>(承前)余談だが、当時筆者の間でも、幼少期に多少原作とアニメに触れた程度の20代女性たちの間で、「『ドラえもん』っていい話多いよねー」「のび太って優しくていいよねー」的な薄っぺらい会話が交わされていたのをはっきりと覚えている。 というかこの時点で顔面核爆弾さんの仰る様に他ならぬ自分たちの中にこそ「実在性ミソジニー」を曝け出していることが読み取れますね、そしてここから始まる気色悪すぎる高尚な理屈のオンパレード。 >「パパもあまえんぼ」(てんコミ16巻)では、パパが荒れているのを見兼ね、のび太とドラえもんがタイムマシンで生前のおばあちゃん(パパにとっての母親)の下に連れて行きます。一般的に、やはり「感動」とされるこのエピソードを、師匠は「息子の前で母に甘える三十男はどうなんだ」と舌鋒を極め、罵り倒します。 >「いい話」のオブラートに包みながら、「いい大人も時には甘えたい。自分をさらけ出すのは、誰がなんと言おうと、人の親だろうと、良いことだ」という主張を巧みに展開し、読者の納得をとりつける。(53p) >彼ら(引用者註・のび太系男子)のアイデンティティを染めているのが、自分たちは割りを食った世代だという被害者意識だ。その鬱屈はおおむね富裕層や政治権力に向けられ、「社会正義」の旗印をエクスキューズに私怨を爆発させるのが常套。押し寄せる劣等感と吐き出すルサンチマンの出納業務で、毎日が忙殺されている。(48p) 特にこれが一番腑煮えくりかえりました、稲田シショーにとっての男性ないしは大人像って一体なんなんでしょうかね? 自分の父親や目上の男性が自分の子供や部下後輩の手前、弱音を吐かず、弱みを見せずにいたことを然も当然の様に扱う。 ご自分がそれこそ「クソ野郎」ではないご立派で気高い「男性様」であらせられるなら、 当人達と同じ立場になった時点でその苦労や大変さを理解することこそが大人になる過程の筈ですが… 大体にして、稲田シショーって男のなんなのさ(『ぼく、桃太郎のなんなのさ』じゃないけど) あんたがどれだけご高尚なのか知りませんが、単に困窮と不公正・不平等に喘いでいる存在を「弱者として承認しない」ことで自己の正当性を訴えている竹中平蔵も真っ青のゲス野郎だということなんでしょうね、繰り返しになりますが。 「のび太系男子」なる概念を突然提唱し、それが3、40代のマジョリティとして確立されていると恣意的な前提をゴリ押しして、その原因を「被害者意識」と結論づける…ブラック企業経営者顔負けの本当に反吐がでる物言いですね、正に「男性は過労死しても丸儲け」のクソ理屈そのもの。 >のび太は非モテのくせに、童貞ネット民並みに上から目線で女子を品定めする。(32p) 品定めや保険かけられる…というかしずかちゃんと親しくしている時点で非モテじゃないだろ… 大体、童貞ネット民以上にヤリチンマッチョ野郎の方が遥かに女子への舌は肥えてるだろうに。 そういう考えに及ばないとか、やっぱ自分こそクソ野郎なんですねぇ… >もっとものび太は(ドラえもんに叱責されたからとは言え)反省し、その子がジャイアンにいじめられているのを身を挺してかばったんですけどね。 稲田シショーは絶対にタメ君(のび太よりもダメな男の子)を庇おうとはしないでしょうね、絶対にww その点では稲田シショーは出木杉君の威を借るスネ夫系男子とも言える訳です(故・肝付兼太さん、関智一さんに失礼ですが) 長くなりましたが、私はドラえもんを読んで「自分も含めて誰もがのび太の様なだらしなさ、スネ夫の傲慢さ、ジャイアンの横暴さ、そしてしずかちゃんのズル賢さをある種の日常的ダークサイドとして持っている」という謙虚さを弁えられない人を信用できませんね。 それができないからこそリベラルが信任を失ったのだと考えます。
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兵頭新児の女災対策的随想
