>ぼくも非現実的な年収を夫に望む一般的な女性に対しては失意を覚えますが、恐らく彼らはいまだフェミニストを非実在のファリックガールだと勘違いしている。 キューティーハニーやセラムンやプリキュアのような2次元のファリックガールに萌えるんだったら一向に構いません(私も大好きなのです)が、オタク界のトップ率いる表現の自由クラスタは3次元のフェミ二ストに対してファリックガール性を求めていらっしゃるようなので本音の部分ではオタク界のトップとフェミ二ストの間柄は水と油です。 前にこういった状況を兵頭さんが、 『「彼ら」もまた、フェミのロジックのおいしいとこ取りをせんとする、ゾンビマスターの一人でしかありません。 しかし、いずれにせよそうしたセコいマネは早晩、ムリが出てきます。 「彼ら」に求められるのは「正しい死体遺棄」でありましょう。 そう、これはフェミニストと、彼女らをガールフレンドにしているオタク界のトップとの、「価値観の不一致」の予兆と言えるのです』 と、これ以上ないくらいに本質を突いた指摘をされていましたが今まさにそうした『予兆』が現れ始めています。 オタク界のトップ(&手下のリベラル君)たちがフェミニストをうまくコントロール出来ているとは到底思えませんし、肝心のフェミニスト側はむしろオタク文化を嫌っている……。 表現の自由クラスタはただの天然だとは思いますが、オタク界のトップの本音は薄ぼんやりしており、何を考えているのか分からない点が余計彼らに対する不信感を強めてしまいます。 想像するにオタク界のトップも一般女性に対する嫌悪が強いのだとは思います(私も共感は出来ます)が、彼らにはそれ以上の何かを感じずにはいられません。 小浜さんが前にフェミニストについて下記のような分析をしておりました。 『フェミニストが、「労働による社会参加を通じての自己実現」という観念に縛られているのは、たぶん次の理由(のうちのどれか)によるでしょう。 ①観念的な平等原理主義。 ②社会での勤労が、そのまま社会での権力に結びついているという思い込み。 ③これを唱える人たち自身(大学教授など)が、高い地位や報酬を得ていて、いわゆる「自己実現」を実感していること。 ④普通の人が味わっている下積み苦労への想像力の欠落。 ⑤自分が育った家族に対する何らかの怨念。 繰り返しになりますが、始末に悪いのは、こういう個人的な信念が、経済的な効率や利潤を第一に追求する財界やグローバリストの意向と見事に合致してしまう点です』 見事な考察だとは思いますが、オタク界のトップについて分析するならば、上記の③⑤が関係しているように思えます。 ③については単純にオタク界のトップは大学教授など、それなりに高い地位についており、莫大な報酬を得ていることから自己実現を実感している。よって、フェミニストを甘えさせられるだけの甲斐性があった。 ⑤については、あくまで私の想像ですが従来の家庭像を否定する彼らの背景には子供時代の自分の家族に対する失望体験が影響しているのではないでしょうか。 無論、私自身もあまり家庭に恵まれていた方ではありませんでした。この間、父親が死んだ時も結局死ぬまで私のことだけは心底憎んでたし、母親も父親のことは他人のように思っていましたし、姉も父親が死んで大喜びwww 私は葬式にすら参加しませんでした(ほとんど火葬して終わっただけらしいです)が、自分はつくづく幸せな家庭とは縁のない(一生結婚できる見込みもない)人間だということを悟りました。 なんだか松尾慈子さんが本田透を批判した時の言説をついつい思い出してしまいます。 『「自分をどこまでも受け入れて、守ってくれる完璧な家族」なんてどこにもない』 これは確かに反論しようがない正論です。 だからこそ、本田透はこう喝破しました。 『神が死んだこの現代で、唯一の価値を持つもの。それは愛だ。愛以外にはない。金じゃない。顔でもない。ファッションでもない。地位や名誉でもない。