黒猫の肉球 のコメント

オッサンさんの昔話「学校編」にしては珍しくまともな先生がw

さて、例え話は「今目の前にない事象、現実に起こってない想像上の話」を扱うので、比較的高度な認知能力を要します。「ついさっきまで黒板や教科書に書いてあることを話してたのに今は何の話をしてるの?」「急に先生の話題が飛んだ」と感じてしまい、混乱するようです。
なので知能の発展途上にある子供の頃に分からないのは別に問題ではないと思います。
大人になった今は理解できているのであれば別に良いかと。
友人に教師がいますが、やはり例え話を持ち出すと混乱する子はいるそうです。
また、例え話は「本当に現実に存在する訳ではない話」をしているため、「そんなことあり得ない!先生が嘘をついた!」と感じて生徒から不信感を持たれてしまうケースもあるそうです。(教育って難しいですね)

他にも、算数の問題文にリンゴやミカンが数を数える際によく用いられますが、
「なんでリンゴなの?」という根本的な疑問につまずいたり、
「リンゴ」が「靴」などの別の物に変わると「何で変わったの?解き方が変わるってこと?」と勘違いしたりすることもあるそうです。
前者は注目すべき論点がずれている(国語ではなく算数なので重要なのはそこじゃない)、後者は数学的思考に対する本質的理解が未到達だと言えます。
こういう時、後の理解のためにも「なぜそこは重要じゃないのか」「算数(数学)とはどういうものなのか」をしっかり説明して納得してもらうよう努めるのが教える側の義務だ、と個人的には思っています。

とは言え、分からないことを放置するのも悪い一方、あまり特定のポイントにこだわりすぎると却って大局的に捉えられず、本質や本当に重要なポイントを見失い、結果マイナスの面が後々まで響くこともあるので、疑問を持つことを常に肯定するという姿勢も考えものだったり・・・
ここら辺の塩梅が難しいところですね。

No.12 20ヶ月前

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