>今までぼくは度々、女性のネガティビティと男性のネガティビティを比較し、「男性の方はまだ、自覚がある」的なことを言ってきたと思います。 >ひるがえって女性性はいまだ未知の部分が多く、いまだ彼女らが自らのそうした「業」を制御し切れているとは言い難い 偏に「訓練」と、それの蓄積が生み出す社会的バイアスが存在するか否か、ですね。 「武士道」「騎士道」等言えば、いわゆる「近代的で進歩的」な知識層をはじめとするゲンロンジンは「前時代的で野蛮」と嘲笑するか「現代文明以前にしか通用しなかった古き良き時代の骨董品」と無視するか、あるいは保守系なら「碌に中身に対する理解も無く、単なるマチズモと混同したまま有難がる」か…大方そんなところだと思いますが、ああいった文化の有用性とは、一つには「暴力性や感情・衝動を意志や理性で制御する」為の体系(それど同時に社会化=体制への組み込みを図る体系)である、と言う点であった訳でして。 そうした「士分階級」や、あるいは「統治者」及び直接彼等を支える階層、更には部族社会の担い手となる階層については、大抵の文明においてそうした「トレーニングの体系」が存在した(そして、残念ながらフェミニストの言うとおりその座は略男性でしめられてきた)訳ですが、近代はそれを「軍制」の中に封じ込めて「一般社会と隔離した」のですね。 ま、納税と並ぶ近代国民国家の前提たる「徴兵制」(今の日本だと「国民を体制の奴隷にする」みたいなトーンでしか語られませんが、本来は貴族階層の私兵であった武力を国民が自らの物とし、国家を民衆自身が運営するための大前提としてそれは始まった)が存在している間はまだしも、完全に「職業軍人化」が起きてしまってからはもう完全にそれが一般社会と隔離されてしまった。 暴力性を自らコントロールする訓練、とは身近であれば喧嘩・DVの抑止から、大きくは戦時国際法の精神にまで低通する部分であるのですが…どうも現在の日本では殊更に「野蛮・暴力的・マッチョ」と言うイメージでしかみられなくなっている(苦笑)「武道必修化反対」等のトーンにも、そういった「マチズモへの拒否感」が色濃くにじんでいる様にも見えます。 が…本当に怖いのは「なんらそうしたトレーニングを受けてこなかった人間が何かの拍子に激情に駆られ、あるいは凶器を手にしてしまったとき」なのですが(汗)
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:13257395)
>今までぼくは度々、女性のネガティビティと男性のネガティビティを比較し、「男性の方はまだ、自覚がある」的なことを言ってきたと思います。
>ひるがえって女性性はいまだ未知の部分が多く、いまだ彼女らが自らのそうした「業」を制御し切れているとは言い難い
偏に「訓練」と、それの蓄積が生み出す社会的バイアスが存在するか否か、ですね。
「武士道」「騎士道」等言えば、いわゆる「近代的で進歩的」な知識層をはじめとするゲンロンジンは「前時代的で野蛮」と嘲笑するか「現代文明以前にしか通用しなかった古き良き時代の骨董品」と無視するか、あるいは保守系なら「碌に中身に対する理解も無く、単なるマチズモと混同したまま有難がる」か…大方そんなところだと思いますが、ああいった文化の有用性とは、一つには「暴力性や感情・衝動を意志や理性で制御する」為の体系(それど同時に社会化=体制への組み込みを図る体系)である、と言う点であった訳でして。
そうした「士分階級」や、あるいは「統治者」及び直接彼等を支える階層、更には部族社会の担い手となる階層については、大抵の文明においてそうした「トレーニングの体系」が存在した(そして、残念ながらフェミニストの言うとおりその座は略男性でしめられてきた)訳ですが、近代はそれを「軍制」の中に封じ込めて「一般社会と隔離した」のですね。
ま、納税と並ぶ近代国民国家の前提たる「徴兵制」(今の日本だと「国民を体制の奴隷にする」みたいなトーンでしか語られませんが、本来は貴族階層の私兵であった武力を国民が自らの物とし、国家を民衆自身が運営するための大前提としてそれは始まった)が存在している間はまだしも、完全に「職業軍人化」が起きてしまってからはもう完全にそれが一般社会と隔離されてしまった。
暴力性を自らコントロールする訓練、とは身近であれば喧嘩・DVの抑止から、大きくは戦時国際法の精神にまで低通する部分であるのですが…どうも現在の日本では殊更に「野蛮・暴力的・マッチョ」と言うイメージでしかみられなくなっている(苦笑)「武道必修化反対」等のトーンにも、そういった「マチズモへの拒否感」が色濃くにじんでいる様にも見えます。
が…本当に怖いのは「なんらそうしたトレーニングを受けてこなかった人間が何かの拍子に激情に駆られ、あるいは凶器を手にしてしまったとき」なのですが(汗)