猪瀬直樹ブログ

[MM日本国の研究817]「『昭和天皇実録』のピンポイント(4)」

2014/10/09 18:04 投稿

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⌘                  2014年10月09日発行 第0817号 特別
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「昭和天皇実録のピンポイント(4)」

 天皇が政治にどう関わるか、明治憲法上では天皇に統帥権という大権がある
とされていた。

 すでに(1)(2)(3)で示してきたように昭和八年(一九三三年)の熱河攻略に
際して、昭和天皇は統帥最高命令を発するかどうか、躊躇したが、止めている。
立憲君主制の下では、国策は内閣の専管事項であり、軍隊については天皇が直
接指揮ができるタテマエである。しかし、天皇がいちいち作戦に口を挟めば、
“天皇親政”ということになり責任が生じる。

 伝家の宝刀を抜くか抜かないか、熱河攻略では、国際連盟へ平和愛好のメッ
セージとして詔書を発するところで終わった。ついに大権発動はなかった。

 日米開戦や、終戦のポツダム宣言受諾を含めて、昭和天皇の責任はどこまで
あったのかなかったのか、「昭和天皇実録」を分析しながら、そのもとをたど
っていくと、昭和八年の熱河攻略に行き着くが、さらに張作霖爆殺事件の一年
後の昭和四年(一九二九年)、田中義一首相の辞任劇における昭和天皇の役割
にまで遡り検討するほかはない。

 張作霖爆殺事件とは、「満洲某重大事件」と呼ばれていたもので、日本陸軍
の謀略で軍閥の首領を殺した事件である。首謀者は河本大作大佐だった。国際
社会が見守っているので調査を始めた。田中首相は軍法会議を開き厳正に処罰
すると、以前にそう昭和天皇に奏上している。二十八歳と若く生真面目な性格
の昭和天皇は期待しただろう。

 だが田中首相は、昭和天皇の「逆鱗」に触れた、ということで辞任する。天
皇の意思で時の首相を辞めさせるほどの権力行使をした、とされている有名な
事件である。

 戦後、昭和二十一年に昭和天皇は側近に歴史を振り返った証言を残した。そ
れが一九九〇年(平成二年)、昭和天皇崩御のあとになって「昭和天皇独白録」
として公表された。その生々しさは大きな話題となった。

「独白録」には、田中義一に対して「強い語気」で怒った様子が述べられてい
る。

「然るに田中がこの処罰問題を、閣議に附した処、主として鉄道大臣の小川平
吉の主張だそうだが、日本の立場上、処罰は不得策だと云う議論が強く、為に
閣議の結果はうやむやとなって終わった。

 そこで田中は再び私の処にやって来て、この問題はうやむやの中に葬りたい
と云う事であった。それでは前言と甚だ相違した事になるから、私は田中に対
し、それでは前と話が違うではないか、辞表を出してはどうかと強い語気で云
った。

 こんな云い方をしたのは、私の若気の至りであると今は考えているが、とに
かくそういう云い方をした。それで田中は辞表を提出し、田中内閣は総辞職を
した。聞く処に依れば、若し軍法会議を開いて訊問すれば、河本は日本の謀略
を全部暴露すると云ったので、軍法会議は取止めと云うことになったと云うの
である」

 昭和天皇の記憶である。今回公表された「昭和天皇実録」では、このあたり
をどう実証的に表現しているのだろうか。

「独白録」では、怒った、辞めた、が一回の上奏の間に起きたような表現にな
っているが実際には、六月二十七日の叱責、翌二十八日に田中首相の辞意、二
日間にわたる出来事であった。

 まずは二十七日、田中が奏上にくる。陸軍は軍法会議に付さず、行政処分で
済ませ真相はうやむやにすると決め、田中首相はそれを呑まざるを得なかった。
事件の内容を暴露すれば国益を損なう、という理屈である。昭和天皇の意にそ
ぐわぬ報告をもってくることはわかっている。しかし陸軍と正面からぶつかれ
ば、陸軍大臣が辞表を提出しつぎの内閣でも陸軍は陸軍大臣を出さず、若き天
皇の権威のほうが危うくなりかねない。一方、何も処分をしなければ、いった
んは期待した昭和天皇の気持ちも収まらない。立憲君主としてどう答えるべき
か。

