78a1d のコメント

>>7 >>8 >>26 >>27 >>36
>神武天皇 じんむてんのう
>《日本書紀》での建国の天皇。
>もとより史実ではない。
出典:『コトバンク』https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

>〔天皇の人数・代数〕
>現在、皇統譜で神武天皇を第一代とし、弘文天皇を加えて今の天皇を百二十四代としているのは、学問とは無関係の公的決定にすぎない。
>そもそも、天皇の代数として一定の数を定めることは、最古の天皇の実在性の問題のほかにも、同時に両天皇の併立した時期があり、天皇の順序を単線で連ねることのできない点からも不可能である。
出典:『国史大辞典』

>記紀批判 ききひはん
>《古事記》《日本書紀》の史料的性格を検証・確定する学問手続。
>すでに江戸時代の山片蟠桃が〈神功皇后ノ三韓退治ハ妄説多シ。応神ヨリハ確実トスベシ〉〈神武ヨリ千年ホドノ間ハ神代ノ名残(なごり)ニテ,史ニハイカニ載タリトモ,ミナコシラヘゴトナリ〉とみた。また藤(井)貞幹は〈神武天皇の御末は仲哀天皇にて尽させ玉ふ。応神天皇は何くより出させ玉ふや〉と皇統の断絶を述べた。
出典:『コトバンク』https://kotobank.jp/word/%E8%A8%98%E7%B4%80%E6%89%B9%E5%88%A4

>継体天皇 けいたいてんのう
>[?―531]
>記紀に第26代と伝える天皇。没年は527年、534年の説もある。
>この天皇の出自については、遠く越前から入ってきたこと、大和に入るまで20年を経ていること、応神5世孫とされているがその間の系譜が明示されていないことから、地方の一豪族で、武烈亡きあとの大和王権の混乱に乗じて
>皇位を簒奪(さんだつ)した新王朝の始祖とする見解が有力である。
出典:『日本大百科全書(ニッポニカ)』

>南北朝時代 なんぼくちょうじだい
>日本で、中世、朝廷の皇統が南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)とに分裂し対立した時代。
>一般には分裂直前の建武の中興(一三三三〜三六)を含めて、鎌倉時代と室町時代の中間の時代をさしてよぶ場合が多い。
出典:『日本国語大辞典』

No.51 114ヶ月前

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