フェミニストの抱くマチズモ=男性的暴力への恐怖心や、それからくるメンズリブ的なある意味「迂遠で去勢的な非暴力化のトレーニング」では、この種の「恐慌的暴力」を制する事(あるいはそれから逃れる事)は困難、あるいは無理でしょう(苦笑) そして、暴力が大嫌いなはずのフェミニストや「平和主義者」が見せるあの「過剰なまでの暴力性」(苦笑) 「戦争屋と話をすれば、平和を目指す努力以前に彼らの人間性の鈍感さにガッカリするが、それ以上に平和主義者の好戦性によって戦争を排除することに絶望を感ずる」(リデル・ハート) 思うに…あれは「暴力を嫌うあまり、自らの中の暴力性をコントロールする術を何一つ身に付けてこなかったから」じゃないのか?と。女性が見せるあの「過剰なまでの暴力性」とは、即ちその「未経験」ゆえのものではないのかと。 (或いは、反戦主義者や統制を嫌う自由な個人尊重論者が、一度怒りに狂うと無茶苦茶したり、本来外交的解決で済むはずの局面で豹変して殲滅戦を主張したりするのもそうした類でしょう) 本来、女性が社会的責任を担う立場により進出するのであれば…そうしたトレーニングを積極的に行い、「暴力に関する知見」を体得すべきだと思いますが(それを為した優れた先人としては、緒方貞子女史を上げておきましょうか。彼女は国連演説において「難民保護に尽力したすべてのミリタリー・ワーカーに称賛と感謝を送る」と仰いました。多くの難民の為に尽力したスーパーキャリアウーマンは、何より「軍人の価値とそれへの敬意」を知る方だったのです。) 残念ながらフェミニストとは、常にその真逆を行く人々であると言えるでしょう。 等という事をふと考えてしまいました(いつも長文すみません 汗)
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:13257395)
フェミニストの抱くマチズモ=男性的暴力への恐怖心や、それからくるメンズリブ的なある意味「迂遠で去勢的な非暴力化のトレーニング」では、この種の「恐慌的暴力」を制する事(あるいはそれから逃れる事)は困難、あるいは無理でしょう(苦笑)
そして、暴力が大嫌いなはずのフェミニストや「平和主義者」が見せるあの「過剰なまでの暴力性」(苦笑)
「戦争屋と話をすれば、平和を目指す努力以前に彼らの人間性の鈍感さにガッカリするが、それ以上に平和主義者の好戦性によって戦争を排除することに絶望を感ずる」(リデル・ハート)
思うに…あれは「暴力を嫌うあまり、自らの中の暴力性をコントロールする術を何一つ身に付けてこなかったから」じゃないのか?と。女性が見せるあの「過剰なまでの暴力性」とは、即ちその「未経験」ゆえのものではないのかと。
(或いは、反戦主義者や統制を嫌う自由な個人尊重論者が、一度怒りに狂うと無茶苦茶したり、本来外交的解決で済むはずの局面で豹変して殲滅戦を主張したりするのもそうした類でしょう)
本来、女性が社会的責任を担う立場により進出するのであれば…そうしたトレーニングを積極的に行い、「暴力に関する知見」を体得すべきだと思いますが(それを為した優れた先人としては、緒方貞子女史を上げておきましょうか。彼女は国連演説において「難民保護に尽力したすべてのミリタリー・ワーカーに称賛と感謝を送る」と仰いました。多くの難民の為に尽力したスーパーキャリアウーマンは、何より「軍人の価値とそれへの敬意」を知る方だったのです。)
残念ながらフェミニストとは、常にその真逆を行く人々であると言えるでしょう。
等という事をふと考えてしまいました(いつも長文すみません 汗)