今週も前週に引き続いて、5年前に「正論」で書いた「特攻に反対を唱えた指揮官たち」をお届けします(前週、4年前と書いたのは間違いでした)。
これは「日本人に知ってもらいたい日本人」というテーマで書いたものですが、神風特攻隊にはこういう指揮官たちもいたということを、是非、皆さんにも知ってもらいたいのです。
「特攻に反対を唱えた指揮官たち」 後編
しかし私がこの拙文で書きたかったことは、実はそんなことではない。この狂気の時代にあって、特攻を拒否した司令官がいたということを多くの人に知っていただきたいのである。
コメント
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文中の「今日の平和な世の中で生きた私たちが軽々に批判することはできない。」に
本当に当たり前な事なのですが、今の感覚で戦争時を語ることなどできなと感じていますが
その当たり前な事ができない?しない?政治家や評論家やマスコミがなんと多い事か・・・
残念で悔しくて切なくなります。
(ID:2703215)
確かに、美濃部達のように正面切って反対した指揮官達は偉大だと思います。
しかし、石橋と異なり罷免されなかったということは、
人事権を持っていたと思われる、”表だって反対しなかった上司”の中にも賛同者が居たのかもしれません。
彼らの心情が語られる事が全く無いのが気になります。
私は、どちらにもなれないでしょうが・・・
(ID:27916509)
私の感想は負ける戦争はするなということです。
もし日本がこのような攻撃によって戦況を好転させ戦争に勝利したとしたら大いに称えられた戦法ということになるでしょう。しかし現実は特攻自体が目的化され本来の目的である如何に効果的に敵を打撃して戦果を挙げるかというところから離れてしまったことにあります。軍令部自らが戦い方の工夫を放棄したようにも見えます。百田尚樹さんのおかげで私は初めてこういった「特攻に反対を唱えた指揮官たち」がいたことを知りました。玉砕戦法を強いる軍令部と呼ばれるエリートたちの思考回路を知りたいとも思いました。
一方数字的な意味で4千人という特攻による戦死者の数からみると心理的な意味での効果はあったのかもしれません。最終的にすべてのパイロットが戦士したあとでは日本はゲリラ戦でしか抵抗する余地はなくなっていたのかもしれません。戦争を早期に終結させる意味での原爆の使用というのはある意味説得力を持つ話なのかとも思います。 自分が仮にアメリカの軍人だったら特攻などという死をも恐れない敵に対してこれから先も戦いを続けるより早く終わらせてくれと思ったと思います。日本が先に原爆を開発していたら逆にアメリカのホワイトハウスの上空から原爆を落とす作戦を実行していたように思います。
特攻作戦自体について疑問に思ったとしても、その時に軍人として自分にできることは何なのかと自問自答した答えは特攻で使命を果たすことだと思ったかもしれません。必ず死ななければいけない攻撃だったことが絶望的な気持ちにさせるかとも思います。しかしそれに従った英霊たちに我々は大いなる敬意と感謝の気持ちを持つべきだと思っています。あなたたちの自己犠牲の精神のおかげで今の日本があると思っています。あなたたちの決断は永遠に称えられるべきものだと思います。
戦争が起きれば必ず戦死者が出ます。だからどうやったら戦争が起きないかについて考えることが重要なんだと思います。私の知っている限りアメリカとソ連・ロシアは通常戦力での戦闘を交えた記憶がありません。これは双方ともに核戦争にエスカレートする愚を避けるために通常戦力での戦闘についても抑止効果が働いてるとみています。皆さんはこの事実についてどう思うでしょうか?