結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年3月17日 Vol.155
はじめに
おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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新刊の話。
先週の金曜日『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』の初校読み合わせが、 何とか終了しました。何点か再校までの「宿題」を残しましたが、 無事にボールを編集部に返すことができました。感謝です。
今回の新刊はいろいろと難産です。 昨年末の脱稿のときにも体調を崩しましたし、 初校直前の先週も体調がよくありませんでした。
しかしながら、何とか初校読み合わせを終えて四月刊行には間に合いそうです。 体調を整えつつ再校に臨みたいと思います。
◆『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』
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感謝の話。
結城が好きな聖書の言葉に「すべての事について、感謝しなさい」がある。 文章の通り、すべてに感謝しなさいという意味の命令である。 これに対して、ときどき「すべてのことを感謝するなんてできないよ」 と言う人もいる。まあ、実際問題として、それはそうである。
そうなんだけど、すべてに感謝しようとする習慣は大事ではないかと思っている。 実際に感謝できるかどうかという結果だけではなく、 実際に感謝しようとするという姿勢が大事だという意味だ。 「すべてに感謝しよう」という習慣は、 さまざまな局面で「感謝を探し出す」習慣につながっていくものだから。
「感謝を探し出す」習慣が身に付いていないと、 自分がどんなにすばらしい状況に置かれても、 どんなに恵まれた環境に置かれても、感謝するのは難しいのではないだろうか。
学校でも会社でもいいけれど、人が集まるところでぐるっと見渡してみよう。 いつもニコニコして感謝している人がいる。 その一方で、いつも不平しか言わない人もいる。 そんなことはないですか。
知人がどんなことを言いそうかを想像したとき、 感謝の言葉が出てくるか、不満の言葉が出てくるか。 そして自分のことを他人が想像したときに、 どんなことを言いそうだと他人が考えるか。
とはいっても、不平や不満を言う人を非難したいというわけではない。 各人の感情の発露を他人があれこれ非難しても意味はないから。
安全のために(?)自分の話にしよう。 私としては、できたら、「感謝することを探す習慣」を身に付けたい。 それは、批判精神を失えということではないし、改善をサボろうと言うのでもない。
油断すると不満ばかりに目が行きがちな習慣を正し、 感謝の心を忘れずにいたいと考えているのである。
そして、おもしろいことに、いつもたっぷり感謝をしていると、 感謝すべきことが倍増してやってくるのである。
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誠実さの話。
数学はおもしろい。でも、数学は難しい。
難しい数学をやさしくすれば、みんなが数学を好きになるだろうか。 そんなことはない。 やさしくすれば取っつきやすくはなるだろうけれど、 それだけで好きになる保証はない。やさしくすることで、失われるものがある。
数式を少なくすれば、みんなが数学を好きになるだろうか。 そうとも限らない。 数式を少なくすれば読みやすくなるかもしれないが、 数学が表現しようとしている大事なものが失われることがある。
「やさしくすればいい」「数式を少なくすればいい」 と安直に考えたのではきっと駄目で、 教える側がほんとうによく考えなければいけないだろう、と思っている。
『数学ガール』を書いて感動したことがある。 少なからぬ数の中学生が、
「数式の意味はわからないけれど、数学が好きになりました」
という感想をくれたことだ。読者が「ここには本物の何かがある」と感じとってくれた。 読者が「ここには自分の時間をかける価値のある何かがある」と思ってくれた。 読者のフィードバックから、私はそんな思いを感じ取ったのである。
「数学ガール」シリーズで描かれているのはいつも、 本物の数学と、それに微力ながらも真摯に立ち向かう若者たちである。 そこから数学を読み取る人もいる。 若者の学びを読み取る人もいる。 若者への教授法を読み取る人もいる。
大切なのは誠実さだ。真摯さ、正直さ、何と呼んでもいいけれど、 ともかく「真面目にことにあたる心意気」のことである。 数学に限らず、学ぶことは誠実さに直結している。 教師のいうことを素直に聞けたなら、教育の半分は成功ではないだろうか。
