冒頭の画像でワロタwww 彼らのイメージそのものですねwww 実は2週間くらいインフルエンザで寝込んでおりました(´Д⊂ヽ 寝込んでいる間は仮面ライダーギャレンの如く、「オデノカラダハボドボドダ!(俺の体はボロボロだ!)」と叫んでおりましたwww コメントするのが遅くなってしまい、すみませんm(_ _)m >まずは簡単な表を作ってみましたので、ご覧ください。 見ましたよ。 ミグタウのセリフが「…………。」で笑いましたwww まあ、アンチフェミ三銃士はもう少しばかり右にいても文句は言いませんよ。彼らはただのネタキャラでしかありませんからねwww >彼らの使う詭弁は、例えば「BLは、男の娘は、ジェンダーフリーな表現だ」といったもの。もちろん、BLとは腐女子が女性ジェンダーを十全に楽しむための表現であり、男の娘もまた女性ジェンダーを持った少年だからこそヘテロセクシュアルの男性に好まれるのであり、ホモの好むいわゆる田亀源五郎氏的なキャラとは丸きり違う。 毎度のことながら、まさにその通りですよね。 彼らの言動を例えるならば、一部フェミ臭い内容だったHUGっと!プリキュアの最終回が18禁のエロゲのようなボテ腹エンドで尚且つ出産シーンまでを描いた怪作に仕上がったのと同じくらい意味不明なわけですよwww 兵頭さんも仰るようにアンチフェミ三銃士はHUGっと!プリキュアのスタッフ並みにフェミニズムを丸っ切り理解していない。所詮、彼らの言はHUGっと!プリキュアの最終回と同レベルでしかありません。まあ、フェミじゃなくてもHUGっと!プリキュアのラストシーンはキモいと感じるかもしれませんが……。 「女は産む機械」というメッセージをあそこまで女児たちに伝えたHUGっと!プリキュアには思わず敬服してしまいましたが、正直プリキュアで柳澤伯夫さん的な思想を植え付けるのはどうかと……。 >彼の心の声は、迷った挙句「俺のカメラ写り、どうかな…?」としました。恐らくですが、彼の頭の中にはユーチューバーとして快哉を浴びる自分について以外は、何も入っていない。自己とは、他者との違和の集積です。シンジ君もアムロも他人とうまくやっていけないが故に、自意識に目覚めた存在でした。そこへ持ってきてドクさべにそうしたナイーブさは恐らく、ない。 ドクさべの一人称性はフェミにも匹敵しますからねwww 無論、私や兵頭さんも一人称性の主ではありますが、ドクさべのような品性のかけらもないようなDQNは軽蔑します。 言われてみると、シンジ君とアムロ君は確かに「三人称性」的な感覚の持ち主ですよね。 「男なんかでありたくない」という規範外れの資質を持ったアムロ君は幼馴染のフラウ・ボゥが自ら戦いに出ようとするとき、女である彼女に戦わせるわけにはいかないと、男性ジェンダーを受け入れ、戦場に身を投じました。シンジ君も同様であることは今更語るまでもないでしょう。 この2人はウルトラマンレオ的なポジションであり、フェミニズムの信奉者はウルトラセブンのモロボシ・ダン的立ち位置ですwww 彼らは「三人称性」的な感覚の持ち主ですから、口では言わなくとも心の奥底では「男は外で戦わねばならん。何故だ? その後ろで女の子が優しく花を摘んでいられるようにしてやるためじゃないのか!?」と思っていることでしょう。 ある意味、町山さんと一緒で実は誰よりも男性ジェンダーを内面化しているため、兵頭さんが仰るように自分の足元が見えていないんですよね。 だからこそ、私や兵頭さんは沈黙の戦士ミグタウに変身することで彼らとの戦いに身を投じることを決意したのです。 >高度経済成長期の男性たちの生命は極めて蔑ろにされていたはずですが、最早人権観が更新されており、ここで男女のジェンダー観が一気に戻っても、そこまでのブラックな状態には戻らないのではないかというのが、ぼくの予想です 正直男性が置かれている状況は未来永劫変わることはないと思っています……。 