itou のコメント

一読み手としては楽しみながら拝見させていただきました。
ただ文章そのものはおそらく反論をいくつも想定しつつ読みやすさも考えて苦心なされたのかなと感じました。
反論が跋扈することを考えるといっそその部分をコメントに譲渡して簡潔にするのも手かもしれない、と素人ながら感じました。読み手の層は広くなるでしょうから。いやはや余計なお世話ですみません。

記事そのものの解釈と感想ですが
ルサンチマンをぶつける幸せのモデルというか神話の崩壊が昨今の変化らしい変化と記事を読むと感じますね。
具体的な共有できる幸福の象徴としての役割をクリスマスは以前に比べれば相対的には力を失っているわけです。
恋人がいる=幸せ ではないのは昔からですが 恋人がいる=幸福モデルに属する 
というある種我々が共有していた何かが徐々に崩れているのでしょう。
ルサンチマンはあるがぶつけるための共有していた何かは勝手に自壊して見えると言ったところでしょうか。

その中で生まれた新しい幸福モデルの一つがリア充だったのではないでしょうか。
ようやくルサンチマンをぶつける相手ができたわけです。

ただリア充の定義こそ人それぞれなのでしょうね。いっそその人にとってルサンチマンをぶつけたい相手こそがリア充と定義するほうが個人的にはしっくりくるくらいです。
そこに共有するモデルはあるのかという点では曖昧さが多いと思います。
そうした現状を多様化と解釈するのも結構自然なことかな、と。
仕方なく共有するためには過去のモデルを引用するほうが無難な選択肢の一つだったのではないですかね。

ただ俗に言うオタクの文化はコミュニケーションがフラットになった現在では共有がわりとしやすいし同時に強みでもある。
その点ではリア充というか共有できる幸福モデルの発展形の一つになるのではないでしょうか。
それはクリスマスの楽しい過ごし方の一つにもなるでしょう。


記事を読んだ感想はざっとこんなものでしょうか。ろくに推敲もしてない感想ですが。
「共有できる幸せのモデル」ってのを頭の片隅に置きながら読むと海燕さんの記事と含め整合性感じながら読めたというのが読後感ですね

No.49 144ヶ月前

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