さて、今回も前回の続き。
記事の再録なのですが、また「2016年女災10大ニュース」の第3位、2位の切り抜きというもの。
ただ、それとは別に今回、ちょっとお報せを。
ぼくは時々、評論家・小浜逸郎先生の主催する集まり、日曜会に出席させていただいているのですが、中でも「文学カフェ浮雲」という文学の研究会の主催をさせていただいています。
いや、文学なんか全然知らんくせに何を……という感じで、一方的に勉強させていただいているだけなのですが、たまには自分でも何かやろうということで来週の日曜、星新一について語らせていただきます。
単行本『白い服の男』の表題作となっている「白い服の男」、そして「特殊大量殺人機」を中心に、またもう一つ『ちぐはぐな部品』所収の「凍った時間」の三つを中心に語りたいと思っております。
いや……まだそのレジュメができてないんですけどね……。
ともあれ、興味のある方は、どうぞ参加ください。
●日時:2021年9月12日 午後3:00~6:00
●会場:ルノアール四谷マイスペース 3階A室
●アクセス:
●テキスト:星新一『白い服の男』、『ちぐはぐな部品』
●参加費:飲み物代込みで、1600円(当日、集めさせていただきます。)
●本会終了後、飲み会を予定しております(参加自由)。
さて、というわけで記事再録です。
ちなみに文中では「プロのフェミニスト」の意味で「プロフェミ」という言葉を使っています。また違った意味あいの使われ方もあるようなのですが、今回は書かれた当時の表現をそのまま修正しておりませんので、そこをお含み置きください。
では、そういうことで……。
* * *
【第3位】ツイッターレディース、まなざし村ブーム
【第2位】リベフェミブーム
はい、三位、二位とも「非実在なもの」に対するブーム、一種の「怪獣ブーム」とでも言えましょうか。
「表現の自由クラスタ」の流布させ続けているラディカル/リベラルフェミニズムについてのウソについては、多くを繰り返しません*5。彼らがまた、それと類似の「フェミニズムの延命策」として、「ツイフェミ」だけが悪者で「真のフェミ」という名の正義の味方が他にいるのだ、とのデマを流していることについても、繰り返し述べています。
が、上の「まなざし村」は恐らく去年の年末頃、そして「ツイッターレディース」については今年になって言われ出したことなので、ここにランクインさせました。
「まなざし村」については以前の記事を見てもらうとして*6、「ツイッターレディース」について。
実はぼくは具体的な「ツイレディ」について多くを知りません(追っかけている人たちに聞けばいい話なんですが……)。しかし「キンタマつぶし云々」であるとか「ジャップオス」であるとか、並外れて口汚く男性への憎悪が度を超している人たちを、そのように呼んでいるようです(商業誌で「男は死に見あうだけのメリットを得ている」「男は産業廃棄物」などと絶叫する「プロフェミ」の方が遙かに並外れて口汚く男性への憎悪が度を超しているように思うのですが……)。
ぼくも一度絡まれたことがあり、恐らくこの人たちが「ツイレディ」なのかなと思われる共通項が何となくわかったのですが、彼女らには「アカウントは数ヶ月前に作られたもの」「フォロワー数などはごく僅か」といった特徴があるようです。あくまで想像ですが、これはフェミたちの「毒吐き垢」なんじゃないでしょうか。
そしてまた、今年は「リベフェミ」ブームでもありました。
そう、「表現の自由」クラスタは「リベフェミ」としてピルつき師匠を神であるかのごとく持ち上げているのですね。何しろ、原田実師匠すらもが彼女のデマを信じ、RTしていたのですから。実のところピル師匠についてはかつての(70年代頃の)ウーマンリブの事情について詳しかったり、業界で古株なのかな、と思えることがあります。その意味では、彼女は世代的に「リベフェミ」であると言えなくもないかも知れません。また、彼女の主な主張はピルについてのもので、となると彼女を「ピルにまつわる法整備を目指しているフェミニスト」と解釈した時、彼女を「リベフェミ」と呼ぶことは不可能ではありません。
しかし、それだけでは、「表現の自由クラスタ」が彼女を殊更に持ち上げる理由が理解できません。彼女はものすごい限定的な主張をしているだけの、しかも社会的影響力のほとんどない人なのですから、彼女を持ち上げれば持ち上げるほど、「彼女以外、持ち上げるべきフェミがいない」ことがバレてしまう。
また、そもそも、彼女はおっぱい募金に反対しており、またバッドフェミニストについても肯定的なことを言っておりました。「表現の自由クラスタ」は「リベフェミ」という言葉を意図的に「エロに寛容なフェミ」という意味にねじ曲げ、またピル師匠自身、そのイメージ戦略に乗っかっていますが、別に彼女はエロに寛容でも何でもなかったわけです。そうした人物を、「我らオタクの味方」と御輿に担ぎたい人たちの気持ちが、ぼくには全くわかりません。
ぼくは彼女を、「テレビ番組に面白半分に採り上げられた田舎のラーメン屋」に例えてきました。事実、多摩湖師匠(最近目立ちませんが、持ち上げられているもう一人の「リベフェミ」です)が「これからリベフェミの時代が来る」的なツイートをしていたのを見たことがあります。
しかし……言うまでもなくテレビ局の扱いというのは面白半分なもので、ラーメン屋は使い捨てにされる運命にあるのです。
ぼくが彼女らの運命を案じる理由。それは、「表現の自由クラスタ」には他にも身近に「プロフェミ」がいるにもかかわらず、彼女らを「真のフェミ」であるとして担がないことが、極めて不自然だからです。
著作がいくつもあり、学会や出版界での実績があり、オタク界に地位と影響力を持つ大勢のフェミニストたち。そんな彼女らの名前が「表現の自由クラスタ」の口に上ることがなく、翻って田舎のラーメン屋特集ばかりしている理由とは?
そしてこれは、仮定に仮定を積み重ねた推論ですが、「ツイレディ」とやらがここ数ヶ月でいきなり「爆誕」した事実。それらはどう符合するのでしょう?
去年、オタク界でそれなりの地位を持つ腐女子フェミニスト、柏崎玲於奈師匠がエロフィギアを批判して、「オタクの敵」として集中砲火を浴びました。
誰かが、この悲劇を二度と繰り返すまいとして、策を講じた――といった空想を、ついしてしまいたくなるのです。
*6 「まなざし村という言葉を使いたがる人たちをまなざしてみる」
「京都地下鉄の萌えキャラにクレームをつけたのはフェミ…じゃなくて“まなざし村”!?」
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