>顔面核爆弾様 ぼくは時々、ソフトオンデマンドだか何だかの「ゴミ拾いボランティア」のことを話題に出します。 社員たちが(確か、自社ロゴの入ったジャンパーか何かを着ながら)ゴミ拾いをしていると。 伊集院光が肯定的に語っていたのですが、ぼくはそれはよくない、と感じます。 自社ロゴを入れないのであれば、まあ勝手にやればよいのですが、伊集院がソフトオンデマンドであると認識した以上、それとわかるような格好をしていたはずですが、そんなものを往来で堂々とひけらかして見せることは、感心しません。 往来は子供だって、通るのですから。 もちろん、ロゴだけで子供の教育に悪いとは言いませんし、絶対に止めよ、法で規制せよと思っているわけではありません。 だから、例えばですがこのボランティアが「市民のクレームで中止」に追い込まれるなどという事件が起こったら、ぼくもそれに対して快哉を叫ぶよりは、むしろ不快感を覚えることでしょう。 しかし、この件からはソフトオンデマンド側の「おてんとうさまの下を歩きたい」欲、それを肯定する者からは「多文化主義」的なものへの盲目的な肯定が感じられ、そこにいささかの不快感を覚えます。 エロは裏文化だし、だからこそエロ漫画は一般の漫画より高い、と、そうした住み分けがあるのだし、そこを越えて「エロ共生社会」を築くことに、ぼくは何の価値も覚えません。 これは一見、ぼくが本稿で批判してみせた昼間たかし師匠の言説と親和的な考えに見えるかもしれません。 しかしそれは、そうではありません。 ぼくの考えは、「エロはエロで、えっちなのはいけないので、外に出さないようにしよう、そうすることで互いが平和に暮らそう」という、シンプルにそれだけのものなのです。 それに対し、師匠の考えは「いけないものとされているからこそ、エロは武器になる、だから『人権ガーーー!!!』と呪文を唱えながら、ソフトオンデマンドの社員を人間爆弾に改造し、自民党と民家に投げ込もう」というものなのです。 実のところ、双方とも(はっきり言えば全人類が)「エロを裏物」と考えている。 ぼくと彼らとの違いは、それを政治利用しようとしているか否か、です。 本件(アキバのエロゲ看板)についても同じことがいえ、近所には小学校もあるようだし、あまり堂々と掲げるものではないと思います。 そしてまた、(乳首が見えていないという、「ボーダーライン性」を考えた場合)、法を根拠として白黒片をつけるより、自主規制という形を取ったのは、ぼくとしてはベストの決着であるように思えます。 恐らく、こうした価値観が、顔面さんや、恐らく若い人とは共有できないものではないかなあ、と思います。 が、これは「ジェンダーフリー」といっしょなのですね。 何となれば、「エロが裏物」というのは僕たちのセクシュアリティに根差した本質的なものであり、「何か、阿部さんが人類を支配するために、ぼくたちへとそのような価値観を刷り込んだ」わけでも何でもない。 ぼくが常日頃から、ジェンダーそのものをリセットすることは考えず、その範囲内で少しでもことをマシな方向へ持っていこう、と言っているのといっしょで、本件についても、ぼくは全く同じスタンスを取るのです。
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兵頭新児の女災対策的随想
(著者)
>顔面核爆弾様
ぼくは時々、ソフトオンデマンドだか何だかの「ゴミ拾いボランティア」のことを話題に出します。
社員たちが(確か、自社ロゴの入ったジャンパーか何かを着ながら)ゴミ拾いをしていると。
伊集院光が肯定的に語っていたのですが、ぼくはそれはよくない、と感じます。
自社ロゴを入れないのであれば、まあ勝手にやればよいのですが、伊集院がソフトオンデマンドであると認識した以上、それとわかるような格好をしていたはずですが、そんなものを往来で堂々とひけらかして見せることは、感心しません。
往来は子供だって、通るのですから。
もちろん、ロゴだけで子供の教育に悪いとは言いませんし、絶対に止めよ、法で規制せよと思っているわけではありません。
だから、例えばですがこのボランティアが「市民のクレームで中止」に追い込まれるなどという事件が起こったら、ぼくもそれに対して快哉を叫ぶよりは、むしろ不快感を覚えることでしょう。
しかし、この件からはソフトオンデマンド側の「おてんとうさまの下を歩きたい」欲、それを肯定する者からは「多文化主義」的なものへの盲目的な肯定が感じられ、そこにいささかの不快感を覚えます。
エロは裏文化だし、だからこそエロ漫画は一般の漫画より高い、と、そうした住み分けがあるのだし、そこを越えて「エロ共生社会」を築くことに、ぼくは何の価値も覚えません。
これは一見、ぼくが本稿で批判してみせた昼間たかし師匠の言説と親和的な考えに見えるかもしれません。
しかしそれは、そうではありません。
ぼくの考えは、「エロはエロで、えっちなのはいけないので、外に出さないようにしよう、そうすることで互いが平和に暮らそう」という、シンプルにそれだけのものなのです。
それに対し、師匠の考えは「いけないものとされているからこそ、エロは武器になる、だから『人権ガーーー!!!』と呪文を唱えながら、ソフトオンデマンドの社員を人間爆弾に改造し、自民党と民家に投げ込もう」というものなのです。
実のところ、双方とも(はっきり言えば全人類が)「エロを裏物」と考えている。
ぼくと彼らとの違いは、それを政治利用しようとしているか否か、です。
本件(アキバのエロゲ看板)についても同じことがいえ、近所には小学校もあるようだし、あまり堂々と掲げるものではないと思います。
そしてまた、(乳首が見えていないという、「ボーダーライン性」を考えた場合)、法を根拠として白黒片をつけるより、自主規制という形を取ったのは、ぼくとしてはベストの決着であるように思えます。
恐らく、こうした価値観が、顔面さんや、恐らく若い人とは共有できないものではないかなあ、と思います。
が、これは「ジェンダーフリー」といっしょなのですね。
何となれば、「エロが裏物」というのは僕たちのセクシュアリティに根差した本質的なものであり、「何か、阿部さんが人類を支配するために、ぼくたちへとそのような価値観を刷り込んだ」わけでも何でもない。
ぼくが常日頃から、ジェンダーそのものをリセットすることは考えず、その範囲内で少しでもことをマシな方向へ持っていこう、と言っているのといっしょで、本件についても、ぼくは全く同じスタンスを取るのです。