読後感:稲田シショーこそクソ先生(クソ並感) ともあれ、今回もとんでもない代物を取り上げましたね…読了した兵頭さんのご心中お察し致します。 前回の記事では「『ドラえもん』に親しんだ30〜40代ののび太系男子は受け身の甘やかされたクズ共」という暴論ですが、またしてもリベラル様達はネオリベに同化したのでしょうか? この理屈ならいじめやハラスメント、格差・貧困の拡大も全てが「個人の自己責任」で正当化されてしまうではないですか? 毎度毎度、この手の碌でもない分析擬きには嫌気がさしますが、rainmakerさんが仰っていた様に「弱者男性」と所謂「オタク文化」をしばき上げようとする以外に連中の飯のタネがないことが今回で改めてはっきりしました。 > (承前)第2章で取り上げたように、のび太は、作中で一時的にしっぺ返しを食らったり痛い目に遭ったりはしても、人格の根本的な欠陥(盗み見、結婚相手以外の女性に唾をつける、自分よりダメな人間への優位性に浸る等)については、決定的なおとがめを受けない。次回も、そのまた次回も、同じようにクソ人間ぶりを披露しているからだ。 (51p) > 彼ら(引用者註・のび太系男子)のアイデンティティを染めているのが、自分たちは割りを食った世代だという被害者意識だ。その鬱屈はおおむね富裕層や政治権力に向けられ、「社会正義」の旗印をエクスキューズに私怨を爆発させるのが常套。押し寄せる劣等感と吐き出すルサンチマンの出納業務で、毎日が忙殺されている。 (48p) ヤベェ、ヤバすぎるこのセンセー…のび太くんを弱者としていながら他ならぬ自分が自分よりもダメな人間に罵詈雑言浴びせて溜飲を下ろしている自己矛盾にまるで無頓着だ(この人の思考様式なら当然だろうけど) >何しろ師匠は、『がんばれ!ジャイアン!!』をサブカル女子たちを「追認」しての作であるとまで言い募るのです! > 彼女たちは、はなから望めない「男子受け」要素を自ら完全放棄し、歪な幼児性をたたえたお団子頭やサスペンダー、羽根つきランドセルや極彩色の靴下などで、自らの「メス性」を完全に塗りつぶしたのだ。 (103p) 他の点についてはもう兵頭さんに語り尽くされておりますのでこの点がかなり興味深いと思いましたね。 稲田シショーはジャイ子ちゃんを事実上『サブカル女子』のメタファーとして捉えている。 で、件の『がんばれ!ジャイアン!!』は文字通りジャイアン(剛田武)が妹の為に必死に陰ながら尽力する物語。 ご存知の通り、ジャイアンは乱暴な俺様ガキ大将という男性ジェンダーの権化的存在。 即ち、稲田シショーは以前より兵頭さんや私は常々指摘してきた「男性ジェンダーの膨大な自己犠牲によって作られた骸の山を、 微塵の後ろめたさも示さずしゃあしゃあと利用してのうのうと生き延びる」というフェミニストないしはサブカルクソ野郎様諸々を見事に体現しているのですよ! それを踏まえて稲田シショーのしずちゃん(しずかちゃん)大批判を併読すると、本記事最後の>リベラル君たちの「フェミニスト萌え」には、根底に強烈なミソジニーがあると、ぼくは想像します。というご指摘が実に腑に落ちる。 なんだ、やっぱりクソ野郎じゃないか!!(知ってた) > リベラル君たちの「フェミニスト萌え」には、根底に強烈なミソジニーがあると、ぼくは想像します。女性が嫌いで嫌いで仕方のないリベラル君たちの淫夢には、「バカな女どもと違い、ボクのことをわかってくれる、男性ジェンダーを獲得したフェミニストのお姉様」「勇猛なフェミニズムの闘士」、「ボクたちと共にポルノを守ってくれるリベラルフェミニスト」が毎晩のように登場します。 >しかしそれは非実在であったという事実の、身も蓋もない指摘に、本書はなってしまっています。恣意的曲解にまみれた評論で草食系男子を侮蔑し、ウソにまみれた評論でサブカル女子を賞揚し、その両方ともに失敗を続ける師匠。 >本書は果たして、どこに向かうのでしょうか。 『真冬の自由(リベラル)の淫夢』 第一章 「フェミ・リベ・サブカル三国連合脅迫!萌え達の逆襲」 稲田センセー&KTBアニキ「おい誰の車ぶつけたと思ってんだこの野郎 あぁ」「とりあえず土下座しろよこの野郎 あぁ あくしろよ」 (一点攻勢) ジェンダーマスター・兵頭「しゃぶったら撃つぞゴルァ!!!」 というわけで兵頭さんは腐れサブカル連合幹部の股間を対物ライフルで綺麗に吹き飛ばし、 前哨戦を白星で飾ったのでした(適当)
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:5643267)
読後感:稲田シショーこそクソ先生(クソ並感)
ともあれ、今回もとんでもない代物を取り上げましたね…読了した兵頭さんのご心中お察し致します。
前回の記事では「『ドラえもん』に親しんだ30〜40代ののび太系男子は受け身の甘やかされたクズ共」という暴論ですが、またしてもリベラル様達はネオリベに同化したのでしょうか?
