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なぜ近年、世界に通用する日本の起業家が皆無なのか【btrax】

2012/10/17 09:30 投稿

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先日の SoftBank による米国スプリント社買収のニュースが記憶に新しい。

 

“私が生きているうちに世界1位なる” と宣言した孫正義さんは、まさに”世界に通用する日本の起業家”であろう。実は孫さんの右腕となり、この買収を影で支えているある人物と、2年ほど前に議論したことがある。

 

議題は単純、“なぜ近年世界に通用する日本の起業家やベンチャー企業が皆無に等しいのか”。

 

その人物は、学歴/職歴共に超エリートで相当な切れ者であるが、友人であり、会社を設立する前から幾度と無く親身に相談にのってもらっている恩人でもある。当時シリコンバレーにオフィスがあるアメリカの指折りのVCファームに勤務しており、多くの米国企業の日本市場向け投資案件の責任者だった。

 

あの時に議論をしてから約2年が経ち、その内容に関して自分としても一つの結論が出たので、簡単に書き留めたいと思う。

 

 

近年、世界に通用する日本の起業家が生まれない3つの理由

日本には、戦後相当貧しく不利な環境にも負けず、這い上がり、会社を興し、世界に挑んだ起業家が多くいた。

 

その頃に出来た事がなぜ最近は出来なくなってしまったのか。あの時代に可能だった事が、現代出来なくなったとはどうしても考えにくい。このボーダレスの時代、むしろ環境的には有利になって来ているのではないか。日本から世界に通用するような起業家、松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫、稲盛和夫等に続く人間が現れないのが不思議だった。

 

昨今シリコンバレーばかりがもてはやされ、日本の起業家も憧れを抱いている。おおむね日本で育った自分は、そこに多少なりとも悔しさも感じている。今の時代、情報は瞬時に入ってくるし、まだまだ課題はあるが、言葉の壁も少しずつ低くなりつつある。起業家に対して必要とされる環境は全て揃ったと言っても過言ではない様に思える。しかしながら、グローバルな規模で展開を目指している企業を成功に導くサービスを提供したいと強く思っている自分に対して、友人は冷静に一言、”無理だろうね。“と言った。多くの日米企業を理論的に分析してきている彼が放ったその一言はあまりにもショックだった。

 

どうしても理由が知りたかった。それに対しての彼の答えは “時代が違う” だった。時代が違う? どう考えても時代は良くなっているはずに思えたが、その先には納得をせざるを得ない3つのファクターがあった。

 

 

1.優秀な人間の選択肢

戦後は財閥解体や既存のシステムの崩壊等で、全てをゼロから作り直さなければならなかった。それが故に安定した職や、大企業が少なかった。その環境下での多くの若者達の選択肢は、会社を興す事。何も無い所から、失う物が無い状態で裸一貫から事業を始めるケースが多かった。必然的にその中から優秀な人間が頭角を現し、大企業まで育て上げ、世界を舞台に戦った。一方現代では、多くの優秀な人材は大企業で働く事を望む。相当な時間、お金、エネルギーを費やしてトップレベルの大学を出た人間にとって、ベンチャー企業を始めるのはあまりにもリスクが大きい。それに対するリワードも低過ぎる。従って、彼らはまずは大企業に就職し、起業家精神は薄れて行く。必然的に現代の日本で起業する人たちのレベルは低くなってしまう。リスク vs リワードを検討した結果、優秀な人が会社を始めるケースが多いアメリカと比べてみても、不利である。優秀な人間は会社を始めない時代になってしまった。

 

 

2.教育システム

僕自身は日本での学校(中学/高校)では、相当落ちこぼれの部類に入っていた。興味のある事だけにとことんこだわってしまう性分のため、日本の教育/評価システムには全く適合していなかったのだと思う。それ故に、いくら英語の点数が良くても、合格できるであろう大学も極わずかだった。それがアメリカの大学では、同じ学部の誰にも負けない自信があった。好きな事に没頭させ、自主性を育てる教育システムは、エキスパートやリーダーを育てるのに最適である。少々バランスが取れていなく、協調性が低くても、その人間に適した活躍の場を与えられる。一方彼によると、日本の教育は優秀な組織人育成プログラムだという。起業家になるようなタイプの人材は日本の教育システムでは評価されにくいらしい。協調性を重視し、自分が興味の無い事でも上から指示された事は無難にこなす。クリエイティブな発想は必要としない。その結果、最適な組織人が生み出される。日米両国のトップスクールを出ている彼の言葉は説得力がある。

 

 

3.ハングリー精神

もう一つの理由として、精神面が上げられる。戦後はやはり貧しい環境であった為に、起業家達はハングリー精神が旺盛だった。また、敗戦国ということもあり、いつかは世界に出て、見返してやろうという思いもあったのかもしれない。もしかしたら、当時の起業家達は現代人には無い屈強な精神力で、数ある困難を乗り越えて来たのかもしれない。正直なところ、非常に理知的、理論派で沈着冷静な彼がこんな事を言うのは驚きであった。でもやはりビジネスに於いて最後の勝負を決めるのは精神力なのだろう。日本のメーカー勤務の人間が同業他社のApple製品を賛美するような事は、その当時の感覚からすると信じられないと想像できる。  

 

 

こうすれば世界に通用する起業家が出てくる(かも)

ここ数年日本からの学生やインターンを見て来て思うのは、彼らが非常に優秀だと言う事。もしかしたら、幸運な事に偶然優秀な方々に巡り会えているのかもしれないが、他のスタッフですら、”世の中の風潮と違って、日本の若者も捨てたもんじゃないね” という。ただ、やはりその優秀な若者がグローバルで活躍出来る環境がどれだけあるかは正直疑問である。その為には何かを変える必要がある。下記のポイントがクリアされれば、グローバルな起業家が出てくるような気がする。

 

  • 会社を興すリスクに対するリワードをアップさせる
  • リーダーやエキスパートを育てる教育システムの充実
  • 世界で活躍するロールモデルを作る

 

言うは易しであるが、やっぱり優れた起業家がグローバルな舞台で活躍出来るような環境が整えばと切に思うし、自分として、会社として何か出来ないかを真剣に考えたいと思っている。

 

冒頭で述べた通り、現在その友人は日本人起業家を世界に通用させる立役者になっているのだ。私としても、大変尊敬する理論派の友人の意見に対して、真っ向から勝負を挑ませて頂きたい。

 

 

元記事URL: freshtrax

 

 


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