[MM日本国の研究836]「津波との競争 老夫婦の間一髪」
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⌘ 2015年02月26日発行 第0836号 特別
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■■■ 日本国の研究
■■■ 不安との訣別/再生のカルテ
■■■ 編集長 猪瀬直樹
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「津波との競争 老夫婦の間一髪」
4年目の3.11が近づいてきました。『救出 3.11気仙沼 公民館に取り残
された446人』は東日本大震災の記録です。「押し寄せる津波、燃える海、
水没した公民館屋上の446人。絶体絶命の危機にさらされた彼らが全員救出
されるまでの緊迫と奇跡を、迫真の筆致で迫真の筆致で描く感動のノンフィク
ション」とオビで紹介されています。メールマガジンでは本書から緊迫のワン
シーンを抜粋してお送りします。
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小野寺康雄は反対する妻を制して、小走りで自宅へ向かった。津波で家が水
没したら先祖の位牌はどこかへ流されてしまう。それは彼にとって、あっては
ならないことなのだ。たかが百メートルばかりの距離などたいしたことではな
い、八十八歳であっても剣道五段、木刀の素振りを欠かさず、毎日散歩で足腰
を鍛えている、と自らを鼓舞して走った。津波には中央公民館と自宅を往復し
ても間に合うと思った。
二階建ての家に着いて、玄関を開け、ふと魚市場方面を見て、驚きまし
た。岸壁を越えた海水がこちらに向かって流れてくるのが見えました。問
題はその速さです。昭和三十五年のチリ地震津波も、自宅にいて経験して
います。床上浸水でした。チリ地震津波の速さとは較べものにならない速
さでした。ササーッとアスファルトの道路を滑るようにこちらに近づいて
きました。位牌は諦めることに決めました。逃げようと思った瞬間、履い
ていた革靴に目が止まりました。津波と競争になると思い、長靴に履き替
えました。玄関には災害に備えた常備品として長靴と安全第一と書かれた
クリーム色のヘルメットを置いてある。ヘルメットは妻の分と二つ、抱え
た。玄関に鍵をかけようとしたが地震の揺れで歪んだのか、押しても引っ
張っても閉まらない。ガタガタやっているうちに玄関に水が到達しました。
走るよりは、少しでも早く公民館まで行けるかもしれないと、玄関前に
駐車してあった自家用の軽自動車に乗り、自宅前の市道に出ました。
すでに津波は道路を濡らし、徐々に水位を上げつつありました。津波に
追いかけられるよに必死にアクセルを踏み、中央公民館前の道路に出まし
た。あっという間に水かさはタイヤ半分まで来ていました。排水筒に水が
入ったらまずい、焦りました。公民館入口までは後、五十メートルもあり
ませんが、交差点を南進するということは、流れに逆らう形になりました。
ジャブジャブと増えていく水をかき分けて、ガバガバと進みました。中央
公民館の玄関前には車が何台も停車しており敷地内には入れませんでした。
道路に車をぶん投げる(置き捨てる)ことにしました。ドアを開けると、
津波は二十センチほど、長靴に水が入るくらいのところまで来ています。
どくどくどくと増える津波をかき分けて歩くのはたいへんでした。長靴に
水が吸いついて引っ張られます。館長や職員が「早く早く」と手をぐるぐ
る回しながら大声で叫んでいました。あと十メートル、あと五メートル、
やっと玄関。玄関には妻がいて、それこそ泣きそうな顔をしていました。
まさに間一髪でした。
小野寺アツ子は、言い出したらきかない夫の性格をよく知っている。百メー
トル先だからもう戻ってよいはずなのに、姿が見えない。玄関で長靴に履き替
えたり、鍵をかけようと奮闘していたことなど知るよしもない。
「お父さん、何やってるんだべ。知らない、もう波さ来てんのに」
気をもみながら、道路が見渡せる中央公民館の外階段の踊り場で、自宅方向
を見ていたら、長靴を履いた夫が車を停め、ヘルメットを抱え、水をかきわけ
ながら近づいてきた。慌てて外階段を降りて玄関の前に立った。泣きそうにな
った。悲鳴に近いぐらいのあらんかぎりの声を振り絞って叫んだ。
「早く! こっち、こっちだ!」
六十四年もいっしょにいる。これほど大きな声で叫んだことはなかった。
(『救出 3.11気仙沼 公民館に取り残された446人』より抜粋)
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