今回兵頭さんも『そもそも「一昔前のジェンダー観」以外のジェンダー観がこの世に現出したことは、今まで一度もない』と、ぐうの音も出ないほどの正論を仰っていましたが、これからも男性ジェンダーのネガティビティがなくなることは絶対にない。だからこそ私は別に100%ジェンダー観を元に戻す必要はないと思っていますが、ブルマが復活してくれたら嬉しいですねwww まあ、私のスタンスを一言でいうなら行動はミグタウ、主張はインセルとまではいかずともフェミニズムに対して懐疑的な態度を取り続けることだと思います(ほとんど兵頭さんと変わりませんがwww)。 結局男性ジェンダーのネガティビティはなくせないし、フェミニズムを倒すのも困難だから、そこから撤退してミグタウになりましょうという感じですね。何故なら一昔前のジェンダー観に戻すのはもう不可能だからです。 現代は昭和の頃と違って、ネットが普及し、価値観が多様化したことで正義というものが失墜していきました。 仮面ライダーで例えるならば、悪人でも変身できる平成ライダーには肉体にも精神にもヒーローたるべき必然性はありません。多くの平成ライダーの作中には運命も精神的外傷も関係せず、自己決定の論理しか存在しません。仮面ライダーシリーズにおける変身という概念は変身アイテムさえ所持していれば誰でも変身できるというものに変わっていきました(クウガや響鬼のような髙寺プロデューサーが手がけた作品は除く)。 おそらく彼らは自分のことを仮面ライダーだと思っていることでしょうが、私や兵頭さんもまた仮面ライダーなのです。 仮面ライダーベルデは言いました。 『一度ライダーになった者は、ライダーとしての宿命を負う。 逃げることは出来ない! 大体な、ライダーの戦いは終わんねえんだよ! 今の社会はな、ライダー同士の戦いと同じなんだよ 生きるって事は、他人を蹴落とす事なんだ。 いいか!!人間は皆ライダーなんだよ!』 ある意味、平成ライダーシリーズは現代の戯画です。 これは宇野常寛さんの著書で「もう昭和ヒーローの出る幕はない」という章があるんですが、そこで父性溢れる昭和ヒーロー的な勧善懲悪のストーリーを前半まで展開した仮面ライダー響鬼を批評した時に彼も私と似たようなことを仰っていました。 仮面ライダー響鬼の後半以降は髙寺プロデューサーが降ろされて、白倉プロデューサーが務めることになったんですが、その中身は前半部分への批判的内容でした。 平成ライダーの中では勧善懲悪的だったクウガと響鬼の前半は昭和ヒーローに近いテイストでしたが、現代はそうしたヒーロー像は求められておらず、白倉プロデューサー的ヒーロー像が一般化したことを宇野さんも感じ取っていらっしゃいました。 昭和ヒーローが受け入れられなくなった現代だからこそ私たちは沈黙の戦士・仮面ライダーミグタウに変身し、仮面ライダーフェミとの戦いに身を投じなければいけません。 兵頭さんは嫁を手に入れるために、私はブルマを復活させるために仮面ライダーフェミを倒す誓いを立てました。 仮面ライダー龍騎の最終回では下記のようなナレーションが流れて物語に幕が降ります。 『この戦いに正義はない……。 そこにあるのは純粋な願いだけである……。 その是非を問えるモノは――』 戦わなければ生き残れない平成の時代ももうすぐ終わろうとしていますが、年号が変わっても私たちの状況は変わりそうにありません。 こうした状況に絶望し、私は思わず仮面ライダー剣の如く、「ウゾダドンドコドーン!(嘘だそんなこと!)」と冷やし土下座をしていたらインフルエンザにかかってしまい、冒頭で言ったように2週間も寝込むことに……。まったく平成の時代は最後まで碌なことがなかったですね(>_
