先日は丁寧な返信をいただきありがとうございました。また、削除等で混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。 さて、「この美醜という一点だけで両者を比較するのはどうでしょう。」とのことですが、これはおっしゃる通りで、美醜だけで論じることは大雑把過ぎて取りこぼしの多い、良くない見方でした。また『ダンガンロンパ』の描く女性像はかなりシニカルなようですので、東浩紀師匠の同類としたことも拙速でした。 とはいえ、「外見の醜い山田一二三」「身体の臭い腐川冬子」と書き並べてみると、引っかかる点も残ります。 二次元は触覚や臭覚の影響が軽微な分、視覚要素が一層重要になると思うのですが、男オタクキャラに付けられた属性が視覚要素の「醜形」で女オタクキャラに付けられたのが臭覚要素の「悪臭」というのには、差を感じずにはいられません。風呂に入ってないから臭いというだけなら、風呂に入れればいいだけですしね。(『のだめカンタービレ』の最初がそんな展開でした) ですがそれらの違いも「ゲームユーザーは男の方が多いのだから、女キャラは出来るだけかわいくしておきたい」という大人の事情の判断だっただけかもしれません。 ちなみに『のだめカンタービレ』の野田恵と腐川冬子の共通点としては、不潔以外にもメインカルチャー芸術の天才、惚れた異性に積極的、サブカルも好きといったものが挙げられるのではないでしょうか。もっとも、のだめの不潔さは千秋先輩の介入で早々に解決してましたし、内面描写のえげつなさでは比較にならないんでしょうけど。 「これも余談ですが、腐川さんは美形キャラにつきまとってはウザがられているキャラなのですが、女性ファンたちはこれを「何だかんだいって二人はいいムード」と解釈しがちに思え、山田君のケースと似ています」とのことですが、この点はとても興味深いです。作り手と受け手の意図がすれ違っていることも含めて。 根拠のない手前勝手な推測ですが、こういう現象は受け手が自分の願望をキャラに託すときに起きるのかなという気がしました。 男オタクが山田一二三に託している願望を表現するなら、「オタクだけど、社会の中で自分なりの居場所を見つけたい、社会でうまくやっていきたい」といったものでしょうか。男オタクが「差別の許された最後の聖域」として社会から日夜叩かれ続けていることを考えれば至極当然の望みであり、泣きたくなるくらい健気な願望です。 一方、被差別領域にいない女オタクが腐川冬子に託しているのは、「オタクだけど、惚れた異性に積極的にアプローチして、モノにしたい」といった所でしょうか。世はまさに大草食時代でもありますしね。受け手のオタクたちはそれぞれの願望に基づいて作品を解釈するため、自分の願望にそぐわない部分が見えにくくなるのとともに、足りない部分を補っていくので、結果、作り手の意図とズレが生じてくるのではないかと思います。 男女のオタクの願望の違いが生来の男女差に基づくものかどうかは、私にはわかりません。男オタクが被差別領域から逃れられたら、今度は異性へのアプローチを夢見るかもしれないですし(というか『アマガミ』の橘さんはそういう層に好評だったような、というか大抵のギャルゲーはこの願望成就か)、女オタクが被差別領域へ落とされたなら、社会からの受容を望むようになるかもしれません。 ちなみに『俺妹』の桐乃はこの二種類の願望を両方とも成就したと言えるのではないでしょうか。そして黒猫もこの両願成就が可能だっただけに、黒猫派が桐乃エンドに怒るのも、無理はないかなぁ、という気がします(願望の成就者が異なるだけで、願望の中身は一緒)。黒猫がバジーナみたいに高対人能力の持ち主(=社会にすでに受容されている存在)だったなら、読者の反応はもう少し違っていたんだろうなぁとも思います。 オタクの一部が過剰な反撃を行うというのは、おおいにあることでしょうね。何しろオタクは実際に常日頃から過剰な攻撃に晒されていますから、反撃も過剰なものになってしまう。しかしオタクを攻撃している人たちは自分たちの攻撃が過剰だとは思っていないですから、反撃だけが過剰でつり合いが取れていないと解釈されてしまう。しかもオタクは被差別領域にいますから、穏当な反撃でさえ「キモオタがうざいこと言ってる」としてまともに受け取ってもらえない。まともに受け取ってもらえないというフラストレーションから、一部がますます過激化していくという悪循環が容易に想像できるだけに、なんともやるせない気持ちになります。
