど、とても自然に喜びを表現する真由ちゃんからは東京の女の子の香りがした。

一歳年上の真由ちゃんが、私よりもずっと年上に感じられた。

真由ちゃんよりもずっと身長が高く、ぽっちゃり体型で、真っ黒なおかっぱ頭の私は、北海道の田舎に住む冴えない少女なのだと思い知らされた気がした。

 真由ちゃんは、小さな顔に驚くほど左右対称に整った目鼻立ちで、栗色のサラサラした長い髪はツヤツヤ光って、毛の一本一本が細かった。小さな華奢な体つきのお姫様みたいな真由ちゃんは、抱き締めると壊れてしまいそうに可憐だった。

そんな真由ちゃんを見ているうちに、私の中に、自分でも説明のしようのない感情が湧きあがってきた。それは、今まで感じたことのなかった想いであり、地元でお嬢様扱いされ、チヤホヤしかされたことのなかった自分のプライドがぐらついていることを自覚するのに充分なものだった。

 私は、真由ちゃんが醸し出す雰囲気から東京という世界で暮らす人たちの生活を想像した。そして、その生活に嫉妬心を抱いている自分に驚いた。