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:63064431)
冒頭の画像でワロタwww
彼らのイメージそのものですねwww
実は2週間くらいインフルエンザで寝込んでおりました(´Д⊂ヽ
寝込んでいる間は仮面ライダーギャレンの如く、「オデノカラダハボドボドダ!(俺の体はボロボロだ!)」と叫んでおりましたwww
コメントするのが遅くなってしまい、すみませんm(_ _)m
>まずは簡単な表を作ってみましたので、ご覧ください。
見ましたよ。
ミグタウのセリフが「…………。」で笑いましたwww
まあ、アンチフェミ三銃士はもう少しばかり右にいても文句は言いませんよ。彼らはただのネタキャラでしかありませんからねwww
>彼らの使う詭弁は、例えば「BLは、男の娘は、ジェンダーフリーな表現だ」といったもの。もちろん、BLとは腐女子が女性ジェンダーを十全に楽しむための表現であり、男の娘もまた女性ジェンダーを持った少年だからこそヘテロセクシュアルの男性に好まれるのであり、ホモの好むいわゆる田亀源五郎氏的なキャラとは丸きり違う。
毎度のことながら、まさにその通りですよね。
彼らの言動を例えるならば、一部フェミ臭い内容だったHUGっと!プリキュアの最終回が18禁のエロゲのようなボテ腹エンドで尚且つ出産シーンまでを描いた怪作に仕上がったのと同じくらい意味不明なわけですよwww
兵頭さんも仰るようにアンチフェミ三銃士はHUGっと!プリキュアのスタッフ並みにフェミニズムを丸っ切り理解していない。所詮、彼らの言はHUGっと!プリキュアの最終回と同レベルでしかありません。まあ、フェミじゃなくてもHUGっと!プリキュアのラストシーンはキモいと感じるかもしれませんが……。
「女は産む機械」というメッセージをあそこまで女児たちに伝えたHUGっと!プリキュアには思わず敬服してしまいましたが、正直プリキュアで柳澤伯夫さん的な思想を植え付けるのはどうかと……。
>彼の心の声は、迷った挙句「俺のカメラ写り、どうかな…?」としました。恐らくですが、彼の頭の中にはユーチューバーとして快哉を浴びる自分について以外は、何も入っていない。自己とは、他者との違和の集積です。シンジ君もアムロも他人とうまくやっていけないが故に、自意識に目覚めた存在でした。そこへ持ってきてドクさべにそうしたナイーブさは恐らく、ない。
ドクさべの一人称性はフェミにも匹敵しますからねwww
無論、私や兵頭さんも一人称性の主ではありますが、ドクさべのような品性のかけらもないようなDQNは軽蔑します。
言われてみると、シンジ君とアムロ君は確かに「三人称性」的な感覚の持ち主ですよね。
「男なんかでありたくない」という規範外れの資質を持ったアムロ君は幼馴染のフラウ・ボゥが自ら戦いに出ようとするとき、女である彼女に戦わせるわけにはいかないと、男性ジェンダーを受け入れ、戦場に身を投じました。シンジ君も同様であることは今更語るまでもないでしょう。
この2人はウルトラマンレオ的なポジションであり、フェミニズムの信奉者はウルトラセブンのモロボシ・ダン的立ち位置ですwww
彼らは「三人称性」的な感覚の持ち主ですから、口では言わなくとも心の奥底では「男は外で戦わねばならん。何故だ? その後ろで女の子が優しく花を摘んでいられるようにしてやるためじゃないのか!?」と思っていることでしょう。
ある意味、町山さんと一緒で実は誰よりも男性ジェンダーを内面化しているため、兵頭さんが仰るように自分の足元が見えていないんですよね。
だからこそ、私や兵頭さんは沈黙の戦士ミグタウに変身することで彼らとの戦いに身を投じることを決意したのです。
>高度経済成長期の男性たちの生命は極めて蔑ろにされていたはずですが、最早人権観が更新されており、ここで男女のジェンダー観が一気に戻っても、そこまでのブラックな状態には戻らないのではないかというのが、ぼくの予想です