この理屈ならいじめやハラスメント、格差・貧困の拡大も全てが「個人の自己責任」で正当化されてしまうではないですか?
毎度毎度、この手の碌でもない分析擬きには嫌気がさしますが、rainmakerさんが仰っていた様に「弱者男性」と所謂「オタク文化」をしばき上げようとする以外に連中の飯のタネがないことが今回で改めてはっきりしました。
> (承前)第2章で取り上げたように、のび太は、作中で一時的にしっぺ返しを食らったり痛い目に遭ったりはしても、人格の根本的な欠陥(盗み見、結婚相手以外の女性に唾をつける、自分よりダメな人間への優位性に浸る等)については、決定的なおとがめを受けない。次回も、そのまた次回も、同じようにクソ人間ぶりを披露しているからだ。
(51p)
> 彼ら(引用者註・のび太系男子)のアイデンティティを染めているのが、自分たちは割りを食った世代だという被害者意識だ。その鬱屈はおおむね富裕層や政治権力に向けられ、「社会正義」の旗印をエクスキューズに私怨を爆発させるのが常套。押し寄せる劣等感と吐き出すルサンチマンの出納業務で、毎日が忙殺されている。
(48p)
ヤベェ、ヤバすぎるこのセンセー…のび太くんを弱者としていながら他ならぬ自分が自分よりもダメな人間に罵詈雑言浴びせて溜飲を下ろしている自己矛盾にまるで無頓着だ(この人の思考様式なら当然だろうけど)
>何しろ師匠は、『がんばれ!ジャイアン!!』をサブカル女子たちを「追認」しての作であるとまで言い募るのです!
> 彼女たちは、はなから望めない「男子受け」要素を自ら完全放棄し、歪な幼児性をたたえたお団子頭やサスペンダー、羽根つきランドセルや極彩色の靴下などで、自らの「メス性」を完全に塗りつぶしたのだ。
(103p)
他の点についてはもう兵頭さんに語り尽くされておりますのでこの点がかなり興味深いと思いましたね。
稲田シショーはジャイ子ちゃんを事実上『サブカル女子』のメタファーとして捉えている。
で、件の『がんばれ!ジャイアン!!』は文字通りジャイアン(剛田武)が妹の為に必死に陰ながら尽力する物語。
ご存知の通り、ジャイアンは乱暴な俺様ガキ大将という男性ジェンダーの権化的存在。
即ち、稲田シショーは以前より兵頭さんや私は常々指摘してきた「男性ジェンダーの膨大な自己犠牲によって作られた骸の山を、
微塵の後ろめたさも示さずしゃあしゃあと利用してのうのうと生き延びる」というフェミニストないしはサブカルクソ野郎様諸々を見事に体現しているのですよ!
それを踏まえて稲田シショーのしずちゃん(しずかちゃん)大批判を併読すると、本記事最後の>リベラル君たちの「フェミニスト萌え」には、根底に強烈なミソジニーがあると、ぼくは想像します。というご指摘が実に腑に落ちる。
なんだ、やっぱりクソ野郎じゃないか!!(知ってた)
> リベラル君たちの「フェミニスト萌え」には、根底に強烈なミソジニーがあると、ぼくは想像します。女性が嫌いで嫌いで仕方のないリベラル君たちの淫夢には、「バカな女どもと違い、ボクのことをわかってくれる、男性ジェンダーを獲得したフェミニストのお姉様」「勇猛なフェミニズムの闘士」、「ボクたちと共にポルノを守ってくれるリベラルフェミニスト」が毎晩のように登場します。
>しかしそれは非実在であったという事実の、身も蓋もない指摘に、本書はなってしまっています。恣意的曲解にまみれた評論で草食系男子を侮蔑し、ウソにまみれた評論でサブカル女子を賞揚し、その両方ともに失敗を続ける師匠。
>本書は果たして、どこに向かうのでしょうか。
『真冬の自由(リベラル)の淫夢』 第一章 「フェミ・リベ・サブカル三国連合脅迫!萌え達の逆襲」
稲田センセー&KTBアニキ「おい誰の車ぶつけたと思ってんだこの野郎 あぁ」「とりあえず土下座しろよこの野郎 あぁ あくしろよ」
(一点攻勢)
ジェンダーマスター・兵頭「しゃぶったら撃つぞゴルァ!!!」
というわけで兵頭さんは腐れサブカル連合幹部の股間を対物ライフルで綺麗に吹き飛ばし、
前哨戦を白星で飾ったのでした(適当)