前回は選手の記者に対する受け答えや、そのコメントの意味や中身についてふれました。
今回はその選手達のコメントの過去から現在への変化について書いてみたい。
競輪の創成期に於いての事はあまり分からないが、私が競輪選手としてデビューしたのが1988年9月の事です。
それより少し前はコメントもなく、記者の想定並びが紙面に載っていました。その頃の競走はスタート合戦を制した選手が一番強い先行選手を迎え入れ、強いマーク選手も迎え入れる。そこからレース始まる形態でした。
スタートを取った選手が強いマーク選手を迎え入れる理由は無駄な競りを避けるためです。その選手と競るのを避け、チャレンジャー的な選手達との競りも避けられる。勿論チャレンジャーは番手勝負ですから、迎え入れた強いマーク選手が競ってくれます。自分は前で競り負け弱っている選手を捌くだけになるからです。ゆえに読みやすかった部分もあります。
現在の様な地区別や点数順位で序列が決まるレースでは無かったのです。
強い自力選手の番手に行きたいなら外から競るしかない。それを繰り返し競り勝って行けばスタートを取る選手に今度は入れて貰える様になり、這い上がって行く事が出来る。それがマーク選手でした。
そんな時代の名残も私がデビューした時は少しありました。
それは四国地区の競輪場に行くと選手が見る予想紙の並びは全てマジックで消されていました。選手控室などに何部か色んな予想紙が現在でも置かれています。そんな時代でした。そして私自身もデビューしてしばらくの間は記者に質問された時も自力でとしか答えて無かったと思います。次の日の朝に並びと自分に付けられた印を見る程度でした。まず自力選手だったので自分の競走をするだけだった事と、当時は新人リーグ4か月、そしてA級戦を7か月の間、全て本命で走ったと思います。ですから人のコメントにも興味もなく、自分が自力で勝ちに行くだけだったからです。そして時代は流れ、並びが重要なものになって行きました。それがゆえに調子云々よりも明日の位置を聞く事が中心の取材に変化。各新聞社、各予想紙の記者が同じ質問を一人の選手にする事になりました。当然選手は同じ質問ばかりで嫌気がさし「さっき話しました」の答えになり、新聞記者がコメントのすり合わせを集まってする様になっていったのです。競輪を知らない記者でも入りやすくなったとも言えます。そして前回書いた様に選手達が記者に本当の事を言う事が少なくなって来たのです。
そして選手のコメントの中身も実はそれ以上に変化して来ています。
以前はGIなどでシリーズの優勝候補などは「僕から4日間買って下さい」とか「先行争いがあって
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