兵頭新児(著者) のコメント

兵頭新児 兵頭新児
(著者)

正直、やっぱりちょっとわかりにくいです。

>私が言いたいのはこの件では女を叩くのはお門違いではないかと言う事です。

「この件」とは「男性の方が守られていない」件でしょうか(或いは男性の自殺率が高い件でしょうか)。
「女を叩く」というのはぼくの発言のどこを指していらっしゃるわけでしょうか。
あの人たちはどうにも批判をされると「叩かれた、叩かれた」「ミソジニー」とクソミソいっしょに過剰反応する傾向がありますが、「男性が守られていないのに、『より以上に女性を守るのにエネルギーを投じよ』との主張をしている人がいたら、叩かれるのは当然」ではないでしょうか。
例えばですが、性犯罪冤罪。
あれだけ性犯罪を「男の連帯責任である」としておきながら、あの人たちは冤罪が問題になると、とたんに「司法のせいだ」「警察のせいだ」と逃げに入ります。フェミニズムが法を改悪し、男を貶めて信頼感を削ぎ、女たちに被害妄想を植えつけてきたことは自明なのに。
(いや、そんなことは二次的なことで、一番重要なのは女の内省のなさでしょうが)
今回のあなたの主張もそれに近い。
男性の攻撃性がテストステロンによるものか社会的な条件づけによるものか、そんなことは全くどうでもいい。
ぼくが指摘したいのは、男性の攻撃性によって築き上げられた豊かな文明を十二分に享受しておいて、そもそも積極的な男性を好んでおいて、いきなりそれをいきなり悪であると言い募り出すそのダブルスタンダードというか内省のなさです。
むろん自殺対策などを講じることは重要でしょうが、ぼくが女性を批判しているとしたら、それはメリットを思うさま享受しておいて、いざとなると「男が勝手にやったことだ」と逃げるその、無責任さについてです。

>そこから一歩進んで「男性は可哀そう」だと言うのは、ニヒリズムと言われようと、どうかと思います。
>そこまで行くとまたフェミニズムの人たちと同じ「私を保護しろ保護しろ」の道をたどりそうですが。

ここも、そしてまたここに続く終盤のコメントも正直意味が取れません。
(あなたが理解しているかどうか心許ないですが)本記事の主旨は「男性差別論者」に対して、「男は可哀想だが、可哀想といくら自称してもおまんじゅうもらえないよ」というものです。
あなたはそれの一歩先を進んで「可哀想と言うのも禁止」というものでしょうか。
そうなると、一体どうすればいいのか、手足をもぎ取られたような気分です。

No.11 142ヶ月前

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兵頭新児の女災対策的随想

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