古舘伊知郎さんと堀江貴文さんの対談を見て気づいた現代日本の「二つの貧困」(1,718字)
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先日、「報道ステーション」で古舘伊知郎さんと堀江貴文さんが対談をしていた。
それが面白く、興味深かったので、今日はその話をしたい。
対談の中で、「グローバリズム」が話題になった。
「グローバリズム」というのは、「国と国との垣根をなくして、公平ではあるが際限のない競争社会を実現しましょう――あるいは現在、そうなりつつあるよ」ということを指している。
その中で、まず古館さんが「グローバリズムで人が幸せになるの?」と疑問を呈した。アメリカの1%のスーパーリッチが富を独占するような世の中は良くないんじゃないか、というわけだ。
そうして古館さんは、最近話題のトマ・ピケティを引いて、「グローバリズムが社会を、世界を不幸せにしているという疑念がつきまとう」と言ったのである。
ここで、ちょっと話しが噛み合っていないのが分かった。というのは、古館さんは「グローバリズム」という言葉を「資本主義」という意味で使っているのだ。誤用しているのである。
「アメリカの1%のスーパーリッチが富を独占するような世の中」は、主に「資本主義」に依るものであって、「グローバリズム」の結果ではない。トマ・ピケティが言っているのは、まさにそのことだ。
ところが堀江さんも、古館さんのその誤用に気づいていなかった。そうして、「グローバリズムはむしろ格差を縮小する」と反論していた。つまり堀江さんは、「グローバリズム」という言葉を正しく使っていた。
堀江さんによると、世界にはジンバブエのように極端な貧困にあえいでいる国がある。グローバリズムが広がれば、そういう国の経済が底上げされる。だから、世界的な視野で見れば格差は縮小する、というのである。
これは、短期的にはそうかもしれないが、ただしこれも、必ずしも正しくはないと思った。というのも、近い将来、グローバリズムが完遂して世界中が平等に競争できるようになれば、能力のある人間が勝ち続けるという構造が定着するので、格差は再び拡大するからだ。
実際、今の日本で起こっているのがそれである。日本は、昭和の時代に多くの人に平等にチャンスが与えられる世の中が実現した。それは今後も続くかのように考えられたが、そこから再び格差が拡大していった。たとえ平等にチャンスが与えられる世の中でも、資本主義社会である限りは、格差はやがて拡大していくのだ。それが、トマ・ピケティの本の論旨でもある。
このように、古館さんも堀江さんも、ちょっとずつ認識がずれていた。古館さんは「グローバリズム」と「資本主義」を混同し、堀江さんは(これはあえてかもしれないが)グローバリズムがやがて格差を拡大するという現実からは目を背けていた。
ただ、そういうふうに認識がずれ、話しが噛み合わないところが、逆に今の状況をよく表しているのかもしれないと思った。というのは、今の日本には二つの問題があり、それらは異なるものではあるものの重なり合ったり似ていたりするので、混同する者が少なからずいるからだ。それが、今の世の中をややこしくしているのである。
その二つの問題というのは、「グローバリズム」と「資本主義」である。
まず「グローバリズム」についてだが、これは日本に厳しい現実を投げかけている。
というのも、グローバリズムが進行して世界中の貧しい国の経済が底上げされる中で、相対的に日本という国の経済が地盤沈下しているからだ。これまで日本が受けていた既得権益が、大きく損なわれるようになってしまった。
それが、日本に新たな貧困層を生み出している。今日の右翼的な考えの人々が多数表れるようになったのも、そのことが大きな要因だ。
続いて「資本主義」について。
資本主義は、これはもう問答無用で能力がある人とない人との格差を拡大している。これについてはまた項を改めて書きたいが、これも日本に新たな貧困層を生み出している。
今の日本には、この「グローバリズム」による新たな貧困層と、「資本主義」による新たな貧困層の、二つの貧困層が拡大しつつある。これらは、それぞれカテゴリーを異にするものだが、この二つともに当てはまってしまうという人も少なくない。
そういう「二つの貧困」が、今の日本の大きな問題なのである。
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