第6回 ミッキーの「青春の挫折」スポーツ編
いまだに、その夢を見て悔しくて涙することがある。
その夢とは、中学3年の夏の大阪府の野球大会で惜敗した、最初の大きな「挫折」だった。
いまちょうど夏の高校野球が行われているが、オレもかなり真剣に「甲子園に行きたい」と夢みる野球少年だった。
実際、中学時代に対戦した相手中学の3人ぐらいが甲子園に出ている。そして、その3人のうち2人からオレは「三振」を取っている栄光の過去を持っているがゆえに、よけいに悔しいのだ。
《※編集部注:どんな栄光の過去だ!》
長嶋茂雄に憧れて、小学3年ぐらいから、昭和30年代当時は、近所にいっぱいあった「原っぱ」で、同級生や年上の近所の兄ちゃんたちと「三角ベース」で毎日のように遊んでいたものだ。
小学5〜6年のころは、校内のソフトボール大会でクラス優勝の常連だった。
オレは当然、「4番でエース」。野球部にも入っていて、市の大会で準準決勝までいって大活躍したりした。
当然のように中学でも野球部に所属した。
書き忘れていたが、オレの出身の八尾市立大正中学の後輩に桑田真澄がいる。それだけでオレの野球の実力がわかってもらえると思う。
《※編集部注:中学のはるか後輩に桑田真澄がいることと、ミッキーの野球の実力は関係ないと思われ。》
中学ではチームの人数が少ないせいもあるが、1年生でレギュラーで「ショートとピッチャー」をやっていた。
秋の新人戦では、2年生のエースが肩を壊したことから「先発投手」をやって1回戦を突破している。
中高年になった今だからこそ思うが、中学1〜2年生のころの野球人生が最高だったなあと。
なぜかっていうと、よけいなことを考えずにただただ「夢中」だったからだ。
たとえば、ピッチャーでいうと、木村さんという先輩キャッチャーのサイン通りに一心不乱に投げられた。
2年生の秋からは「キャプテン」になったこともあり、辞めようとする選手を引きとめたり、後輩の面倒をみたり、野球だけでは終わらず、いろんなことで忙殺され、選手でありながら「チーム管理」という仕事で悩まされたからである。
さて、夢にまで見る試合である。
まず、問題はチーム事情だった。
3年生だけでチーム編成ができず、おまけに、2年生が2人しかおらず、やもうえず1年生から2人を抜擢しなければならなかったのだ。
《※編集部注:「やもうえず」は原文ママ。おそらく「やむを得ず」の意》
それも、セカンドの松尾というガキが極端な上がり症でエラーばかりする問題児だった。練習試合でも何回もその松尾のエラーで負けていたからだ。
もう一つの問題が、5年ぐらい年上の「不良先輩」だった。
常時、監督の先生が見てくれていないので、そのアホ不良先輩が時々コーチしにくるのだが、子供ながら殴ってやろうかという横暴なヤツだった。
その先輩というのが目が極端に細く、それも漫画に出てくる不良そのもので、目が釣りあがっていて見るからに怖いのである。
そいつは、選手としては二流だったようで、特技が「スライディング」。
ケツの皮がめくれるほど、スライディングをオレたちにやらせるのだ。もうこれが、イヤでイヤで野球部を辞めたいと思ったほど。
現に、3年のそこそこ優秀なメンバーが表向きは「高校受験の勉強」のためと言って、でも、どう考えてもこの不良がイヤで辞めたとしか考えられなかった。
このヤンキー野郎がよりによって、夏の大会の初戦の前日にやってきたのだった!
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