正直男性が置かれている状況は未来永劫変わることはないと思っています……。
今回兵頭さんも『そもそも「一昔前のジェンダー観」以外のジェンダー観がこの世に現出したことは、今まで一度もない』と、ぐうの音も出ないほどの正論を仰っていましたが、これからも男性ジェンダーのネガティビティがなくなることは絶対にない。だからこそ私は別に100%ジェンダー観を元に戻す必要はないと思っていますが、ブルマが復活してくれたら嬉しいですねwww
まあ、私のスタンスを一言でいうなら行動はミグタウ、主張はインセルとまではいかずともフェミニズムに対して懐疑的な態度を取り続けることだと思います(ほとんど兵頭さんと変わりませんがwww)。
結局男性ジェンダーのネガティビティはなくせないし、フェミニズムを倒すのも困難だから、そこから撤退してミグタウになりましょうという感じですね。何故なら一昔前のジェンダー観に戻すのはもう不可能だからです。
現代は昭和の頃と違って、ネットが普及し、価値観が多様化したことで正義というものが失墜していきました。
仮面ライダーで例えるならば、悪人でも変身できる平成ライダーには肉体にも精神にもヒーローたるべき必然性はありません。多くの平成ライダーの作中には運命も精神的外傷も関係せず、自己決定の論理しか存在しません。仮面ライダーシリーズにおける変身という概念は変身アイテムさえ所持していれば誰でも変身できるというものに変わっていきました(クウガや響鬼のような髙寺プロデューサーが手がけた作品は除く)。
おそらく彼らは自分のことを仮面ライダーだと思っていることでしょうが、私や兵頭さんもまた仮面ライダーなのです。
仮面ライダーベルデは言いました。
『一度ライダーになった者は、ライダーとしての宿命を負う。
逃げることは出来ない!
大体な、ライダーの戦いは終わんねえんだよ!
今の社会はな、ライダー同士の戦いと同じなんだよ
生きるって事は、他人を蹴落とす事なんだ。
いいか!!人間は皆ライダーなんだよ!』
ある意味、平成ライダーシリーズは現代の戯画です。
これは宇野常寛さんの著書で「もう昭和ヒーローの出る幕はない」という章があるんですが、そこで父性溢れる昭和ヒーロー的な勧善懲悪のストーリーを前半まで展開した仮面ライダー響鬼を批評した時に彼も私と似たようなことを仰っていました。
仮面ライダー響鬼の後半以降は髙寺プロデューサーが降ろされて、白倉プロデューサーが務めることになったんですが、その中身は前半部分への批判的内容でした。
平成ライダーの中では勧善懲悪的だったクウガと響鬼の前半は昭和ヒーローに近いテイストでしたが、現代はそうしたヒーロー像は求められておらず、白倉プロデューサー的ヒーロー像が一般化したことを宇野さんも感じ取っていらっしゃいました。
昭和ヒーローが受け入れられなくなった現代だからこそ私たちは沈黙の戦士・仮面ライダーミグタウに変身し、仮面ライダーフェミとの戦いに身を投じなければいけません。
兵頭さんは嫁を手に入れるために、私はブルマを復活させるために仮面ライダーフェミを倒す誓いを立てました。
仮面ライダー龍騎の最終回では下記のようなナレーションが流れて物語に幕が降ります。
『この戦いに正義はない……。
そこにあるのは純粋な願いだけである……。
その是非を問えるモノは――』
戦わなければ生き残れない平成の時代ももうすぐ終わろうとしていますが、年号が変わっても私たちの状況は変わりそうにありません。
こうした状況に絶望し、私は思わず仮面ライダー剣の如く、「ウゾダドンドコドーン!(嘘だそんなこと!)」と冷やし土下座をしていたらインフルエンザにかかってしまい、冒頭で言ったように2週間も寝込むことに……。まったく平成の時代は最後まで碌なことがなかったですね(>_