はじめまして! 面白い考え方ですね。オタクというのは面倒な生き物で、例えばぼくが挙げたペテロニウス氏は「目の前に甘いお菓子をぶら下げられたがため、それを拒絶してしまっている」とでもいった感じです。 作者自身もまた、それに近いひねくれた心理を持っている。そのため「自分の作家性を殺してでも売れるものを書かねば」といった価値観と、「厳しい現実を突きつける作品こそが高級だ」といった価値観とを持ち、その両方をごっちゃにしてしまい、結果、このような展開となってしまったという説ですね。 そこに『マクロス』が出てきたのも示唆的です。 ファーストについては恐らく、当初はミンメイとのエンディングが予定されていたところ、美沙が予想以上に人気が出てしまったこと、そしてミンメイが(恐らく女性層によって)予想以上に嫌われてしまったため展開を変更したのではと思っています。 『F』についてはその失敗を踏まえ、男性ファン受けするランカ、女性ファン受けするシェリルとを用意して、しかも最後まで決着をつけなかったのではないでしょうか。 アルトは京介と同じ声にもかかわらず、その意味で好対照です。 両作は三十年近い隔たりがありますが、まさにこの三十年が女性ファンの声、或いは男性の中にあるそうした「内なる女性の声」を無視できなくなった三十年であるように思います。 >俺の俺妹の見方というのは、女性のヒステリックな部分を受け入れることが正義である、といった大げさに言うとプロパガンダみたいに感じることへの苛立ちみたいなものが中心なんだと思います なるほど。 男の子が女の子の出す課題をクリアし、そのごほうびに女の子からの愛を獲得する。 それが従来のラブコメなどの構造でした。 『タッチ』などもそうですし、そもそも『かぐや姫』の時代から、そうした構造は普遍的ですよね。 これをフェミニストなどは「トロフィーワイフ」などと言って腐します。 「女性をトロフィー扱いとは女性差別だ」というわけです。 いや、身一つでトロフィーの価値がある女性の方がお得だと思うのですがw が、「萌え」文化ではその女の子の「トロフィー」性がなくなっているように、ぼくには思える。 いわゆる「ツンデレ」は(モノによるでしょうが)女の子がデレますが、それは努力したから「トロフィー」である私をあげる、と言うニュアンスではなく、「女の子の辛い過去を知り、共感する」といった形容の方が近いと思います。 岡田斗司夫さんは「萌え」の本質を「男女平等だ」と言いましたが、これは正しい。 萌え世代のオタク評論家を自認する誰よりも、既に旧世代のオタクであるはずの彼の方が、萌えの本質を突いてしまっている。 そこに、本作はある意味「テーマ性の追求」、或いは「世間で正しいとされている価値観への迎合」という要らないモノを加えてしまい、こうなってしまったのかも知れません。 >俺は電波男に共感したタイプの人間なので兵頭さんのブログを結構応援してます > 孤軍奮闘で辛いと思いますが、是非がんばってください。 ありがとうございます。 本田さんに対しては「こんな時、お前がいてくれたら……」と思うことがしばしばですねw
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兵頭新児の女災対策的随想
(著者)
はじめまして!
面白い考え方ですね。オタクというのは面倒な生き物で、例えばぼくが挙げたペテロニウス氏は「目の前に甘いお菓子をぶら下げられたがため、それを拒絶してしまっている」とでもいった感じです。
作者自身もまた、それに近いひねくれた心理を持っている。そのため「自分の作家性を殺してでも売れるものを書かねば」といった価値観と、「厳しい現実を突きつける作品こそが高級だ」といった価値観とを持ち、その両方をごっちゃにしてしまい、結果、このような展開となってしまったという説ですね。
そこに『マクロス』が出てきたのも示唆的です。
ファーストについては恐らく、当初はミンメイとのエンディングが予定されていたところ、美沙が予想以上に人気が出てしまったこと、そしてミンメイが(恐らく女性層によって)予想以上に嫌われてしまったため展開を変更したのではと思っています。
『F』についてはその失敗を踏まえ、男性ファン受けするランカ、女性ファン受けするシェリルとを用意して、しかも最後まで決着をつけなかったのではないでしょうか。
アルトは京介と同じ声にもかかわらず、その意味で好対照です。
両作は三十年近い隔たりがありますが、まさにこの三十年が女性ファンの声、或いは男性の中にあるそうした「内なる女性の声」を無視できなくなった三十年であるように思います。
>俺の俺妹の見方というのは、女性のヒステリックな部分を受け入れることが正義である、といった大げさに言うとプロパガンダみたいに感じることへの苛立ちみたいなものが中心なんだと思います
なるほど。
男の子が女の子の出す課題をクリアし、そのごほうびに女の子からの愛を獲得する。
それが従来のラブコメなどの構造でした。
『タッチ』などもそうですし、そもそも『かぐや姫』の時代から、そうした構造は普遍的ですよね。
これをフェミニストなどは「トロフィーワイフ」などと言って腐します。
「女性をトロフィー扱いとは女性差別だ」というわけです。
いや、身一つでトロフィーの価値がある女性の方がお得だと思うのですがw
が、「萌え」文化ではその女の子の「トロフィー」性がなくなっているように、ぼくには思える。
いわゆる「ツンデレ」は(モノによるでしょうが)女の子がデレますが、それは努力したから「トロフィー」である私をあげる、と言うニュアンスではなく、「女の子の辛い過去を知り、共感する」といった形容の方が近いと思います。
岡田斗司夫さんは「萌え」の本質を「男女平等だ」と言いましたが、これは正しい。
萌え世代のオタク評論家を自認する誰よりも、既に旧世代のオタクであるはずの彼の方が、萌えの本質を突いてしまっている。
そこに、本作はある意味「テーマ性の追求」、或いは「世間で正しいとされている価値観への迎合」という要らないモノを加えてしまい、こうなってしまったのかも知れません。
>俺は電波男に共感したタイプの人間なので兵頭さんのブログを結構応援してます
> 孤軍奮闘で辛いと思いますが、是非がんばってください。
ありがとうございます。
本田さんに対しては「こんな時、お前がいてくれたら……」と思うことがしばしばですねw