愛はどこに消えたのか? もし二次元にしか愛がないのであれば、俺は、一生、二次元だけで暮らし続けても構わない』 現代のオタクたちには少なくとも上記の本田透のような思いがあるんだと思います。 オタク界のトップ層には家庭を築いている人もいるのかもしれません(そもそも彼らに家庭が築けるのか疑問ではあります)が、少なからず自らの家庭に対する失望が彼らをフェミニズムへと突き動かしているのではないかと思わずにはいられません。 おそらく兵頭さんのようなアンチフェミクラスタも恵まれない家庭で育ったか、もしくは今も不幸な家庭の中で生きているのか分かりませんが彼らもそのうち家庭がない自分ひとりだけの妄想世界がホントの意味で居心地がいいことに気づくのかもしれません。逆に言えば、それだけ現実は辛いんだよね……。 そんな救いのない男たちにぴったりな作品を見つけました。 「サブヒロイン同士、暇だから異世界で百合でもしてみましょうか」という読み切り作品なんですが、本作は恋に破れたラブコメのサブヒロインたちによる前代未聞のストーリーが展開されます。 私立寒広(サブヒロ)女子高校、ここでは恋に破れたサブヒロインたちが行き場をなくした恋愛本能を暴走させ、百合に目覚めてしまいますwww 攻めの女の子は憧れの先輩属性、受けの女の子はツンデレ幼なじみ属性というまさにオタク好みなテンプレヒロイン2人によって織り成される擬似恋愛関係はなんだかモテないオタクが2人以上集まると発生するホモソーシャル(非モテソーシャル)な連帯に大変酷似していて笑いが込み上げてきますwww 憧れの先輩属性ヒロインがツンデレ幼なじみ属性ヒロインを押し倒すと、おもむろに憧れの先輩はツンデレに対して『選ばれた気分』について感想を問います。このシーンを見ていると、待ちコンで最終的に敗れ去った非モテ男がなんだかんだで同性同士でよろしくやってるような光景をつい思い出してしまいます。 私立寒広(サブヒロ)女子高校とは我々の故郷であるオタク文化のメタファーです。そこでは家庭に恵まれなかったモテない男たちが行き場をなくした承認欲求を暴走させ、二次元に目覚めました。 私や兵頭さんはサブヒロイン(非モテ男)として毎日ずっと「片想い」を続けてきましたが、結局はサブヒロイン……誰とも結ばれる見込みはありません。 これはオタク界のトップがフェミニストに「片想い」を続けても見込みがない単なるサブヒロインでしかないのと同様で、彼女たちは結局ラブコメの主人公(家父長的なイケメン)のことが好きなハーレム系ヒロイン(一般女性)でしかなかったのです。 この社会はラブコメの主人公(家父長的なイケメン)を中心としたハーレム系ヒロイン(一般女性)によって構成されており、我々のようなサブヒロイン(非モテ男性)にはいつだって居場所なんてありませんでした……。 オタク界のトップは今でもフェミニストをファリックガールだと信じています(いや、心の奥底では薄々気づいているかもしれません)が、それが幻想だとは認めるわけにいかない。認めてしまえば、自分が今も昔もずっと恵まれない家庭で生きてきた人間だという客観的現実を突きつけられてしまうから……。だから、フェミニズムを捨てるわけにはいかない。それこそがオタク界のトップの本質であり、従来の家庭像を否定することでしかアイデンティティを保つことができない哀れな運命のもとに生まれた自分をラブコメの主人公(フェミニストに愛してもらえる)と信じて疑わないサブカル君たちの完全に痛いパフォーマンスの数々こそ彼らがオタクよりも劣っている証左なのではないでしょうか。 兵頭さんも前に、 『リベラル君のフェミ様への依存は何というか、無意識裡に「女性性」を求めてのことである気がします』 と今回の私の言とほとんど同じことを仰っていましたが、オタク界のトップは今日も脳内フェミとデートを楽しみつつ弱者男性叩きに繰り出します。 永遠に愛しのフェミ様との関係が進展することはないまま、オタク界のトップは一生成就することのない恋に邁進するのであった……。 めでたし、めでたしwww
