結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2014年10月28日 Vol.135
はじめに
おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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以下は、あくまで一般論です。
ブログの記事で「◯◯するn個の理由」というタイトルをときどき見かけます。 「パターン化されたタイトル」の一種だと思いますが、 ためになりそうな、整理されているような印象を与えるようです。
このタイトルは、2 < n < 8 くらいならば妥当だと思うんですが、 ときどき「○○する、たったひとつの理由」というタイトルもあります。 でも、たったひとつの理由しかない記事なら、 その理由をタイトルに書いてくれたらいいのに、と思ってしまいます。
「タイトルに書くのが難しければ、せめて冒頭に書いてくれたらいいのにな。 そうすれば読むかどうかの判断ができるから」……そんなふうにも思います。
逆に、n > 20 だったりすると、 「もう少し数を整理した方がいいんじゃないかなあ」 と思ったりして。
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心が歳を取るという話。
「心が歳を取る」というフレーズが落合陽一さん(@ochyai)のツイートに出てきました。 (いま検索していたら、以下にまとめられていました。感謝)
◆「心が歳をとる」前に
http://togetter.com/li/734635
自分を振り返ってみても、 「心が歳を取る」という表現がぴったりする感覚を味わう経験があります。
すごく単純にいうなら「心が歳をとる感覚」というのは、 「物事全般に興味を失っていく感覚」といえるかもしれません。 新しいものを見て感動したり、興味を持ったりすることが次第に減っていって、 心が動かなくなるということです。
歳を取って身体が動かなくなるというのは外から見てもよくわかります。 足もとがふらついたり、よたよたするからですね。 それに比べると、心が動かなくなるようすを見分けるのはちょっと難しいかも。 でも、心が動かなくなるのは、歳をとって身体が動かなくなるのと同じことです。
外から見えないからむしろ、心が動かないほうがこわいかもしれません。 外から見えないどころか、本人も気付かない恐れもあります。 なまじっか経験を積んでいるため、
「私は、あれもこれもわかっているんだ」
と勘違いする恐れですね。
「あれもこれもわかっているから、
いまさらこんなことで感動もしないし驚きもしない」
と自分で思っているけれど、 実際には心が歳を取っているだけとか。 それは、こわいなあ。
自覚があったとしても、もう私は歳を取ってしまったからいいや、 と最初からチャレンジしなくなることもあるでしょうね。 もちろんそれがすべて悪いというわけじゃありませんけれど……
歳を取ると、恥をかいたり人から笑われたりするのが恐くなる人もいるでしょう。 結城自身は、そうなりたくないと思っています。
いろんなことをやって、新しいことにもチャレンジして、 若い人から「結城さん、これ違いますよ。こうじゃないですか」 などと突っ込まれたい。
そして「あ!そうなんだ。てへ。やっちゃった。よしもう一度チャレンジする!」 と返したい。
若い人から無視されるのも嫌だし、突っ込まれなくなるのも嫌ですね。 いつまでも心を若くしておきたいものです。
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それに関連して、誤りの指摘について。
文章やコードを公開していると、 他の人から「ここ、まちがってますよ」と指摘を受けることがある。 それはとてもありがたいことである。
文章やコードに対する指摘は、必ずしも改善案を必要とはしない。 「ここは誤りである」「ここは読みにくい」という指摘だけでも有益だ。 必ずしも「こう直すべき」という改善案はいらない。 改善案がなければ指摘してはいけないという主張は(もしそういうのがあるなら) 誤りである。改善案がなくても、書き手はうれしい。
もっというなら「ここは誤りである」とまで言い切らない指摘でもありがたい。 つまり「ここは?」と指さすだけでもいいということ。
また、「指摘を受ける」ことと「その指摘をどう反映させるか」は、 明確に別のプロセスである。この両者を混同しない方がいい。 指摘をどう反映させるか、そもそも反映させるか否かは、著者の判断である。
……という話は年末刊行の『数学文章作法 推敲編』にも詳しく書いている。 結城はこの話が大好きで、ことあるごとに書いているような気がする。 何しろ私は日々文章を書き、日々多くの人から指摘を受けている。 (要するに、しょっちゅうまちがっているってことですね!) だから、自分の経験から確信を持っていえるのだろう。
◆『数学文章作法 推敲編』
http://mw2.textfile.org/
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この結城メルマガではよく「文章を書く心がけ」や「本を書く心がけ」や 「教えるときの心がけ」という内容を書きます。
でも最近は「仕事の心がけ」というくくりにしたほうがいいような内容を よく書いているような気がします。
結城の場合には文章を書いたり本を書いたりするのはそのまま仕事なのですが、 そこで考えていることは「お仕事全般」に通じることが多いんじゃないか、 と思うのです。
結城は仕事をしながら、「仕事をしている自分を見る」というのが好きです。 仕事の内容を考えつつ、仕事の進め方を考える。 内容を考えることと、進め方を考えることはちょっと違いますよね。
自分の仕事の進め方をていねいに考えて言語化することは意味があると思います。 そのことによって効率も上がるし、同じ失敗を繰り返さない効果もあるからです。 組織でいうなら暗黙知を形式知にするという話ですが、 それを個人レベルでやろうというのに似ていますね。
あなたは、自分の「仕事の心がけ」を持っていますか?
