SERMIT のコメント

小沢議員は原発事故に対するコメントの決まり文句「私は、原子力と言うのは今まで過渡的エネルギーだとずっと申し上げてまいりました。」と言う。しかし、原発行政を加速化させたその中心人物は実は小沢一郎議員本人であったと当の本人に自覚と反省が聞けないのはなぜだろう。
1991年青森県知事選は、「核燃サイクルの是非」という当時の原子力行政の未来を占う決定的に重要な選挙で、自民党公認の「推進派候補者」と農業団体市民団体の支持を受けた「白紙撤回派候補者」の一騎打ちという構図の中、大方の予想は、地元住民の圧倒的な支持で白紙撤回派候補者の勝利が確実視されていた。当時の自民党は、豊富な資金を背景に電力会社と一体となって推進派を応援。また、自民党から無所属で立候補した「「凍結派」という第三の候補者によって、白紙撤回派の票の分断に成功し、核燃サイクル推進派が勝利した。この時、日本が原発行政に突き進むことが決まったといっても過言ではないだろう。言うまでもなく先頭で推進派の応援の旗を振っていたのは小沢一郎であった。
俺は、小沢一郎が率先して生活の公約として脱原発の旗を上げて、既得権益者と真っ向から戦う覚悟を決めてくれたことは本当に心からうれしく思う。しかし、第二の敗戦と言われる福島原発事故からの過去の反省なくして未来は無い。
小出氏曰く「原子力と言うのはリスクを過疎地に押し付け、社会的弱者が作業者として投入されるという差別の上に成り立ってきた代物だ」ということに目を覚まさなければ、また同じ轍を踏むのだ。日本と言う国は。

小沢一郎を脱原発のシンボルのように持ち上げるのは結構だが、今しばらく距離をおいて見てゆきたい。

No.154 144ヶ月前

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