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>(承前)余談だが、当時筆者の間でも、幼少期に多少原作とアニメに触れた程度の20代女性たちの間で、「『ドラえもん』っていい話多いよねー」「のび太って優しくていいよねー」的な薄っぺらい会話が交わされていたのをはっきりと覚えている。
というかこの時点で顔面核爆弾さんの仰る様に他ならぬ自分たちの中にこそ「実在性ミソジニー」を曝け出していることが読み取れますね、そしてここから始まる気色悪すぎる高尚な理屈のオンパレード。
>「パパもあまえんぼ」(てんコミ16巻)では、パパが荒れているのを見兼ね、のび太とドラえもんがタイムマシンで生前のおばあちゃん(パパにとっての母親)の下に連れて行きます。一般的に、やはり「感動」とされるこのエピソードを、師匠は「息子の前で母に甘える三十男はどうなんだ」と舌鋒を極め、罵り倒します。
>「いい話」のオブラートに包みながら、「いい大人も時には甘えたい。自分をさらけ出すのは、誰がなんと言おうと、人の親だろうと、良いことだ」という主張を巧みに展開し、読者の納得をとりつける。(53p)
>彼ら(引用者註・のび太系男子)のアイデンティティを染めているのが、自分たちは割りを食った世代だという被害者意識だ。その鬱屈はおおむね富裕層や政治権力に向けられ、「社会正義」の旗印をエクスキューズに私怨を爆発させるのが常套。押し寄せる劣等感と吐き出すルサンチマンの出納業務で、毎日が忙殺されている。(48p)
特にこれが一番腑煮えくりかえりました、稲田シショーにとっての男性ないしは大人像って一体なんなんでしょうかね?
自分の父親や目上の男性が自分の子供や部下後輩の手前、弱音を吐かず、弱みを見せずにいたことを然も当然の様に扱う。
ご自分がそれこそ「クソ野郎」ではないご立派で気高い「男性様」であらせられるなら、
当人達と同じ立場になった時点でその苦労や大変さを理解することこそが大人になる過程の筈ですが…
大体にして、稲田シショーって男のなんなのさ(『ぼく、桃太郎のなんなのさ』じゃないけど)
あんたがどれだけご高尚なのか知りませんが、単に困窮と不公正・不平等に喘いでいる存在を「弱者として承認しない」ことで自己の正当性を訴えている竹中平蔵も真っ青のゲス野郎だということなんでしょうね、繰り返しになりますが。
「のび太系男子」なる概念を突然提唱し、それが3、40代のマジョリティとして確立されていると恣意的な前提をゴリ押しして、その原因を「被害者意識」と結論づける…ブラック企業経営者顔負けの本当に反吐がでる物言いですね、正に「男性は過労死しても丸儲け」のクソ理屈そのもの。
>のび太は非モテのくせに、童貞ネット民並みに上から目線で女子を品定めする。(32p)
品定めや保険かけられる…というかしずかちゃんと親しくしている時点で非モテじゃないだろ…
大体、童貞ネット民以上にヤリチンマッチョ野郎の方が遥かに女子への舌は肥えてるだろうに。
そういう考えに及ばないとか、やっぱ自分こそクソ野郎なんですねぇ…
>もっとものび太は(ドラえもんに叱責されたからとは言え)反省し、その子がジャイアンにいじめられているのを身を挺してかばったんですけどね。
稲田シショーは絶対にタメ君(のび太よりもダメな男の子)を庇おうとはしないでしょうね、絶対にww
その点では稲田シショーは出木杉君の威を借るスネ夫系男子とも言える訳です(故・肝付兼太さん、関智一さんに失礼ですが)
長くなりましたが、私はドラえもんを読んで「自分も含めて誰もがのび太の様なだらしなさ、スネ夫の傲慢さ、ジャイアンの横暴さ、そしてしずかちゃんのズル賢さをある種の日常的ダークサイドとして持っている」という謙虚さを弁えられない人を信用できませんね。
それができないからこそリベラルが信任を失ったのだと考えます。