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:63064431)
>ぼくも非現実的な年収を夫に望む一般的な女性に対しては失意を覚えますが、恐らく彼らはいまだフェミニストを非実在のファリックガールだと勘違いしている。
キューティーハニーやセラムンやプリキュアのような2次元のファリックガールに萌えるんだったら一向に構いません(私も大好きなのです)が、オタク界のトップ率いる表現の自由クラスタは3次元のフェミ二ストに対してファリックガール性を求めていらっしゃるようなので本音の部分ではオタク界のトップとフェミ二ストの間柄は水と油です。
前にこういった状況を兵頭さんが、
『「彼ら」もまた、フェミのロジックのおいしいとこ取りをせんとする、ゾンビマスターの一人でしかありません。
しかし、いずれにせよそうしたセコいマネは早晩、ムリが出てきます。
「彼ら」に求められるのは「正しい死体遺棄」でありましょう。
そう、これはフェミニストと、彼女らをガールフレンドにしているオタク界のトップとの、「価値観の不一致」の予兆と言えるのです』
と、これ以上ないくらいに本質を突いた指摘をされていましたが今まさにそうした『予兆』が現れ始めています。
オタク界のトップ(&手下のリベラル君)たちがフェミニストをうまくコントロール出来ているとは到底思えませんし、肝心のフェミニスト側はむしろオタク文化を嫌っている……。
表現の自由クラスタはただの天然だとは思いますが、オタク界のトップの本音は薄ぼんやりしており、何を考えているのか分からない点が余計彼らに対する不信感を強めてしまいます。
想像するにオタク界のトップも一般女性に対する嫌悪が強いのだとは思います(私も共感は出来ます)が、彼らにはそれ以上の何かを感じずにはいられません。
小浜さんが前にフェミニストについて下記のような分析をしておりました。
『フェミニストが、「労働による社会参加を通じての自己実現」という観念に縛られているのは、たぶん次の理由(のうちのどれか)によるでしょう。
①観念的な平等原理主義。
②社会での勤労が、そのまま社会での権力に結びついているという思い込み。
③これを唱える人たち自身(大学教授など)が、高い地位や報酬を得ていて、いわゆる「自己実現」を実感していること。
④普通の人が味わっている下積み苦労への想像力の欠落。
⑤自分が育った家族に対する何らかの怨念。
繰り返しになりますが、始末に悪いのは、こういう個人的な信念が、経済的な効率や利潤を第一に追求する財界やグローバリストの意向と見事に合致してしまう点です』
見事な考察だとは思いますが、オタク界のトップについて分析するならば、上記の③⑤が関係しているように思えます。
③については単純にオタク界のトップは大学教授など、それなりに高い地位についており、莫大な報酬を得ていることから自己実現を実感している。よって、フェミニストを甘えさせられるだけの甲斐性があった。
⑤については、あくまで私の想像ですが従来の家庭像を否定する彼らの背景には子供時代の自分の家族に対する失望体験が影響しているのではないでしょうか。
無論、私自身もあまり家庭に恵まれていた方ではありませんでした。この間、父親が死んだ時も結局死ぬまで私のことだけは心底憎んでたし、母親も父親のことは他人のように思っていましたし、姉も父親が死んで大喜びwww
私は葬式にすら参加しませんでした(ほとんど火葬して終わっただけらしいです)が、自分はつくづく幸せな家庭とは縁のない(一生結婚できる見込みもない)人間だということを悟りました。
なんだか松尾慈子さんが本田透を批判した時の言説をついつい思い出してしまいます。
『「自分をどこまでも受け入れて、守ってくれる完璧な家族」なんてどこにもない』
これは確かに反論しようがない正論です。
だからこそ、本田透はこう喝破しました。
『神が死んだこの現代で、唯一の価値を持つもの。それは愛だ。愛以外にはない。金じゃない。顔でもない。ファッションでもない。地位や名誉でもない。愛はどこに消えたのか? もし二次元にしか愛がないのであれば、俺は、一生、二次元だけで暮らし続けても構わない』