 当日の午前中、牧野内大臣はじめ宮中の側近らが打ち合わせをし、「軍法会
議を開き厳正に処罰する」と以前に報告していた田中首相に矛先を向けること
とにした。

 そして午後、田中首相の奏上に昭和天皇は怒っている。

「昭和天皇実録」にはこう記されている。

「午後一時三十五分、御学問所において内閣総理大臣田中義一に謁を賜い、張
作霖爆殺事件に関し、犯人不明のまま責任者の行政処分のみを実施する旨の奏
上をお聞きになる。今回の田中の奏上はこれまでの説明とは大きく相違するこ
とから、天皇は強き語気にてその齟齬を詰問され、さらに辞表提出の意を以て
責任を明らかにすることを求められる。また田中が弁明に及ぼうとした際には、
その必要はなしとして、これを斥けられる。同五十分、田中は退下す」

 わずか十五分間の出来事だった。

 昭和天皇が自らの意思で内閣を更迭するという前例のない一大事である。申
し渡した本人の緊張も激しかったのか、同日午後の「実録」では「午後二時よ
りゴルフの御予定のところ、御心労のため椅子に凭れたまま居眠り」をしたと
記されている。これは「実録」で初めて明らかになった描写である。

 叱責された田中首相はどうしたか。この六月二十七日、二十八日の記述につ
いて、実録は「独白録」以外にも「鈴木貫太郎自伝」「河井弥八日記」など十
七の原典資料を挙げている。一九九〇年に公刊されている「牧野伸顕日記」に
よると、田中は天皇の前を辞した後、控室で鈴木貫太郎侍従長に「憂色を帯び
て拝謁の不始末を洩らし、陸相よりの言上不充分なりし為陛下の御納得を得ざ
りしを遺憾」と陸軍大臣のせいにした。板挟みとなった田中首相も気の毒とい
えば気の毒だが、あらためて二十八日に鈴木貫太郎侍従長が二十八日の午後、
田中首相を呼び出し、天皇の「真意」をあらためて伝えた。

「実録」に戻ろう。

「二十八日金曜日午後二時三十分、侍従長鈴木貫太郎に謁を賜う。これに先立
ち、鈴木は天皇の御内諾を得て内閣総理大臣田中義一を宮中に招き面会、昨日
の総理が拝謁した際の天皇の御真意につき、改めて伝達する。また田中より拝
謁のうえ、説明致したしと要求したことに対しては、侍従長より、天皇は御聴
取を思召されずと伝えられる。これにより田中はもはや御信任を欠くとして、
内閣総辞職の意を決する」

 この日、白川陸相より報告があった陸軍の処分案を、昭和天皇は裁可した。
意に反して受け容れ陸軍との正面衝突を避け、田中内閣総辞職というかたちで
天皇の権威を守ったのである。

 実際のところ、「叱責」で昭和天皇がどのように言ったのか、本人と田中首
相しかわからない。先ほど挙げた多くの史料にもそれぞれ微妙な食い違いがあ
り、「実録」も表現を抑制したり控えたりして矛盾を避けながら書いている痕
跡も見て取れる。

 これも重要な原典資料として記されている「奈良武次日記・回顧録」では、
二十八日の白川陸相の拝謁で、陸相ではなく上司である田中首相は天皇の「逆
鱗に触れた」と記されているが、この日は田中首相の奉上はなく、「実録」で
はあえて踏み込んでいない。白川陸相の拝謁中か、それとも拝謁後かも他に資
料がないゆえに確認ができない。結局、「逆鱗」を書くことは見送られたのだ
ろう。
               *

「独白録」では、田中を辞めさせたことによる余波に触れている。

「田中内閣は右の様な事情で倒れたのであるが、田中にも同情者がある。久原
房之助などが重臣『ブロック』と云う言葉を作り出し、内閣の倒(こ)けたは
重臣達、宮中の陰謀だと触れ歩くに至った。

 かくして作り出された重臣『ブロック』とか宮中の陰謀とか云う、いやな言
葉や、これを真に受けて恨を含む一種の空気が、かもし出された事は、後々迄
大きな災を残した。かの二・二六事件もこの影響を受けた点が尠(すくな)く
ないのである。

 この事件あって以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令(たとい)自分が
反対の意見を持っていても裁可を与える事に決心した」

 二・二六事件などで青年将校や右翼が、しばしば天皇の周辺にいる連中がい
けない、彼らは「君側の奸」であり、彼らを排除して「天皇親政」にすればよ
い、と主張するようになった原因は、田中叱責事件からだったと昭和天皇は述
べたいようだ。                                          (了)

                               *
                                       
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