お久しぶりです。 この本は少し話題になっていたので読みましたが、何というか、「そこまで男性の苦しみに肉薄していながらフェミニズムの枠組みから抜けられないのか」と溜息が漏れました。 「僕らは加害者なのだ」と前置きしなければ自分たちの苦しみすら語れない、これこそが抑圧だということが著者にわからないはずがないのですが、リベラル論壇というのはこういうことをまず言わなければいけないところなんでしょうか。 「愛されないからこそ誇り高く生きていこう」というポエムに関しては、もうただの痩せ我慢でしかないでしょう。 こうした苦しみに対してこれという処方箋がないことは百も承知ですが、まずは男性を加害者・抑圧者として位置づける思考から抜け出さなければ「男らしさからの解放」などあり得ないと思うのですが。 本来男性のためにあるはずの男性学が一番男性を抑圧してしまっているのではどうしようもありません。 「弱さを受け入れろ」的な話もいつも通り、という感じですね。 こんなこと、人に言われなくてもとっくにやっている男性だって多いのでは? 受け入れるというか、受け入れざるを得ないというか。 受け入れたところでリベラルが理想とする人格の男性になるとも限らないのですが。 所々に良い点があるものの、まず男性性について「反省」して見せなければならないというジェンダー界隈の限界を強く意識させられた一冊でした。
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兵頭新児の女災対策的随想
(ID:745646)
お久しぶりです。
この本は少し話題になっていたので読みましたが、何というか、「そこまで男性の苦しみに肉薄していながらフェミニズムの枠組みから抜けられないのか」と溜息が漏れました。
「僕らは加害者なのだ」と前置きしなければ自分たちの苦しみすら語れない、これこそが抑圧だということが著者にわからないはずがないのですが、リベラル論壇というのはこういうことをまず言わなければいけないところなんでしょうか。
「愛されないからこそ誇り高く生きていこう」というポエムに関しては、もうただの痩せ我慢でしかないでしょう。
こうした苦しみに対してこれという処方箋がないことは百も承知ですが、まずは男性を加害者・抑圧者として位置づける思考から抜け出さなければ「男らしさからの解放」などあり得ないと思うのですが。
本来男性のためにあるはずの男性学が一番男性を抑圧してしまっているのではどうしようもありません。
「弱さを受け入れろ」的な話もいつも通り、という感じですね。
こんなこと、人に言われなくてもとっくにやっている男性だって多いのでは?
受け入れるというか、受け入れざるを得ないというか。
受け入れたところでリベラルが理想とする人格の男性になるとも限らないのですが。
所々に良い点があるものの、まず男性性について「反省」して見せなければならないというジェンダー界隈の限界を強く意識させられた一冊でした。