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:4423581)
先日は丁寧な返信をいただきありがとうございました。また、削除等で混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。
さて、「この美醜という一点だけで両者を比較するのはどうでしょう。」とのことですが、これはおっしゃる通りで、美醜だけで論じることは大雑把過ぎて取りこぼしの多い、良くない見方でした。また『ダンガンロンパ』の描く女性像はかなりシニカルなようですので、東浩紀師匠の同類としたことも拙速でした。
とはいえ、「外見の醜い山田一二三」「身体の臭い腐川冬子」と書き並べてみると、引っかかる点も残ります。
二次元は触覚や臭覚の影響が軽微な分、視覚要素が一層重要になると思うのですが、男オタクキャラに付けられた属性が視覚要素の「醜形」で女オタクキャラに付けられたのが臭覚要素の「悪臭」というのには、差を感じずにはいられません。風呂に入ってないから臭いというだけなら、風呂に入れればいいだけですしね。(『のだめカンタービレ』の最初がそんな展開でした)
ですがそれらの違いも「ゲームユーザーは男の方が多いのだから、女キャラは出来るだけかわいくしておきたい」という大人の事情の判断だっただけかもしれません。
ちなみに『のだめカンタービレ』の野田恵と腐川冬子の共通点としては、不潔以外にもメインカルチャー芸術の天才、惚れた異性に積極的、サブカルも好きといったものが挙げられるのではないでしょうか。もっとも、のだめの不潔さは千秋先輩の介入で早々に解決してましたし、内面描写のえげつなさでは比較にならないんでしょうけど。
「これも余談ですが、腐川さんは美形キャラにつきまとってはウザがられているキャラなのですが、女性ファンたちはこれを「何だかんだいって二人はいいムード」と解釈しがちに思え、山田君のケースと似ています」とのことですが、この点はとても興味深いです。作り手と受け手の意図がすれ違っていることも含めて。
根拠のない手前勝手な推測ですが、こういう現象は受け手が自分の願望をキャラに託すときに起きるのかなという気がしました。
男オタクが山田一二三に託している願望を表現するなら、「オタクだけど、社会の中で自分なりの居場所を見つけたい、社会でうまくやっていきたい」といったものでしょうか。男オタクが「差別の許された最後の聖域」として社会から日夜叩かれ続けていることを考えれば至極当然の望みであり、泣きたくなるくらい健気な願望です。
一方、被差別領域にいない女オタクが腐川冬子に託しているのは、「オタクだけど、惚れた異性に積極的にアプローチして、モノにしたい」といった所でしょうか。世はまさに大草食時代でもありますしね。受け手のオタクたちはそれぞれの願望に基づいて作品を解釈するため、自分の願望にそぐわない部分が見えにくくなるのとともに、足りない部分を補っていくので、結果、作り手の意図とズレが生じてくるのではないかと思います。
男女のオタクの願望の違いが生来の男女差に基づくものかどうかは、私にはわかりません。男オタクが被差別領域から逃れられたら、今度は異性へのアプローチを夢見るかもしれないですし(というか『アマガミ』の橘さんはそういう層に好評だったような、というか大抵のギャルゲーはこの願望成就か)、女オタクが被差別領域へ落とされたなら、社会からの受容を望むようになるかもしれません。
ちなみに『俺妹』の桐乃はこの二種類の願望を両方とも成就したと言えるのではないでしょうか。そして黒猫もこの両願成就が可能だっただけに、黒猫派が桐乃エンドに怒るのも、無理はないかなぁ、という気がします(願望の成就者が異なるだけで、願望の中身は一緒)。黒猫がバジーナみたいに高対人能力の持ち主(=社会にすでに受容されている存在)だったなら、読者の反応はもう少し違っていたんだろうなぁとも思います。
オタクの一部が過剰な反撃を行うというのは、おおいにあることでしょうね。何しろオタクは実際に常日頃から過剰な攻撃に晒されていますから、反撃も過剰なものになってしまう。しかしオタクを攻撃している人たちは自分たちの攻撃が過剰だとは思っていないですから、反撃だけが過剰でつり合いが取れていないと解釈されてしまう。しかもオタクは被差別領域にいますから、穏当な反撃でさえ「キモオタがうざいこと言ってる」としてまともに受け取ってもらえない。まともに受け取ってもらえないというフラストレーションから、一部がますます過激化していくという悪循環が容易に想像できるだけに、なんともやるせない気持ちになります。