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『数学文章作法 推敲編』の再校ゲラを読んでいると、 編集者からの鋭い指摘に「なるほどなあ」とうなることがある。 そういう経験を繰り返していると、自分の言語能力も少しずつアップするのかな。
たとえば、「高い視野から見る」という表現は正しいだろうか。 これは、視野というのは高い低いではなく、広い狭いではないかという疑問です。 だって、見える範囲のことなんですから。「視野を広くする」のように。
どうしても高いという表現を使いたかったら「高い視野から見る」ではなく、 「高い視座から見る」のほうがいいのではないか、と思った次第。
ところで「高い視野から」と書こうとしたら、 「高石やから」と変換されてしまい、 謎の知り合い高石さんが登場する関西弁の会話になってしまいました。 「そんなまちがい、しかたないわなあ。高石やから」
そして「広い視野から」と書こうとしたら、 今度は「広石やから」と変換されてしまい、謎の知り合い広石くんが登場……
……おっと、冗談はこのへんにしておきます。 後で、もう少し真面目な校正の話をしましょう。
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イワトコナマズさん(@biwako_wataka)が読書メーターにお書きになっていた 『数学ガールの秘密ノート/丸い三角関数』の感想を読んでふと思ったこと。
◆イワトコナマズさんの感想
http://bookmeter.com/cmt/42129377
この感想では『数学ガールの秘密ノート/丸い三角関数』について、 関係のない話が急に出てこないという趣旨のことが書かれていました。 おそらく、話に一つの流れがあるということなのだと思います。
この感想を読んで、今年の春頃に受けたインタビューを思い出しました。 千葉県で数学を教えている先生方からインタビューを受けて、 「高校数学で気になること」を答えました。
自分の経験から話しているので、現在とはずれがあるかもしれませんが、 気になっているのは「単元の扱い」です。 単元ごとに学ぶ個々の知識は必要なのだけれど、 そこで学んだことがバラバラなままだと学ぶ人はつまらないだろうな、という話。
来週の結城メルマガで三回目の配信となる「数学ガールの特別授業(教師編)」 の中でも同じような話をしたかもしれません。 こちらは新潟で数学を教えている先生相手の講演会。
もちろん、教える側の気持ちになってみると、 とても大変だと思います。 単元を一つ一つ教えるのすら大変なのに、 さらにそれらの関係を繋がるように教えるなんて。 先生の力に依存する部分も大きそうだし、 「わかる生徒」と「そうでない生徒」の 落差が大きくなってしまう危険性もあるでしょうか。
結城は「数学ガール」シリーズのような物語は大好きです。 いわゆる物語としてのストーリーはなくてもいいから、 ストーリーのように自然な流れがある文章は好きです。 つまり、必然性を持って次の話題が出てくるように編まれている文章のことです。 知識の羅列や、どこからか話題が出し抜けに振ってくる状況はつらい。
その流れというのは、論理的な流れでもいいし、歴史的な流れでもいい。 何でもいいのだけれど、 一つ一つの話題が出てくる必然性を求めてしまいます。
いまにして思えば、高校時代の授業に感じていた不満はそこにあったかも。 微分方程式で出し抜けに三角関数が出てきて、 私の中のテトラちゃんが「どうしてそこで三角関数が出てくるんでしょうか」と 声を上げていましたね。 私の記憶では、その授業で教師はうまく説明していなかったように思います。
必然性というのは、たとえば、 「いろいろやっていて、これがけっこううまくいったから」 というのでもいいんです。説明されれば。 でも、説明がないと、学習者は、
「どうしてこれが出てくるの?
その必然性を私は理解できない。
ということは、
ほんとうには私は理解していないんだ!」
と焦るように思います。 少なくとも、私は焦りました。
ストーリー。必然性。自然な流れ……こんな話は、 ベテランの先生は百も承知のはずですよね。 講演会で先生に向かって結城がことさらに話すまでもないことです。 でも、新潟の講演会では若い先生がたくさんいらして、 それなりにお役に立てたようです。
招いてくださった校長先生からは「若い先生方が、 ベテランの先生からいつも言われていることと同じことを、 違う世界の結城先生からも言われると納得感が違います。 若い先生にとって、とてもいい機会となりました」 と喜ばれました。やさしい言葉に感謝です。
「数学ガールの特別授業(教師編)」の第三回は来週配信する予定です。 お楽しみに。
◆数学ガールの特別授業(教師編)
http://www.hyuki.com/girl/lesson.html
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それでは、そろそろ結城メルマガを始めましょう。
今回は久しぶりに「フロー・ライティング」をお送りします。 これは、文章を書くことに関する連作読み物です。 今回は、
「《夢中》の作り方、《夢中》の見つけ方」
というタイトルの読み物をPDFでお送りします。 これまでの記事のバックナンバーは以下にあります。
◆フロー・ライティング
http://www.hyuki.com/flow-writing/
お楽しみください!
目次
- はじめに
- フロー・ライティング - 《夢中》の作り方、《夢中》の見つけ方
- 原稿料について - 仕事の心がけ
- 本を書く心がけ - 再校ゲラを読みながら
- 次回予告 - 数学ガールの特別授業(教師編)(3)
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