「ゲーミフィケーション」という言葉
ひと月ほど前、『ゲームにすればうまくいく―<ゲーミフィケーション>9つのフレームワーク』などの著書で知られる、株式会社ゆめみの取締役でSprocket代表の深田浩嗣さんのお話を聴く機会がありました。
それ以来、深田さんのある言葉が頭から離れずにいます。
「ゲーミフィケーション」という言葉を、もう自分からは使っていない。
ゲーミフィケーションという言葉をある程度きちんと追い、それが指すものを理解している人にとっては、その世界の第一人者である深田さんが「もう自分からは使ってない」というのは驚きではないでしょうか。
バズワードと過剰整理
ここ3、4年で、ゲーミフィケーションという「言葉」の周りで起きたことを端的に書くと以下のようになると思います。
- 新しいテクニックや概念としてさまざまな解釈と共に紹介されて拡がった後、反動のように極端に単純化され、「サービスにゲームを組み込むとユーザーが夢中になるっていうアレでしょ」と言った紹介をされるようになってしまった。
- その後、本質的なところを理解することのないまま、あるいは大きな誤解をしたまま「なんか一瞬はやってたヤツね」と結論づける人が増えた。
こうした「過剰整理」とでも呼びたくなるような極端な単純化が、ものごとの本当の価値の浸透を妨げるケースが世の中に増えてきている気がします。
本当の価値を理解し伝えようとしている人にとっては、なかなか厳しい時代です。
社内SNS……ああ一時期、妙に期待されてたアレね
「社内SNS」という言葉の周りでも、似たようなことが起こってきていないでしょうか。
「組織の壁を越えて会社が元気になるっていうアレでしょ」
「なんだか一時期、妙に期待されてたヤツね」
世間の「SNS」に対するイメージの単純化と同期し、「SNS疲れ」「リア充」「既読スルー」などに代表されるネガティブなキーワードと共に、なんとなくわかったような気になり思考停止してしまう。
少なからず、そんな人を目にします。
SNSは「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」の略ですが、世間一般のSNSの多くは「知り合いの数」と「やり取りの数」の増加がそのまま収益の増加に直結しています。
「知り合いが増える → やり取りが増える → 広告収益が増える」という図式です。
そのせいもあり、SNSの真ん中にある「N」の部分、つまり「ネットワーキング」の部分がいろいろこねくり回されて、中身を問わないむやみなコミュニケーションを生み出そうとしているものが増えすぎてはいないでしょうか。
「社内ソーシャル」は「社内SNS」ではない
人と人をつなげる、そのつながりを強化していく「ネットワーキング」はもちろんとても重要です。
ただし、社内SNSの目的は、ネットワーキングとコミュニケーションそのものではないでしょう。
IBMの例では、社内SNSは「社会でもっとも必要とされる企業であり続けるために、価値を生み出し続けるためのツールでありオンライン上の職場」と位置づけられています。
「人のつながり」の拡大と深化を土台に、しなやかで強い何重ものコラボレーションの輪で社内を埋め尽くすことが目的とされています。
こうして考えていくと、社内SNSの場合は「ネットワーキング」という言葉が、むしろ本質を伝わりづらくしているような気がしています。
さらに言えば、もはや「ソーシャル」という言葉自体が「人のつながりを支援する」という意味合いを含んでいると感じる人も少なくないでしょう。
今後、私は自分から「社内SNS」という言葉を使うのはやめにしようと思います。
私にとっての「社内ソーシャル」は、「社内ソーシャル・コラボレーション・サービス(社内SCS)」を意味したものです。
もう一つ、深田さんの「何をエンゲージメントと捉えるのか、改めて見つめ直す必要があるのではないか」という言葉もずっと心に残っているのですが、こちらはまた別の機会に改めようと思います。
Happy Collaboration!
八木橋 Pachi 昌也
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