現代のオタクたちには少なくとも上記の本田透のような思いがあるんだと思います。
オタク界のトップ層には家庭を築いている人もいるのかもしれません(そもそも彼らに家庭が築けるのか疑問ではあります)が、少なからず自らの家庭に対する失望が彼らをフェミニズムへと突き動かしているのではないかと思わずにはいられません。
おそらく兵頭さんのようなアンチフェミクラスタも恵まれない家庭で育ったか、もしくは今も不幸な家庭の中で生きているのか分かりませんが彼らもそのうち家庭がない自分ひとりだけの妄想世界がホントの意味で居心地がいいことに気づくのかもしれません。逆に言えば、それだけ現実は辛いんだよね……。
そんな救いのない男たちにぴったりな作品を見つけました。
「サブヒロイン同士、暇だから異世界で百合でもしてみましょうか」という読み切り作品なんですが、本作は恋に破れたラブコメのサブヒロインたちによる前代未聞のストーリーが展開されます。
私立寒広(サブヒロ)女子高校、ここでは恋に破れたサブヒロインたちが行き場をなくした恋愛本能を暴走させ、百合に目覚めてしまいますwww
攻めの女の子は憧れの先輩属性、受けの女の子はツンデレ幼なじみ属性というまさにオタク好みなテンプレヒロイン2人によって織り成される擬似恋愛関係はなんだかモテないオタクが2人以上集まると発生するホモソーシャル(非モテソーシャル)な連帯に大変酷似していて笑いが込み上げてきますwww
憧れの先輩属性ヒロインがツンデレ幼なじみ属性ヒロインを押し倒すと、おもむろに憧れの先輩はツンデレに対して『選ばれた気分』について感想を問います。このシーンを見ていると、待ちコンで最終的に敗れ去った非モテ男がなんだかんだで同性同士でよろしくやってるような光景をつい思い出してしまいます。
私立寒広(サブヒロ)女子高校とは我々の故郷であるオタク文化のメタファーです。そこでは家庭に恵まれなかったモテない男たちが行き場をなくした承認欲求を暴走させ、二次元に目覚めました。
私や兵頭さんはサブヒロイン(非モテ男)として毎日ずっと「片想い」を続けてきましたが、結局はサブヒロイン……誰とも結ばれる見込みはありません。
これはオタク界のトップがフェミニストに「片想い」を続けても見込みがない単なるサブヒロインでしかないのと同様で、彼女たちは結局ラブコメの主人公(家父長的なイケメン)のことが好きなハーレム系ヒロイン(一般女性)でしかなかったのです。
この社会はラブコメの主人公(家父長的なイケメン)を中心としたハーレム系ヒロイン(一般女性)によって構成されており、我々のようなサブヒロイン(非モテ男性)にはいつだって居場所なんてありませんでした……。
オタク界のトップは今でもフェミニストをファリックガールだと信じています(いや、心の奥底では薄々気づいているかもしれません)が、それが幻想だとは認めるわけにいかない。認めてしまえば、自分が今も昔もずっと恵まれない家庭で生きてきた人間だという客観的現実を突きつけられてしまうから……。だから、フェミニズムを捨てるわけにはいかない。それこそがオタク界のトップの本質であり、従来の家庭像を否定することでしかアイデンティティを保つことができない哀れな運命のもとに生まれた自分をラブコメの主人公(フェミニストに愛してもらえる)と信じて疑わないサブカル君たちの完全に痛いパフォーマンスの数々こそ彼らがオタクよりも劣っている証左なのではないでしょうか。
兵頭さんも前に、
『リベラル君のフェミ様への依存は何というか、無意識裡に「女性性」を求めてのことである気がします』
と今回の私の言とほとんど同じことを仰っていましたが、オタク界のトップは今日も脳内フェミとデートを楽しみつつ弱者男性叩きに繰り出します。
永遠に愛しのフェミ様との関係が進展することはないまま、オタク界のトップは一生成就することのない恋に邁進するのであった……。
めでたし、めでたしwww