教師のことを盲目的に聞けというのではない。 健全な懐疑の態度も含め、生徒は教師の誠実さをすぐに見抜く。 信頼できる教師と、信頼できない教師を、若者は残酷なまでに峻別する。
だから、教師は「ちゃんとやる」のが最善の策である。 真面目に考え、生徒のことを考え、準備する。 生徒に媚びるのではなく、本当の学びの面白さを語る。 生徒はすべてを見抜く。 教師が本物に感動し、生徒にその感動を伝えるしかない。 自分が「本物の教師」になるしかない。そんなふうに思う。
教師は自分に限界があることを認めつつ、 真摯に最善を尽くしている姿を見せる必要があるのだろう。 生徒の目は厳しい。他の教師と見比べる。 でも、生徒は、本当に信頼できる教師を、本当に信頼する。
結城メルマガでも何度も書いているが、 結城はいつも、現場の先生に深い敬意を抱いている。
私は本を書く仕事をしていて、本は何度も校正できる。 でも、先生はリアルタイムで、たくさんの生徒の前で全ての発言を行っている。 これはすごいことだと思う。
若者に直接に語る機会を持つ先生に対し、 結城は心からエールを送りたい。
「大変な、でも大切なお仕事をありがとうございます」
厳しいけれど、大事な仕事である。 良いメッセージをたくさん送ってください。 ポジティブなストロークをたくさん与えてください。
先生、生徒たちをよろしくお願いします。
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労働の話。
ベストセラーとなった『WORK SHIFT』はとても濃厚な本で、 これを読んでいるだけで未来が来てしまいそうなボリュームである。 でも、繰り返し読む価値のある珍しい本の一つかな、とは思います。
◆『ワーク・シフト ─ 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B009DFJE9Q/hyuki-mm-22/
結城にとって、本は主に「考えるために読む」ものです。 読みながら考える。 そこに書かれたことを「ほんとうかな?」などと問いつつ読む。 その過程を楽しんでいます。
WORK SHIFTに話を戻そう。私たちは働いている。 でも、その働き方は今後どれだけ有効なんだろうか。
私たちが労働について語るときには、とても少ない情報をベースに語るものである。 なぜなら、直接体験できる労働というのは、自分の職業の近辺のみだから。 他の人の話を聞くにしても、せいぜい身の回りの十数人くらいですよね。 WORK SHIFTでは、大規模な調査と未来予測を元に、 半分ストーリー仕立てで「労働」を考えています。
最近、ネットでも「将来消える職業」が話題になる。 自分の子供世代は現在は存在しない職業に就く、などと。
自分が惚れ込んだ活動で頑張るのは当然としても、 そもそも、その分野は未来どうなっているのか。 WORK SHIFTという本は、それを少し垣間見させてくれるものである。
現代から未来にかけてテクノロジーがさらに発展するのは間違いないから、 コンピュータや技術に無知では居られないだろう。 でも、では、プログラマになるのが至高の道なのか。 そうとも限らないだろう、と私は思っている。 世の中の動向を知ることは大事だろうけれど、 そこに流されるばかりでいいのか。とも思う。
やはり人には得意不得意というものがあるし、好き嫌いもある。 クリエイティビティがある人が必要とされるのはそうだろうけれど、 人の幸福はそんなに単純なものではない。
現代こそ、理屈を越えた思考が重要になる時代かもしれない。 論理的に考えたら「こういう仕事が儲かる」あるいは「こういう活動がウケる」 と理解しつつも「いや、私はあえてこれを選ぶ」 という判断が大事になってくるのかもしれない。 『WORK SHIFT』の中にもそういう事例がいくつか出てきた。 金銭以外の価値を求めて働く人たちの話だ。
結城がいつも思うのは、個人としての満足感である。 いくらお金が入っても、いくら他人から賞賛されても、 自分が個人として深い満足を抱けないなら、それは幸福ではない。 幸福は個人的なものなのだ。
幸福は極めて個人的であり、極めて主観的なものである。 何百万何千万儲けたら、その個人は幸福であるなどと、 客観的な指標を立てることは不可能だ。
労働の選択は、人生において重要な問題である。 何をして生活の糧を得るか。 何をして人生の重要で長い時間を過ごすのか。 これは重要な選択であると同時に、非常に個人的な選択である。 ある意味では、誰も他人の選択に口をはさめないし、責任も取れない。
大きな会社が左前になったり、リストラしたり、 というのは別にめずらしい状況ではない。 そのリストラされた世代の人たちも、 就職時に「これで一生安泰」と思ったかもしれない。
人生は残酷である、と同時にチャレンジに満ちている。 リストラされた人の中には絶望にあった人も多いだろうけれど、 そこで何かをつかんで、 新しい人生を見つけた人もいるだろう(と結城は確信している)。
