2014年04月10日発行 第0792号 特別
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 ■■■    日本国の研究           
 ■■■    不安との訣別/再生のカルテ
 ■■■                       編集長 猪瀬直樹
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「記憶の断片から」(猪瀬直樹著『明日も夕焼け』(2000年刊)所収)


「人には馬鹿にされていよ」

 旧相馬藩大聖寺の暁仙和尚の「親父の小言」、なかなか深いものがある。通
俗性のなかに染み込んだ先人の知恵とでも言おうか。前回の「火は粗末にする
な」につづく冒頭の小言は、なんだかいきなり悟りの境地に引っ張り込まれた
気分、あるいは煙にまかれた気分。

 独創的な研究をしている学者やベンチャービジネスの創業者、彼らは一歩先
んじている信念の人だが世間は、頭がおかしい変わり者、としか見てくれない。
あるいはそんな偉い人でなく単にフーテンの寅さんのようにも受け取れる。こ
こはあえて道徳的な警句にとらえよう。

 人の悪口などいちいちめくじらを立てるな、と解釈した。つまらぬストレス
をためるな、と。凡人はなかなか悟りきれない。

      *

 だが被害者のつもりでいて知らぬ間に加害者になっている場合もある。僕の
連想は、ちょっと飛躍して遠い時間のなかに着地した。

 中学の同級生のQ君は、授業中、一度も発言しなかった。特徴がない。人を
笑わせたりすることもない。中肉中背、ややたれ目、似顔絵にしにくい。仲間
はずれまではいかないが親しい友はいなかった。いじめたつもりがなくても馬
鹿にしていたことになるかもしれない。

 同級会は、なんとなく誰かが順番に言い出しっぺになって五年か十年に一回
ずつぐらいはやっている。Q君が出席したことは一度もない。たまにしか出席
しない僕がそう言い切れるのは、出席者の名前がそれとなく耳に入ってくるか
らだ。送られてくる名簿の住所がずっと空欄のままになっている。

 昨年(1998年)、そろそろ同級会を開こうかとの声が上がり、初めて幹事役
を仰せつかった僕は、ふとQ君が気になっていちばん手軽な方法で捜そうとし
た。104番の電話の登録。故郷の長野市を指定したがない。近隣の市町村を
指定、ない。県全体を指定した。ない。

 姓は平凡だが、名前の読み方が変わっていたので同姓同名は少ないとみられ
るから、番号案内の女性に事情を説明し広域でお願いした。とはいっても県単
位までしか教えない。そこで隣の県、また隣、ない。東京かもしれない。クラ
スの半分は上京した。東京にない。千葉、埼玉、神奈川にない。登録していな
いこともあり得るが、この程度の探索では見つからなかった。取材のプロとし
ての方法もあるがそこは仕事とは違うので思いとどまった。結局、同級会は直
前に恩師が急病となり中止になった。

 僕がQ君を捜そうとしたのにはわけがあった。

      *

 中学2年の冬、クラス全員でスキーに行った。長野市にはスキー場がない。
あのころの道路事情では除雪が難しいので雪山まで観光バスは無理だしコスト
もかかる。汽車で長野駅から一時間ほどの妙高高原駅(当時の駅名は田口、平
凡なので後に観光にふさわしい名前に変更)で下車、そこからスキー板を担ぎ
一時間半、踏み固められた幅2メートルぐらいの雪道を、スキー場まで歩くよ
りない。

 スキー板が肩に食い込んだ。その日、体調がすぐれなかった。直前に、10セ
ンチばかりの積雪があったので、よせばいいのに近所の住宅街の坂のところで
遊んでいたら急に滑り出し加速して石垣に衝突、ケガをしなかったが買ったば
かりのスキー板を折ってしまった。

 代わりの板は旧型で重い。母親に叱られたことより自分のドジさ加減にうん
ざりした。新品の板で颯爽と滑ろうと思い描いていたのに、と気分は滅入って
くる。

 スキー場へ向かう道程の半分を過ぎた辺りで、冷や汗が出た。おおげさな表
現だが絶体絶命、八甲田山の遭難のつぎぐらいに辛い。みな自分のことで精い
っぱいなのでどうしてよいのかわからない。荒い息を吐いて立ち止まると後ろ
から歩いて来たQ君が、小さな声で、僕が持つよ、と自分の板と僕の板を肩の
ところでクロスさせて担いだ。

 黙って歩き出した。一歩、一歩、ある確実な足取り、その後ろ姿が残った。
あの日の記憶は一点にあり、スキー場の賑わう光景は打ち消されている。

 再び、日常の教室風景に戻る。Q君には誰も話しかけない……。

 Q君はどこでどんな仕事に就いているか。僕は、自分の「借り」を忘れては
いないが、彼は同級生の顔など、二度と見たくないのだろうか。

      *

 ここまで書いて、ある事件を思い出した。

 およそ10年ほど前に××県で起きた同級生大量殺人未遂事件である。

 逮捕された27歳の男は、中学時代にいじめられた恨みを晴らす目的で高校時
代から長期計画で犯行をくわだてていた。大学も就職先も、すべて報復のため
に選んだ。大学は化学系の学科を選択し、東京都内の化学系の会社に就職した。
動物実験で毒薬の効果を試したりした。こうして長い準備を経ていよいよ犯行
は実現の段階に入った。

 自分で同級会を企画した。ずっと同級会が開かれていませんね、そろそろや
りませんか、もし同級会を開くとしたらあなたは出席するつもりがありますか、
と書いて往復ハガキを出した。かなり出席率がよい、との手応えを得たので会
社を辞めた。

 同級会はみなが帰郷する正月に開けば集まりやすい、と考えた。二カ月ほど
かけて準備を整えた。アパートにこもって時限爆弾を製造した。三個の爆弾は
確実に爆発させるため、それぞれ薬品の種類を変える念の入り方で、この男の
執念がわかる。

 別に毒殺用の砒素を入手しておいた。郷里に帰ると会場として旅館に宴会用
の部屋を予約した。年末、箱に詰めたビールを旅館へ運び込んだ。持ち込まれ
た21本のビールは栓を抜いて砒素を混入して再び閉めたものである。そしてい
よいよ年が明けて1月2日に同級会が開かれる……。

 直前に母親が気づいて警察に通報しなかったら犯罪史上に残る大量殺人事件
になっていただろう。警察が押収した「殺人計画書」には、中学時代のいじめ
に対して、復讐の方法が綿密に綴られていた。警察がかつての同級生らに事情
を訊いたところ、たしかに学用品を隠されたり、自転車を壊されたりしたこと
があったようだ。男子生徒の大半がいじめに参加していたと証言する者もいた。

 殺人予備罪の懲役6年の実刑判決を受けた。男は情状酌量を求めて控訴した。
高裁では「執拗ないじめを受けたとはいえ、11年余りが経過した後の犯行であ
り、常軌を逸している。その危険性を考えると被告人の責任は重大」と、控訴
は棄却された。

      *

 あなたの周りにもQ君はいる。あるいはQ君はあなたかもしれない。ほんの
わずかな心の交流によって、僕は彼を永遠に記憶した。すなわち僕のなかで彼
はいまも生きている。しかし、すっかり忘れてしまっているQ君ではない別の
人物とも、仕事先や近隣などどこかで擦れ違っているにちがいない。

「人には馬鹿にされていろ」の逆は、追い詰めるな、だろうか。

                                (了)

               *
                                      
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