久しぶりに来たらなんだこの盛り上がりは・・・たまげたなぁ。 ニコニュースだか何だかで取り上げられたせいもあるんでしょうが、やっぱりニコニコ動画に集まる人々にとって、「オタクの幸福論」とでもいうようなテーマは思い入れがあるんでしょうかね。 まあそれはさておき。 価値観が多様なんだからオタクだって幸せでもいいだろ、という海燕氏の主張は一般論としては正しいと思います。実際、この10年(あるいは20年?)でオタクの定義も拡大したというか、オタクと呼ぶべき人々も増えていますし、彼らを十把一絡げに「非リア」、「恋人がいないルサンチマンを抱えている」とするのも無理があるかと。 しかし一方で、海燕氏の言う「ルサンチマン語りの古くささ」という感覚、「幸福なオタク」というテーゼもまた、少々氏の個人的感覚を敷衍しすぎというか、オタクを十把一絡げにしてやしないか、と感じるのも事実です。 かつて本田透氏が『電波男』を書いて自論を展開した時に彼を支持していた人々、2chあたりで「喪男」なんぞと呼ばれていたタイプの人々が5年かそこらで消えてなくなるという事はないでしょう。そもそも価値観が多様化しているならなおの事、ルサンチマンを抱えたオタク、家庭や愛といったものを求めて得られないオタクというのが存在したとしても何も不思議ではない。 流行りの言説で取り上げられなくなったというだけで、「非リアなオタク」というのは今もかつてと同じく伏在しているんじゃないのかと、自分は思っています。それがオタク全般に当てはめられるかどうかは疑問ですが。 それからもう一つ。 価値観・幸福の多様性というのは割と流行りの思想で、まあ多様なのは事実ですし幸福論というのもそこから出発するしかないとは思いますが、それを今回の海燕氏のように、他人の幸福の感じ方を決めつけて使用するというのはあまりよろしくないのではないか、と感じました。 多様な幸福がある、という言説は、一歩間違えれば「お前は現状のままで幸福ダルルォ!?」というある種の恫喝、他人の持つ苦悩なり不幸なりを抑圧するように働きますから。
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:15289177)
久しぶりに来たらなんだこの盛り上がりは・・・たまげたなぁ。
ニコニュースだか何だかで取り上げられたせいもあるんでしょうが、やっぱりニコニコ動画に集まる人々にとって、「オタクの幸福論」とでもいうようなテーマは思い入れがあるんでしょうかね。
まあそれはさておき。
価値観が多様なんだからオタクだって幸せでもいいだろ、という海燕氏の主張は一般論としては正しいと思います。実際、この10年(あるいは20年?)でオタクの定義も拡大したというか、オタクと呼ぶべき人々も増えていますし、彼らを十把一絡げに「非リア」、「恋人がいないルサンチマンを抱えている」とするのも無理があるかと。
しかし一方で、海燕氏の言う「ルサンチマン語りの古くささ」という感覚、「幸福なオタク」というテーゼもまた、少々氏の個人的感覚を敷衍しすぎというか、オタクを十把一絡げにしてやしないか、と感じるのも事実です。
かつて本田透氏が『電波男』を書いて自論を展開した時に彼を支持していた人々、2chあたりで「喪男」なんぞと呼ばれていたタイプの人々が5年かそこらで消えてなくなるという事はないでしょう。そもそも価値観が多様化しているならなおの事、ルサンチマンを抱えたオタク、家庭や愛といったものを求めて得られないオタクというのが存在したとしても何も不思議ではない。
流行りの言説で取り上げられなくなったというだけで、「非リアなオタク」というのは今もかつてと同じく伏在しているんじゃないのかと、自分は思っています。それがオタク全般に当てはめられるかどうかは疑問ですが。
それからもう一つ。
価値観・幸福の多様性というのは割と流行りの思想で、まあ多様なのは事実ですし幸福論というのもそこから出発するしかないとは思いますが、それを今回の海燕氏のように、他人の幸福の感じ方を決めつけて使用するというのはあまりよろしくないのではないか、と感じました。
多様な幸福がある、という言説は、一歩間違えれば「お前は現状のままで幸福ダルルォ!?」というある種の恫喝、他人の持つ苦悩なり不幸なりを抑圧するように働きますから。