人生は予測不可能な困難に満ちている。 でも、その困難に出会ったときにめげる人もいれば、新たな道をつかむ人もいる。 受験もそうかもしれない。 合格/不合格は一つの結果だけれど、それが直接、 幸福/不幸に繋がるものでもない(長期的に見れば)。
人生は困難に満ちている。
でも、チャレンジにも満ちている。
『WORK SHIFT』を読みながら、そんなことを考えている。
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老いと失言の話。
ネットが発達した現代は「失言」があっというまに 「ネガティブキャンペーン」になってしまう。しかも国際的に。 一ヶ月くらい前に、 有名なおばあちゃん作家が国際的な失言をするという話題があった。
あのニュースを、結城は関心をもってながめておりました。 自分も歳を取ったらあんなふうになってしまうのかな、こわいな。 そういう思いで見ていたのです。
もちろん、自分の存在意義に関わることならば、 頑として自己の発言を曲げないことも大事だろう。 しかし、単純な失言だったならば素直に謝るとか、 認識が時代遅れだったら「お恥ずかしい」と認めるとか、 その方が大事ではないかと思っている。
例のおばあちゃん作家を見ていて悲しかったのは、 作家ならば未来を向いてほしいのに、柔軟な思考ができてほしいのに、 と感じるからだ。 自分を守るための言葉選びに終始してほしくないからだ。
そして、我が身を思う。 あと30年後に私もあんな感じに耄碌するんだろうか。 いやだけど、ありえないことではない。
将来、結城が何かトンデモな発言をしたときに、 「ねえ結城さん、それちょっとおかしいですよ」 と言ってくれる人がそばにいるようにしたいな、と思う。
いつも若い人と接するようにしよう。 自分を建設的に批判し、励まてくれる人を大事にしよう。 そんなふうに思った。
記憶で書いてるから、詳細は怪しいけれど、作家のC.S.ルイスは、 老いつつあるときに「自分の短気さがつのる」ことを気にしていた。
結城は、自分の老いを思うとき、短気さがつのることは気にしていない。 もともとそんなに怒りっぽい方ではないからだ。 気になるのは自分の尊大さと傲慢さ、 それから「自分のことを特別扱いしてほしい」というさもしさ。 気にしているのはそのあたりの欠点である。
きっと、それらの欠点は歳を経るごとに大きくなるだろう。 悲しいことだけれど。
できるだけ若い人の声を聞き、アドバイスに耳を傾け、 傲慢にならないように(でも言うべきことは言う)という生き方を、 自分は80歳以降も続けられるのだろうか。 これから30年近くある。気を引き締めていかんとな、と思う。
先月のおばあちゃん作家の出来事は、 反面教師として、また、セルフブランディングでやってはいけない事例として、 記憶に残している。特に「自分は正しい」と思ったときが危険そうだな。
これから長い年月が過ぎて、結城が耄碌して、 公の場で怪しいことを言い始めたら、ぜひ、優しい声で、
「結城さん、ちょっとずれてきてませんか?」
と教えてくださいね。お願いします。
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学ぶ話。
中学生の息子がときどき、
「ねー、おとーさん、これ教えて!」
と数学の問題を持ってきます。 多くの場合、結城はその問題文や、 直前に書いてある例題を解説もなしにゆっくりと音読します。
その後で息子に、
「それで?」
と聞き返すと、息子は「あっ!」と声を上げて何かに気付きます。
数学を学ぶ上でもっとも大事なことの一つは、 教科書に書かれたことを読んで、本当に理解しようとする気持ちである。 結城はそう思っています。
* * *
カップルの話。
夜遅く、家に帰ろうとしている私は、駅のホームに立っていた。
ふと見ると、初々しい社会人カップルが「別れの儀式」を行なっていた。
二人は、じっと立って見つめ合う。
やがて、両手をつないで、くるくる回り始めた。
きっと、どうしようもない思いを身体で表現しているんだろう。
「儀式」がこのまま続けば、 空から七色の光を放つUFOが現れるのかも、と思ったけれど、 その前に電車がやってきた。私はカップルを残してその場を離れる。
電車の窓から振り返ると、まだホームで二人はくるくる回っていた。
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さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。
今週は「フロー・ライティング」で「心を探る」というお話をお送りします。
お楽しみください!
目次
- はじめに
- フロー・ライティング - 心を探る
- 数学文章作法のスケッチ(10) - 執筆計画
- 受験のときの「お守り」
- おわりに
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