>>11 確かに一般論としては「たかがある単語を使っていた、というだけ」で相手を全否定するとしたら、それは問題ですね。 しかし「ミソジニー」という言葉は「それを使っただけでバカにされても仕方がない」、どうしようもない単語なんですよ。 宇宙刑事ギャバンが「戦うために生まれた」のと同じように、「レッテル貼りをするためだけに生まれた」言葉もある。あなたにもそんな言葉に思い当たるんじゃないでしょうか。 「ミソジニー」という言葉もまた、その一つなんですよ。 何となれば、「ミソジニー」という言葉には何ら意味がないからです。 ある言説に正当性があるかどうかを審査するのに、その言説の主が何を好きか嫌いかなんて全くどうでもいい。 「朝鮮人」が好きか嫌いかはどうでもいい。 ただ、「朝鮮人」に対して「不当な」批判をすることは、当人が仮に朝鮮人を好きでも、それは非難されるべきことだ、というだけのことです。 しかし「ミソジニー」という単語は感情の方こそを否定せんとしている言葉です。 そのおぞましさに対して鈍感な人間というのは、大変にヤバいです。 ただし後半については完全に賛成します。 ぼくの言葉が完全に足りませんでした。 フェミニストは、都合のいい時にだけ性差を肯定します。 そのダブルスタンダードこそがフェミニストの一番の特徴と言っていいかも知れません。 それについては旧ブログの(プロフィールのとこに書いてあります)藤本由香里師匠、斎藤美奈子師匠についてのエントリに詳しいかと。
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兵頭新児の女災対策的随想
(著者)
>>11
確かに一般論としては「たかがある単語を使っていた、というだけ」で相手を全否定するとしたら、それは問題ですね。
しかし「ミソジニー」という言葉は「それを使っただけでバカにされても仕方がない」、どうしようもない単語なんですよ。
宇宙刑事ギャバンが「戦うために生まれた」のと同じように、「レッテル貼りをするためだけに生まれた」言葉もある。あなたにもそんな言葉に思い当たるんじゃないでしょうか。
「ミソジニー」という言葉もまた、その一つなんですよ。
何となれば、「ミソジニー」という言葉には何ら意味がないからです。
ある言説に正当性があるかどうかを審査するのに、その言説の主が何を好きか嫌いかなんて全くどうでもいい。
「朝鮮人」が好きか嫌いかはどうでもいい。
ただ、「朝鮮人」に対して「不当な」批判をすることは、当人が仮に朝鮮人を好きでも、それは非難されるべきことだ、というだけのことです。
しかし「ミソジニー」という単語は感情の方こそを否定せんとしている言葉です。
そのおぞましさに対して鈍感な人間というのは、大変にヤバいです。
ただし後半については完全に賛成します。
ぼくの言葉が完全に足りませんでした。
フェミニストは、都合のいい時にだけ性差を肯定します。
そのダブルスタンダードこそがフェミニストの一番の特徴と言っていいかも知れません。
それについては旧ブログの(プロフィールのとこに書いてあります)藤本由香里師匠、斎藤美奈子師匠についてのエントリに詳しいかと。